あの3・11から4年目の今日。
あの時間は、また巡って来ました。
この日のその時間、とあるスーパーの店内で、30秒の黙祷が行われ、レジも何もかも、時間がストップして、目を瞑っていると、何だかどんどんと記憶が呼び起されて、目がうるうるになってくるのでした。
あの揺れで怖かったけれど、何よりもその後の行動で、人の生死を分けるなんて思いもしませんでした。
自宅の2階で何とか耐えてれば、逃げることをしなければ、父と共に海にさらわれることがなかったかつての同僚。
実家の泥さらいのストレスで、急に持病が悪化して亡くなったかつての先輩。
皆一生懸命頑張って来たのに、同僚が突然に居なくなってしまった喪失感が私の中で蘇ります。
あの日がなかったら・・・と思う気持ちもありますが、日常の普段は、震災の記憶から遠のいていくような心持ちもあります。
ガソリンも、食べ物もなくて、早朝から行列に並んだり、コンビニのお弁当が買えた時の充足感など、あの日から遠くなっている意識があります。
それは、自宅が大丈夫だったこともあると思います。
ですが、被災地におきましては、まだまだ復興は進んでいない感じがします。
被災して住まいがなくなったから住むところを造ればいいという政策ではなく、どうすれば皆が幸せを感じられる空間を作るか、そういうのが優しい生活促進が必要と思います。
震災を通じて「心の時代」に来ているような気がします。
日本大震災により、犠牲になられました方々には、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
合掌