マジメなんだかフマジメなんだかな話題を。
最近、思うのです。
コンペティションやレース、競技会などの特殊な状況を除いて、のオハナシです。
まぁ、スポーツモデルの単車乗りなモノですから、やはり、ハヤイオソイとか、トばすトばさないとかってのは身の回りにいっつもあると思うのです。
「いや、オレはないよ」って御仁もいらっしゃるでしょう。
うんうん。
「いや、オレはないよ」って言う方と同数以上に「そういうのがある」方もいらっしゃるという証明みたいなもんです。
や、ないならないで、そりゃ、楽しいバイクの乗り方のひとつだと思うのです。
そういう方は、それでいいじゃないかと思うのです。
そんなの、ライダー個々の自由なんですから、誰になにを言われるスジアイでもありませぬ。
んで。
路上でのハヤイオソイを論ずるコトは、「個人の信ずるコトを論ずるに等しい」ってのが、オレの持論であります。
ハヤイオソイは、その時その時のシュチュエーションやロケーションで違うでしょうし、原付とBK、若者と老人では違って当たり前なのですから。
途中は端折りますが、結論として、自己の外に向けてはそれぞれ相対的なものであるけれど、個々の中では絶対的なものであるはずなのです。
そしてそれは、議論するだけ無駄に関係を破壊する行為であって、理解するだけ相互関係が深化する行為、そういうものだと思うのです。
相手の信ずるトコロってのは、議論の対象ではなくて、理解の対象。
そんな解釈さえできないうんこが一定割合で存在するのも、また、バイク乗りの世界でもあったりすると思うんです。
その上での、ハヤイオソイのハナシです。
単騎で走っている時のハナシです。
ある程度まで成熟したバイク乗りってのは、個々に、「危険度モノサシ」を持ってると思うのです。
「あ、これ以上はヤバいな」とか思いながらアクセル戻すでしょうし、なぁんにも意識しないで安全な領域でてれんと走る時もあるでしょう。
逆に、神経のネジを締めあげながら「もうちっとイケる!」とかアクセル開けるときもあるでしょう。
それは、フィードバックされながら、個々の経験値となって次の彼の走りを構成する一部になると思うです。
ソレが、「危険度モノサシ」の更新です。
ところが。
コレが何人かで走ったりすると、イキオイ相対的なモノになっちゃうですよねぇ(笑)。
引っぱったり、引っぱられたり、マメツブにしたりされたり。
そうです。
ハヤイオソイは個々の「危険度モノサシ」ではなく、対象に向かってのハヤイオソイにすり替えられちゃうワケです。
ま、そういうゲームというか遊びであるはずなんですが、そこで終われない部分もありますようで。
なんだかプライドのようなものもチラチラしちゃったりなんかして(笑)。
ええ。
最近、コレがなんなのか、理解できたのです。
コレは、ただの、「意地の張り合い」に他ならないというコトですよ(笑)。
ツンデレキャラなのかナンなのか、意地を張らなきゃ楽しく併走できるのに。
「危険度モノサシ」をカサアゲして、コワイ思いをする必要もないハズなのに。
まるで、コドモの様態です(笑)。
いくつかの恋愛も経験して「意地の張り合い」がいかにツマラナイものか知ってるくせに(笑)。
社会で上席者や先輩と「意地の張り合い」してどれだけ凹まされるか、知ってるくせに(笑)。
それでもまだ、「意地を張らない者」にはなりきれない。
ええ。
そういうのも、あー、なんつーか、キライじゃないですけど(笑)。
最近、思うのです。
コンペティションやレース、競技会などの特殊な状況を除いて、のオハナシです。
まぁ、スポーツモデルの単車乗りなモノですから、やはり、ハヤイオソイとか、トばすトばさないとかってのは身の回りにいっつもあると思うのです。
「いや、オレはないよ」って御仁もいらっしゃるでしょう。
うんうん。
「いや、オレはないよ」って言う方と同数以上に「そういうのがある」方もいらっしゃるという証明みたいなもんです。
や、ないならないで、そりゃ、楽しいバイクの乗り方のひとつだと思うのです。
そういう方は、それでいいじゃないかと思うのです。
そんなの、ライダー個々の自由なんですから、誰になにを言われるスジアイでもありませぬ。
んで。
路上でのハヤイオソイを論ずるコトは、「個人の信ずるコトを論ずるに等しい」ってのが、オレの持論であります。
ハヤイオソイは、その時その時のシュチュエーションやロケーションで違うでしょうし、原付とBK、若者と老人では違って当たり前なのですから。
途中は端折りますが、結論として、自己の外に向けてはそれぞれ相対的なものであるけれど、個々の中では絶対的なものであるはずなのです。
そしてそれは、議論するだけ無駄に関係を破壊する行為であって、理解するだけ相互関係が深化する行為、そういうものだと思うのです。
相手の信ずるトコロってのは、議論の対象ではなくて、理解の対象。
そんな解釈さえできないうんこが一定割合で存在するのも、また、バイク乗りの世界でもあったりすると思うんです。
その上での、ハヤイオソイのハナシです。
単騎で走っている時のハナシです。
ある程度まで成熟したバイク乗りってのは、個々に、「危険度モノサシ」を持ってると思うのです。
「あ、これ以上はヤバいな」とか思いながらアクセル戻すでしょうし、なぁんにも意識しないで安全な領域でてれんと走る時もあるでしょう。
逆に、神経のネジを締めあげながら「もうちっとイケる!」とかアクセル開けるときもあるでしょう。
それは、フィードバックされながら、個々の経験値となって次の彼の走りを構成する一部になると思うです。
ソレが、「危険度モノサシ」の更新です。
ところが。
コレが何人かで走ったりすると、イキオイ相対的なモノになっちゃうですよねぇ(笑)。
引っぱったり、引っぱられたり、マメツブにしたりされたり。
そうです。
ハヤイオソイは個々の「危険度モノサシ」ではなく、対象に向かってのハヤイオソイにすり替えられちゃうワケです。
ま、そういうゲームというか遊びであるはずなんですが、そこで終われない部分もありますようで。
なんだかプライドのようなものもチラチラしちゃったりなんかして(笑)。
ええ。
最近、コレがなんなのか、理解できたのです。
コレは、ただの、「意地の張り合い」に他ならないというコトですよ(笑)。
ツンデレキャラなのかナンなのか、意地を張らなきゃ楽しく併走できるのに。
「危険度モノサシ」をカサアゲして、コワイ思いをする必要もないハズなのに。
まるで、コドモの様態です(笑)。
いくつかの恋愛も経験して「意地の張り合い」がいかにツマラナイものか知ってるくせに(笑)。
社会で上席者や先輩と「意地の張り合い」してどれだけ凹まされるか、知ってるくせに(笑)。
それでもまだ、「意地を張らない者」にはなりきれない。
ええ。
そういうのも、あー、なんつーか、キライじゃないですけど(笑)。