山咲雛子の日記

毎日何かを好き☆と感じ、感謝して、頑張っています。時間が沢山あったら、ゆっくり自然の中で過ごしたいです♪旅もしたいな♪

頑張りは報われる

2016年10月23日 | からだ

今年の夏の「熱中症」で、病院に行けばもっと気づきが早かったと思います。

「熱中症と」自己判断し、仕事を休んで一週間以上自宅療養していたのですが、もともとは貧血が災いしていたのだと、後で知りました。

その後「体調不良」の自覚はあったのですが通院もないため、それの原因も解らず、「ストレス」と思い仕事を辞めたんです。

会社からは「体調が回復するまで療養し治ったら復帰すればいい」と引き留められましたが、私は、「ストレス」が原因と思っていて、私が休むことで数名の部下に負担が掛るはずで、辞めることでセットしたほうが最善だとその時思いました。

有給休暇などを消化して束の間の「自由時間」を四国のお遍路で過ごし、職場の保険証が切れてすぐ位のタイミングで入院を余儀なくされ、一時は重病患者の大部屋に移されたほど結構私の体は重症なバランスに陥っていたようです。

 

退院しても自分で解るんですね、仕事に復帰できても今の体調なら使い物にならないって。

「年内はゆっくり休んでください。治ったらまた選択肢の中に入れて下さい」

そんな言葉を思い出し、見えない未来に不安と、自宅に引きこもって生産性のない暮らしに私自身情けなさを感じていたのですが・・・

 

そんなことを考えていたある日、何か配達されてきました。

開けてみることにします。

辞める直前に強制的に「賞レース」の材料を提出しなけらばならず・・・

毎年何らかの賞を取っているのでとりあえず上記写真で、取って使ってないままの景品も並べてみましたが・・・

カタログギフトは、前の受賞で「熊野筆」に交換して、本当に欲しかった賞だったんです。

私にとってこういう賞レースに勝って表彰して頂けるのも、もともと私の頑張り次第だと思っていません。

「数字」はお客様とわたしのコラボですから・・・。

 

辞めた私が、辞めた後に表彰して頂けるなんて、あり得ないですよね~、現役さんを持ちあげたほうが会社は「利益」に結びつくはずですから。

嬉しさと、いろんな感情が混じり合って思わず「うわ~~」って泣きじゃくりました。

また元気な笑顔でお客様のところに戻りたいです。

 

待ってて下さいね、いつか・・・。


貧血と向き合いながら生きていく(2)

2016年10月22日 | からだ

退院して10日が経ちましたが、「いいね!」と思えるそんな日は私にとっては、まだまだ先のようです。

 

一番の悩みは「疲れ」です。

本当に疲れます。

食事をしても疲れるんですね。

なるべく少量を時間をかけて食べるようにすれば少しは疲れが楽なのですが、短い間でしたが入院生活で塩分のあまりないお粥中心の食事をしていたことと運動できない状況になっているおかげで、外食となると一気にドッと疲れてしまいますし、外食の塩分や油は体に堪えます。

 

次に「頭痛」です。

特に朝が酷い。

頭の上をプレスされているような重みにズッキンズッキンという鼓動のような痛みの二重苦。

胃弱なため、ロキソニンと胃を保護する薬の併用を院内処方されたのですが、日常薬のイブプロフェン+アセトアミノフェン剤のほうが飲みなれているため、市販薬で対処しています。

 

次に「節々の痛み」ですね。

血中ヘモグロビンは酸素を運ぶ役目をするので、それが極度に薄いと各臓器に酸素が行きわたらない為、頭痛がいつもあったり、抵抗力や免疫力さえ低下します。

その効果で私の場合は、ちょっとした段差で足がまごついて転倒しそうになったり、重いものを持つと動悸がしたり、体を触っただけで「痛っ!」と感じる日もあるし、喉の痛み(風邪ひきやすくなる)や、一番つらいのが、ボケたような症状が出る時もあります。「あれ~、あの俳優誰だっけ?あの~、あの~」っていう感じで、言えそうで思い出しそうで・・・神妙に考えると頭に鈍痛があったりして・・・もしかして私ボケてきた???」と一瞬寒々しい気持ちになります。

 

入院の前までは、お客様とコミュニケーションをとって交渉したり、良くしていくためのご提案をしたり、実際作業やメンテナンスをしたり、そういう一連の行動が私の仕事であり生き甲斐でしたから・・・

「あれ~、何でしたっけ?」という部下の教育をしてきた私が(高慢な書き方でスミマセン)、日常の何気ない会話で「あれ~、あれ~」を連発したりするのですからねぇ~たかが「貧血」で!!

さらに生産性のある暮らしはできてないし、好きな運動もNGと先生方にいわれて、運動が楽しかった記憶が残っているはずの脳の指令も空しく、体は言うことを聞かない状況になっているし・・・

 

「ジムの退会手続きも行けないから、お願い」と弱音になった夜もあります。

真面目な夫は、翌日仕事が大変忙しい中、帰りに退会手続きと違約金を払ってきたそうです。

そのとき「山咲さん、いっぱい来てくれて…それなのに何故なのですか?」と言われたそうです。

そういう一連の退会手続きを済ませて疲れて帰ってきた夫に、客観的に私は、ジムで頑張ってた自分にはもう戻れなくなってしまったと心が完全に折れて「もうここまでか・・・」と思ってしまいました。

でも「妻と最終合意してなくて、焦って手続きに行ってしまいました」と夫がジムに電話してくれて「ギリギリまで待ってますから。その時は違約金は返還します」と返事を頂いたそうです。

その時、私すご~く嬉しく感じました。

頑張って、早く良くなって、また頑張ろうとそう思いました。

 

でも、日々体はなかなか回復した感じがしないのですね。

血を取れば「数字」で解るから、頑張ろうとか、ダウンすれば落ち込む時もあります。

入院していればある意味では体もメンタル面も完全管理で楽だけど、自分が日常に戻った時に、どれだけ普通の暮らしに自分が適合しているかと向き合う局面が必ずあります。私の場合は体調不良を理由に仕事を失った直後に入院したから、戻るところはありませんので、社会生活から自分の意思で断絶してしまい、こんなもどかしい暮らしが繰り返されると、心の定位置が無くなって、「このへんで、そろそろいいかな・・・」と思えてくる日もあるんですよね。もどかしさに耐えられなくて・・・

 

四国お遍路で、とあるお寺の住職さんが、愛する素晴らしい奥様のまさかの余命を伝えられたお話は感動的で、涙したほどです。

「闘病生活の合間に何とかスーツを着て撮った写真なんですね。この後どんどん痩せていってね~、よく考えれば皆さんも観光先でふたりで写真撮ったり、お子様の成長と共に写真撮ったりするでしょう。でも、その人となりを表す上半身のアップ写真なんて探してもないものなんですね~。

出来過ぎた奥さんを私は失って、死ぬことは怖くない。でも奥さんが命がけで築いてきたものを守ることができるのが、今は私だけなんです。

奥さんが若くして病気で亡くなるなんて、思いもしませんでした。でも彼女は、このお寺を守るためにたくさんたくさん尽くしてくれました。今でも、奥さんに会いたくて来たというお遍路さんが来ます。もう、彼女は居ないんですだから、私は彼女の意志を自分が命尽きるまで守りたいんです」

という住職様は、その説法をお話する昨日まで入院されていたんです。

 

長くなりました。

明るい話は短く、そうでない話は長くというのをブログの際、意識しています。

ある日、化粧品をいつも買うショップでメイクしてもらって、その後行きつけの美容室で髪を整えてもらって、絶対潰れない写真館で、最期の写真を遺そうかと思いついたんです。

夫に提案すると「ウインザーの結婚式の写真でいいんじゃない?」と言われ「そんなに気に入った写真あったの?」と聞くと「あるけど、選んでおく」と言われました。

 

やり残したことといえは、日本で「沖縄」だけは行ったことがないのと、神無月の出雲大社参拝です。

 

あとは・・・

自分が生れてきた「使命」をやり遂げていないことですね。

それを知るまでに、例えて山でいうと7~8合目まで頑張って登ってきたかな~私なりに。

ここでリタイヤするのは、残念な感じもします。

あともう少しで、私の生まれてきた意味の目標のポイントに立てて、全体を見渡すことができます。そうしたら、頑張って生きてきた甲斐とともに昇華できるでしょう。

 

時間を下さいなんじゃないんです、その先がまたまた大変だと思いますね。

はっきり言って、今「焦っている」んだと・・・多分そう思いますね、私。

 

またこれから皆様のお役に立てるブログを、そしてフレッシュな情報をお届けできるよう頑張っていきますので、ぜひぜひ今後とも応援して頂けたら幸いです。

貧血なんかに負けませんからねぇ~、これからもどうぞ見守っていて下さい。

 

 


貧血と向き合いながら生きていく

2016年10月17日 | からだ

その日が来ました♪

朝の先生方の回診の前に、掛け布団をたたみ、帰り支度をして正座して待ってました。

昭和なもので、指をついてお礼を述べる、私流の先生方とのお別れです。

何も言わず、うなずいて先生方は去って行きました。

我が儘言わなければ、即輸血すれば、こんなに長引かず、辛い思いもしなくて済んだかもしれないけれど、私はアイデンティティーの喪失とアレルギーの反応と何年も葛藤してきたから、このような決断をしたのだと私自身分かっているから、先生方や看護婦さんや介護の皆様に迷惑をかけてしまったと思います。

けれど、私なりに生きるということを真剣に考えた時間でもありました。

あざ笑うかのように、最後の朝食はメインディッシュが、味付けの無いがんもどき(5個)。

「なんでがんもがメインなの?Hさんは?」

「似たようなものかな・・・」とカーテン越しにHさん。

その後窓際で、残り時間いっぱい話しました。

だって、Hさんとふたりだけの夜があって、お互い自己解放して、会社の組織だったら無いくらい、いっぱいいっぱい語ったんですよね。

「娑婆の空気が吸いたい・・・」

Hさんのいつものそのセリフを何それ?って誰もが笑うし、私もそう思っていたけど・・・

誰にも最後は迷惑かけたくなくて、自宅まで歩いてみました。

「娑婆の空気だ!」と思いました。

空気に、匂いがある!

温度もある!

キンと冴えわたった空気が鼻孔を刺激して、その先に秋の匂いっていうのかな~、懐かしいような、森が最盛期を迎えているような空気感が川の流れと共に香っていました。

「娑婆の匂いだね、Hさん」ちょっとひとり涙ぐむんですが、それからが大変!

 

*勢い余ってその足でスーパーに行く→総荷物量10キロ→歩いて帰る3~4倍の時間かかる。

*家の掃除→4時間動いたら、2時間寝ないと体が保たれない

*買い物→2キロ圏内現況限界

*お風呂→短時間のシャワーは、ひとりでも大丈夫だが、入浴はひとりでは無理。

*ジム→たとえスパエリアであっても、ジムエリアであっても、このような状況では、人に迷惑をかける可能性があるので無理。

(昨年は、ハロウィーンでコスプレしてた自分は、在りし日の思い出と認識して今年は大人しく自宅療養するしかないですね)

 

随分私自身、今年に入って所属社が変わり、頑張り過ぎて健康管理を怠っていたものだと痛感させられました。

あとで自宅で健康診断書を調べたのですが、丁度会社が切り替わる前の10か月前、血中ヘモグロビン量は9.9でした。

もともと体格も良好なので、その時は担当の先生からサラリと言われた程度でした。

見えないものほど、怖いかもしれませんね。

知識がなくて油断すると、命って簡単になくなっちゃうんですね、。

左から順番に「入院してあってよかったもの」

入院中に「人の幸せ」をテーマにマトリックス化を考えた構想メモ。

バカバカしいことも考える私だから、ファーストフードで余った薄いナプキンにボールペンでいきなり思ったことを書き込み、くだらないと思ったらゴミに捨てます。

もともとファーストフードのあれって、そういう宿命ですからね。

だけど今回は捨てられなかったです、良いひらめきだったので。

 

また、今日外出した際、ちょっと転んだりして内出血したりと、「貧血」はこれから真剣に付き合って行かなければならないものと、感じました。

血中ヘモグロビンは酸素を運ぶ役目をするので、それが極度に薄いと、酸素が行きわたらず、ちょっとした転倒や、ケガの出血に注意しなければなりません。

今の数値では、短時間の出血があっただけで、即病棟戻りになってしまいます。

年内はどう頑張っても自宅療養とリハビリの生活になると思います。

 

最後に・・・・・・

お遍路繋がりで、私のブログに来て頂いた方々には、誤解を招いてしまうものになったかもしれません、ごめんなさい。

ただ四国結願された皆様が実感されているように、何らかの形でいろいろな主査の結果があるかと思います。

私の場合は 著しく不健康的なそういう結果となってしまい、ひとり遍路がマイーナーなイメージを持たれる方がいらっしゃてもおかしくはないと思っています。

そういう現実があったことには耐えられませんが、女性は意外と頑張りすぎる傾向の方もいらっしゃるので、今回私のブログという空間を通じて、自由に書かせて頂きました。

沢山のお寺を巡ってみたり感じたりしてきたことは、私の心に深く残っています。

もしも、思いがけず命が失われることがあるとするなら、夫には言えないけど、私の遍路道途中ポイントというか、少しの給水地点かも(笑)ですね♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


貧血入院生活(2)

2016年10月14日 | からだ

「早く娑婆の空気が吸いたい・・・」

4人部屋(大部屋)にある日、元気の良い女性が入ってきました。

私もそうですが、皆いつもカーテンを完全に閉めきっており、同じ部屋にいてもどんな顔で、どんな病状で入院されているか、知る由もありません。

興味が全くないわけではないのですが、自然とそういう空気なので、私は私の治療に専念するしかありません。

その方Hさんは、夜中もナースコール呼んで、イタイイタイ言ってるし、注射も漢方のお薬も大嫌いだとわめいているし、同じ部屋の住民として大丈夫なのかな?と気がかりでした。

そんな時、私は少しずつではありますが回復に向かっていて、夕方にシャワーを浴びるのが常になっていました。

TOTOのシャワーは計算し尽くされた床の網目の形状が、素早く水を逃がしクッション性にも優れ、快適です。

家を建てる時、このTOTOのシステムが気に入って半ば決めていたのですが、すんでのところでケチって、ナショナルの浴槽に変えてしまったので、次にリフォームする時は、TOTOにしようと切に感じました。

入院中もそんなこと考えているんですね私。

熱いお湯、人肌のお湯、冷たいお湯・・・それを繰り返し、最後に髪にドラーヤーをあてると持ち時間の30分なんてすぐです。

18時に運ばれてくる病院食に合わせて、夫が自身の夕食を買ってお見舞いにやってきます。

病院内には24Hのコンビニもあり、健常者には快適です。

会話をしながら、面会の最後を知らせるメロディーが鳴るまで、食事しながらおしゃべりします。

いつも夜景が綺麗でしたね~。

同じ病室の方々はどうやら、焦って退院した経緯のある「出戻り」の方々のようでしたので、私はそういうところは慎重に考え、自宅に戻る自信を少しでも実感できるくらいまで、置いて頂くことにしました。

夫は「今日もまた・・・」とため息を漏らしていましたが・・・。


貧血入院生活

2016年10月13日 | からだ

輸血はもうしなくて良い、という判断が下され、フロア内移動程度ならOK、シャワーも付き添い人なしでひとりで入浴OKが出たのですが、心が晴れないんですよね。

悪いときは、良くなろうとする。

少し良くなると、すぐに普段の生活に戻れるくらい良くなることを期待してしまう。

つまり「焦り」なんですね。

体はそうならなくて、その日は四重苦の体調でした。

どこが悪いかノートに書き出してみます。

数字が6.6に下がり少し悪くなったのや、腹痛とか、いつまで?という心理苦とか、4つあったから四重苦。

今日は静かに何もしない日にしよう、と。

横になる。

少し寝た気がすると、看護婦さんたちが計測にくる。

窓を眺める。

今日も晴れているみたい。

空が沢山見えて、時間の流れを感じます。

お昼が運ばれてきます。

まあまあかな・・・

入院するとき、バカ真面目に食物アレルギーの申告して、さらにアンブロジア社の96スタンダードパネル(食物アレルギー検査結果)まで提出しちゃったから、普通の病院食と違い、私のメニューは、主に塩の味付けだけの野菜中心食なのです。

でも今は大丈夫。

少しずつ、練り梅と塩の貯蓄ができていますから~。

だってある日のお献立で、ワカメとコーンと桜海老のサラダが出たんですが、何の味付けなしで食べるのは薄味好みの私でも、ガガ~~ンでした。

そんな時、備蓄の練り梅を混ぜ混ぜ・・・美味♪

二種類の練り梅が使い分けられて出てくるんですが、真ん中のほうが梅らしい味なんです。左のは三島食品のもので、少し塩分が薄いから朝食に出てくることが多かったです。

私の心の友は、右の三島食品の「塩」。

グルタミン酸が入っているので、お粥をそのままで頂いて飽きてきたら、この塩を投入!

旨味が増して最後まで食べきることができました。

化学調味料の密かな楽しみは、この三島の塩だけで、あとは主に素材の味だけで~。

 

ある日、バカ真面目に食物アレルギーの申告して良かったと思うお献立の機会がありました。

お豆腐のステーキに、蟹のあんかけがかかっていて完食してしまったのですが、その後足がブクブク浮腫んできて、退院してからアレルギーのカルテ見たらやはり「蟹」がIga中程度。

速攻反応出たようです。

普段の食事であまり意識してなくて、蟹も大好きなのですが、体が弱っている時は、アレルギーも過剰に反応するのかもしれませんね。

栄養士さんも見逃してしまったのかもしれませんが、「蟹」の餡、その後お粥に混ぜて食べて、幸せを感じました。そのあと浮腫みで苦しんだけど・・・。

入院中の最高のお食事がコレ!

海老のケチャップ炒めがメインで、オクラとおろし大根のお酢〆、牛乳。

アスパラガスのゼリー寄せは何度か出たのですが、ほろにがでホロあまという微妙なデザート。(これは食べなくても良い気がしました)

余談が過ぎましたが、その三重苦の夜、お見舞いを頂きました。

フロアを歩く許可さえ頂ける状態であれば、広いお部屋も自由に使える、凄く良い病院なんです。

それに重篤でなければ、外部からの持ち込みの食べ物も自由。

本やお花も頂き、普通の暮らしに戻ったような・・・あま~~いスィーツも楽しい会話と共に頂いて、ちょっと心が軽くなりました。

その日の午前までは四重苦とがっかりしていたのに、夜は楽しく過ごせて快眠の夜でした。