風の数え方

私の身の回りのちょっとした出来事

トライアングル的日常

2005年07月08日 | 清水ともゑ帳
図書館へ行く道すがら、ふと友人の言葉を思い出した。
「あたしって結局、三角形の中で暮らしているんだよね。家、保育所、スーパー。子供が保育所へ入る前は、家、公園、スーパーだったし…」
と、言っていたこと。
私も同じだなって思った。
働いているときは家、職場、スーパーで、今は家、図書館、スーパーの三点を結ぶ中で生活している。
別の友人はこうも言っていた。
「三角形ならまだいいじゃん。あたしなんか、自宅と職場の二点を結ぶ直線を移動してるだけ」と。
私も友人たちも、日常の生活をするエリアの狭さが、思考や経験の狭さに比例してしまっているのかもしれないと不安を持っている。
いろんなメディアからの情報はたくさん得られても、人間を育んでいくのはそれだけではないはずと感じている。
変化のない環境、変わりばえしない日々の人間関係。
幸せといえば幸せ、だけど、このままでいいのかな…なんて思ったりもする。
たとえば世界中を、限りなく円に近い多角形の中で、生きているとしたらどうなんだろう。
いろんな国の人、文化、言語、多様な価値観が入り組んでいる世界に、いつも接しているとしら…。
いずれにしても、日々の断片をどのように切り取り、自己の中へ落としていくのかが大事であるような気もする。
だから、日常を過ごすエリアが狭くても広くても、人間形成にはあまり変わらないんじゃないかと思う。
…というか、そう思いたい自分がいる。
でないと、今の三角形がもう少し広い面積の四角形、五角形になった先には、新しい何かが待っているんじゃないかと期待してしまいそうだから。


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