ブログ巡回先でのお話。
バイクのチャイルドシートについて、取り上げてた。あの商品が、安全に寄与するかどうかはともかく、コドモをバイクに乗せるコトについて考えてみたい。
家族と称する集合体の定義は、個人個人で違ってくると思うが、大きく、3つのカテゴリーがあると思う。
1つは、自分自身を中心とした家族。パートナーだけとか、独居世帯が該当する。2つめは、父や母がいて自分が「子」の立場でいる家族。
3つめは、自分が保護者として構成される家族だ。
今回のテーマに則して、1、2共に対象外なので、3のカテゴリーについて、述べたいと思う。
自分は保護者である。コドモを保護育成し、彼の内的/外的自立に向け精神的・時間的・物理的・経済的に支えていかなければならない。
オレが何らかの理由で、精神的・時間的・物理的・経済的に家庭を支るコトができなくなってしまうと、保護者としての責務を果たすのは、いきおい難しくなる。
そう、バイクで事故ると言うのはこの責務を果たすことが困難になる可能性が高い、ということと同義だ。
つまり、家庭が不幸になると言うことだ。
「コドモをバイクに乗せる」と言うのは自分の子供をタンデムシートに乗せる、というこだ。
衆知の通り、転倒/事故の場合、バイクの場合は運転者より同乗者の方がダメージを受けるケースが多い。
即ち、コドモをバイクに乗せるのは危険、と言う判断に納まりがちだ。
駄菓子菓子。
全くもっての勘違いと、否定したい。
タンデムライダー無しで事故って死ぬのも、家庭にとって不幸なことには変わりは、ない。
むしろ、タンデムランの方がスピードも抑制されるし、無理は、しない。安全度はこちらの方が高いと思えるくらいだ。
何が言いたいのか。
タンデムライダーがあってもなくても、家庭を不幸にすると言う観点では、「ヤっちまえば同じ」なのだ。
コドモをバイクに乗せるのはキケン、とかではない。
自分ひとりでヤっちまったって、家庭に与えるインパクトは充分大きいのだ。
コドモをバイクに乗せるのはキケンと思うヒトは、ソロで走ってても彼自身がキケンであると思うべきなのだ。
そういう者は、バイク乗りには、向かない。
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