
ここんとこ、どうもお天気にツイてない。
今週末のロケⅢCLUBのミーティングも雨っぽい。4月は、「バイクに乗れる都合のいい日」はほとんど雨だった。
「天気情報で対価を取るビジネスがある」との話題を聞いて久しい。今、そのようなビジネスが成り立っているかは、全く知らないが、大概の気象情報はタダで入手できる。
Web上では、1週間先までの情報はどこにでもあるし、ニュース番組を見れば天気予報は、普通、SETメニューだ。もちろん、コレもタダだ。
職場で話題になった。
「最近の天気予報って『とりあえず雨って言っとけ』みたいなトコあるよね」
「ハレの予報出して雨天だと、苦情が殺到するそうだから、じゃないの?」
ま、我々一般市民の立場として、こんな感想は、あながち的を得てるものなのかもしれない。
ただし、それは、職場の喫煙室の会話として、だ。
そもそも、天気予報が当たらなかったからって、苦情の電話を入れるのがマトモな行為なのか???
タダの情報を甘受していて、何故、苦情を述べる権利があるのか、はなはだ、疑問だ。ナニサマのつもりなのか。苦情の電話を受ける人が、自分の母親や、息子だったら、その人はどう思うのだろうか。
自分がそのような苦情を受けるのポジションを職務としていたなら、どう感じるだろうか。
いつごろのモノなのか記憶に定かでないが、とある有名なバイク雑誌で、気象予報士のハナシを、その本のメインキャラクターがコラムで書いていた。バイク乗りなら誰でも知っている雑誌だ。
天気予報が当たらないので「オマエラは気象予報士ではなく、気象予想士と名乗れ」などとのたまっていた。
愚か者。おのれの軽率さと不恥に気付かないのか。オレなんかより、コイツは、ずっと、年長だ。この時まで、コイツが、こんなバカだとは知らなかった。
冗談では、済まされない。喫煙室の会話ではなく、活字になった全国区の出版物なのだ。
市井の職業人にあって、それなりの勉強をし、マス・コミュニケーション上で気象予報を公表するには、それなりの研鑽と精査と労力を費やした上で、それが行われているのは想像に難くない。
多分、コイツが、その実態を何も知らず、ペンを職業にしながら何も調べずにこのコラムを書いたことも、また、明白なコトだと思った。
この者は、電話で苦情を入れる人物となんら変わりはない。
繰り返しになるが、この者は対価を受け取って、このコラムを書いているのだ。
はて、この者のコラムに対価を支払う価値があるのか?
現在も時折、この雑誌を購入している。
ただし、その価値は購入の対価に等しい「愚か者見物料」に入れ替わった。
色んなところで「権利」を履き違えた行為が散見している。
自分がそんな人間にならないよう、気を付けねばならない。
今週末のロケⅢCLUBのミーティングも雨っぽい。4月は、「バイクに乗れる都合のいい日」はほとんど雨だった。
「天気情報で対価を取るビジネスがある」との話題を聞いて久しい。今、そのようなビジネスが成り立っているかは、全く知らないが、大概の気象情報はタダで入手できる。
Web上では、1週間先までの情報はどこにでもあるし、ニュース番組を見れば天気予報は、普通、SETメニューだ。もちろん、コレもタダだ。
職場で話題になった。
「最近の天気予報って『とりあえず雨って言っとけ』みたいなトコあるよね」
「ハレの予報出して雨天だと、苦情が殺到するそうだから、じゃないの?」
ま、我々一般市民の立場として、こんな感想は、あながち的を得てるものなのかもしれない。
ただし、それは、職場の喫煙室の会話として、だ。
そもそも、天気予報が当たらなかったからって、苦情の電話を入れるのがマトモな行為なのか???
タダの情報を甘受していて、何故、苦情を述べる権利があるのか、はなはだ、疑問だ。ナニサマのつもりなのか。苦情の電話を受ける人が、自分の母親や、息子だったら、その人はどう思うのだろうか。
自分がそのような苦情を受けるのポジションを職務としていたなら、どう感じるだろうか。
いつごろのモノなのか記憶に定かでないが、とある有名なバイク雑誌で、気象予報士のハナシを、その本のメインキャラクターがコラムで書いていた。バイク乗りなら誰でも知っている雑誌だ。
天気予報が当たらないので「オマエラは気象予報士ではなく、気象予想士と名乗れ」などとのたまっていた。
愚か者。おのれの軽率さと不恥に気付かないのか。オレなんかより、コイツは、ずっと、年長だ。この時まで、コイツが、こんなバカだとは知らなかった。
冗談では、済まされない。喫煙室の会話ではなく、活字になった全国区の出版物なのだ。
市井の職業人にあって、それなりの勉強をし、マス・コミュニケーション上で気象予報を公表するには、それなりの研鑽と精査と労力を費やした上で、それが行われているのは想像に難くない。
多分、コイツが、その実態を何も知らず、ペンを職業にしながら何も調べずにこのコラムを書いたことも、また、明白なコトだと思った。
この者は、電話で苦情を入れる人物となんら変わりはない。
繰り返しになるが、この者は対価を受け取って、このコラムを書いているのだ。
はて、この者のコラムに対価を支払う価値があるのか?
現在も時折、この雑誌を購入している。
ただし、その価値は購入の対価に等しい「愚か者見物料」に入れ替わった。
色んなところで「権利」を履き違えた行為が散見している。
自分がそんな人間にならないよう、気を付けねばならない。
降る、降らない、では無く「%」で表示しているわけですし、それに苦情入れられてもって感じですよね。