
走行中のライダーを取り巻く状況は、「警戒しなければならないことだらけ」だ。
なんせ、事故っても転んでも「死」は目前だし、大概、車の群れの先頭か、追いついた最後尾か、群れと群れの中間か、いづれにせよ「取り締まり対象」になりやすい。
オレ自身、バイクを色々教わった「師匠」はいないのだが、誰からか教わったことだ。
「前方の四輪車の乗車人数をカウントしろ、抜き去ったクルマのドライバーの顔をミラー確認しろ」だ。
これは、長年、オレのライダー人生を強力にサポートしてきた習慣だ。
できそうもないことだが、なぁに、100Kもやれば、割と、集中しなくても可能な動作だし、安全に直結しているのだ。
この行為自体には、全く意味はない。
だが。
前方の車両の乗車人員、つまり頭数を確認することは、そのクルマのドライバーが何をしようとしているかを、洞察することだ。急に車線変更してきたり、ハバヨセしてきたりするドライバーは、その頭の動作を見れば、100%必ず、わかる。挙動に予測がつくのだ。
さらに、通常、覆面パトなんかに乗ってる警官は通常、ヘルメットをかぶっているアタマが2つあるので、コレもカンタンに見抜ける。大台を超えた速度で、覆面を抜き去り、急減速、なんてしょっちゅうだった。
ナンバーや、アンテナではなかなか一般車と見分けがつかないので、割と、効果的だ。
今現在は、覆面パトもリヤウィンドーのスモークがきつくて判別しにくくなってきているが。。。
抜き去ったドライバーの顔には興味はないが、コレだけミラーをちょくちょく見てれば、後方から近づく白バイや、パトも必ず、わかる。
特に、追尾式速度計測中の取り締まり車両には効果テキメンだ。レーダーパトはどうしようもないのだが、彼らの規則では計測中(この時点で緊急車両になるので)はパトライトの点灯か、サイレンONが義務付けられているから、スグ減速すれば、通常は悪くて、警告書だ。どちらもなかった時は反論すべきだ。
コレにも大変助けられている。10回やそこらではない。ココ15年、追尾による切符は1枚も、ない。
また、走行ライン左側を良く見ていれば、レーダーのネズミ捕りも、その計測方法から、見通せないと速度計測できないので、通常、これも発見できる。光電管は、最近、その手口が巧妙化して、見つけるのが難しいけど。
この、やりたい放題のオレが、こないだまで、ゴールド免許だったのだ。知人は、「何か不公平だ」と、クチをそろえて言う。
こないだまでは、だった。
本当に残念なのだが、動体視力や、コンセントレーションに衰えを実感している。
ココ2年ほどは、ヒヤリとすることが、あるのだ。以前は、前方のクルマが常識の範疇でどんな動きをしようが、それは、想定範囲/リスクキャパシティの範囲内だった。
いまは、心臓がクチから飛び出るくらい驚くことが、あるのだ。
認めたくはないが、オレは、交通の流れに対する洞察力が衰え始めている。これは、動かしようのない事実なのだ。経験値では切り抜けられない、自然の法則なのだと思う。
オレは、あきらめるつもりも、その法則に身を委ねるつもりも、さらさら、ない。
どうすればいいか、なんて考え込んでも、多分、何もないのだ。
まだまだ、ヤレる、なんて思うほどの傲慢さも、過信も、ない。
しかし。
オレは、それを理解しながらも、また、ライドする。
ライドするコトの深く刹那な愉しみと、自分自身の儚さを、胸に押し込み、再び、神経のネジを締め上げる。
祈るように、つぶやくだけしかできない。
路上の悪魔たちに、我が魂が魅入られることの、ありませんように。
ドライバがきょろきょろしてないか、とか暴れている子供がいなか、携帯電話なんか掛けてないかとか。それを見て、運転に集中しろ、と叫んだりしながら。
ワタシの場合、その叫びは、「自分に対して」です。