3・11の翌日、有給休暇を取得させていただき、もと同僚らと上司と、津波により命を落とした同僚が住んでいた石巻に向かいました。
「復興」という名のもとに、膨大な政府の予算が使われているにもかかわらず、現地に赴くと、まだまだ震災の爪痕が生々しく残されていて、それでいて何もなかったように大きな工場が稼働している様子にギャップを感じた私でした。
津波を被った個人宅の新しい建物は立派に残っているけれど、よくよく見ると窓にはブルーシートが被せられ、その周辺は更地になっていたり・・・
あの日この場所で、昼下がりのあの時間にとんでもない破壊の力が働いて、何もかも失うとは、同僚も予想だにしなかったに違いありません。
とりあえず同僚は父と共に土葬され、その後はどこに再埋葬されたかは、かつての上司がいうことにはもう追及しないほうが良いとの判断でした。
遠い遠い親戚は、同僚とその父の死で、財産の相続と保険金の相続とかなりの生命(死亡)保険の恩恵を受けたそうです。だから、もう、・・・
皆で供養のため、港の岸壁から献花したところ、強い風が吹き渡って、花が海に浮かぶことなく、岩肌に打ち上げられたとき、何かとてつもなくやりきれなさが心にこみ上げてきました。
「また逢おうね!」と最後に交わした同僚の声や笑顔が蘇ってきて、心が崩れそうになりながら「頑張るからね」と誓った私でした。