斎場御嶽への入場チケットは、南条市地域物産館で購入します。
車の方は、ここに車を停めて歩くようでした。
チケット販売機で購入です。
私が観光した時、御嶽を全部みて45分位。
斎場御嶽は南城市知念にある沖縄最高の聖地です。
創世神であるアマミキヨがつくった琉球開闢の七御嶽の一つであり、
王朝時代の最高神女・聞得大君の即位式が行われた祭場でもあります。
国家的な祭事を執り行う当時の政治とも深い関わりのある場所です。
沖縄には先祖を敬い自然に感謝し崇拝する歴史・文化があります。
沖縄本島東南部の聖地を巡拝する「東御廻り(あがいうまーい)」も
その琉球の精神文化を象徴する行事の一つです。
東御廻りは国の行事でもあり、また民間でも行われてきた巡礼の道です。
斎場御嶽も、この東御廻りの巡拝地になっていて、
人々が祈りを捧げた霊場の一つです。
物産館から少し歩いて、世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の碑があります。
建物に入場すると、斎場御嶽を見学するにあたり、してはいけないこと、などなど注意点の説明がお部屋(集団)でありました。
それを聞いたあとは自由です。
建物を出て公園の横を通ります。
どんな感じだろう?とドキドキします。
夫とは何も触らず、できるだけ静かにして見ましょう、と約束しました。
海の向こうに久高島が見えました。
いよいよ御嶽入口です。
御門口(うじょうぐち)。御嶽に入る参道の入り口にあります。
6つの香炉が置かれており、これは御嶽内にある拝所の分身とされています。
斎場御嶽の艦砲穴は、1945年の沖縄戦でできたものだそうです。
大庫理(うふぐーい)は、「大広間」の意味をもつ、「祈りの場」です。
首里城正殿の二階は大庫理と呼ばれ、祭祀的な機能を持つ格式の高い場所ですが、聞得大君のお新下りの儀式での「お名付け(霊威づけ)」儀礼が、首里城と同じ名前を持つこの場所でとり行われたそうです。前面にある磚(せん)敷きの広間では、神女たちが聞得大君を祝福し、琉球王国の繁栄を祈ったそうです。
鍾乳石でできた場所のようです。
寄満(ゆんいち)といわれる場所で行き止まりとなり、きた道を少し戻ります。
寄満とは首里城内にある建物の名前で、国王のために食事を作る厨房を指します。
当時、ここには国内外からの海幸・山幸が集まりました。それが、豊穣の寄り満つる所と理解されていったのでしょう。
同じ名前を持つ斎場御嶽のこの場所には、第二次世界大戦前まで、その年の吉兆を占う馬の形をした石(うまぐゎーいし)が置かれていたそうです。
2本の鍾乳石から滴り落ちる「聖なる水」を受けるため、2つの壺(シキヨダユルとアマダユル)の壺が置かれていましたが、近づくと目の前で水がポチャンと滴り落ちて驚きました。
そのため写真は撮り忘れています。
「対の調和の場」といわれ、この聖水自体が拝所です。
三庫理(さんぐーい)は、「安定の場」。
三角形の空間のつきあたり部分が三庫理で、奥の右側にある岩の上が「チョウノハナ」という拝所です。
このあたりでは強烈な磁場というのか、なんか長く居てはいけないような空気を感じました。
パワースポットといえば良い意味にとらえることが多いと思いますが、私が見えてないだけで、別な次元がここに流れているような、そんな感じです。
だから少しだけお邪魔させてください、と祈りながら三角岩をくぐりました。
夫は男子禁制だと思うので止めておく、と入りませんでした。
くぐった岩の向こうはそれほど広くなく、右側にある岩の上に「チョウノハナ」という拝所があるそうです。
遠くに久高島が見えました。
とても強い力というかエネルギーのようなものを感じ、畏れを感じたため、写真は撮りませんでした。
御門口(うじょうぐち)に戻って、公園で少しひと休みしました。
考えすぎかもしれませんが、体がふわふわした感じです。
飲み物を飲んで深呼吸したら、落ち着きました。
次は久高島に向かいます。
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