
こないだ(っても去年ですが)、ウインドサプライの店長とおしゃべりしてまして(オレが仕事のジャマしてる、とも言うけど)。
「ライダーって、疾い遅いでヒエラルキーのようなの、あるよね」ってな話になった。
オレ個人の見解としては。
バイクに乗る者の、「疾い遅い」とか「ウマイヘタ」を論ずることは、彼我双方の信条や生き様に序列をつけるようなもので、全く意味が無い。
いや、意味はある、と言う御仁もいるかもしれないが、突き詰めていくと彼我共に受け入れられない論点に達するのは明白。
だから、「疾い遅い」や「ウマイヘタ」で他人を引き合いに出したり、己が技量を誇ったりするライダーはキラワレル。
そういう人は、サーキットに行ってちゃんと競技にしたほうがよろしい。
んで、ソコだけでヒトとハナシをするほうがイイと思う。
それだって、そんな御仁は、結局のところ(マシンや環境のせいにして)他人を認めないので、サーキットにおいてもキラワレルと思いますが。
そう。
結局、「疾い遅い」は、彼我の生き方に優劣を付けようが無いのと同様で、有無を言わずに認めるのが正しいと思う。
語りたいのなら、認めてほしいのなら、その前に、自分の疾りを見てもらえるようにしたほうが、イイ。
駄菓子菓子。
大概の、疾かったり、ウマかったりするライダーはそんなのコトバで吹聴したり、ハナシで誇示したりしないワケで。
ま、負ける気はしなくっても「うわ"!コイツ、意外とヤるなぁ」ってな感嘆にハマっちゃうと、何はともあれ、彼を認めたりしちゃう。
それが、冒頭の「ヒエラルキー」ってな感覚なんだと思う。
バイク乗り独特の習性みたいなものかも知れない。
ただ、それだって、最終的には人柄なんだと思う。
ま、オレ自身は、人に好かれるように努力したり、意思に反してそのように振舞うのは、実に卑しい行為だと、信じて疑いませんが。
反面、疎まれるコトがお好みの御仁は、そうそういないとは思うけど、ソレがわかっててそのようにあるのなら、ソレも生き方なのではないだろうか。
それは、自由意志のありようなのだから。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます