私は、旧清水市庵原町(現清水区庵原町)に、丸10年住んでいました。
うち5年間は、ウォーキング、ジョギングをして、庵原のあちこちを散策する日々でした。
庵原は「いはら」と読みますが、その昔は、「いほはら」と言われてました。
「いほはらの里」には、県内最大の前方後円墳である三池平(みいけだいら)古墳や、神楽舞台のある東久佐奈岐(ひがしくさなぎ)神社などもあり、歴史ロマンにあふれています。
知れば知るほど、魅力のある町だと私は思います。
庵原を離れて3年、ハス畑が見たくなり出かけてみました。
ハスの花の見ごろには遅いかなと思いましたが、今もあるだろうかと気になりました。
庵原に住んでいたときには、ありふれた光景の一部でしかなかったのに、離れてみると懐かしくてずっと心にしまっておきたくなる場所です。
ちょこっと荒れてる感じがしましたが、ハス畑はありました。
収穫の時期になると胸まであるゴム製のつなぎみたいのを着て、農家の方が畑に入っていました。
テレビでは目にしたことのある収穫の風景を、初めて自分の目で見たときにはうれしくて、ジョギングの足をしばし止めて眺めたものです。
その畑の先のカーブをぐるっと周り、坂道を登ると、完成したばかりの「清水庵原球場」があります。
私がいたころは、建設のためのトラックがいつも行き交っていました。
友人が建設中の球場を見て、「山がなくなっちゃったんだぁ!」と驚いていました。
このあたりには山があったそうで、30代前半の彼女は、小学生のころ、遠足に来ていたところだそうです。
「いほはらの国」は白村江(はくすきのえ)の戦いの文献にも登場しているそうです。
「清水庵原球場」では、歴史に残る名勝負が繰り広げられるかもしれません。
うち5年間は、ウォーキング、ジョギングをして、庵原のあちこちを散策する日々でした。
庵原は「いはら」と読みますが、その昔は、「いほはら」と言われてました。
「いほはらの里」には、県内最大の前方後円墳である三池平(みいけだいら)古墳や、神楽舞台のある東久佐奈岐(ひがしくさなぎ)神社などもあり、歴史ロマンにあふれています。
知れば知るほど、魅力のある町だと私は思います。
庵原を離れて3年、ハス畑が見たくなり出かけてみました。
ハスの花の見ごろには遅いかなと思いましたが、今もあるだろうかと気になりました。
庵原に住んでいたときには、ありふれた光景の一部でしかなかったのに、離れてみると懐かしくてずっと心にしまっておきたくなる場所です。
ちょこっと荒れてる感じがしましたが、ハス畑はありました。
収穫の時期になると胸まであるゴム製のつなぎみたいのを着て、農家の方が畑に入っていました。
テレビでは目にしたことのある収穫の風景を、初めて自分の目で見たときにはうれしくて、ジョギングの足をしばし止めて眺めたものです。
その畑の先のカーブをぐるっと周り、坂道を登ると、完成したばかりの「清水庵原球場」があります。
私がいたころは、建設のためのトラックがいつも行き交っていました。
友人が建設中の球場を見て、「山がなくなっちゃったんだぁ!」と驚いていました。
このあたりには山があったそうで、30代前半の彼女は、小学生のころ、遠足に来ていたところだそうです。
「いほはらの国」は白村江(はくすきのえ)の戦いの文献にも登場しているそうです。
「清水庵原球場」では、歴史に残る名勝負が繰り広げられるかもしれません。