風の数え方

私の身の回りのちょっとした出来事

清水みなと祭り神殿

2005年07月14日 | 静岡
清水のメインストリート、さつき通りにあるスルガ銀行前に、新しい「清水みなと祭り神殿」がお目見えです。



由来などが書かれています。
祭りのメインイベント総踊りの中心になるので、ここに置かれたそうです。
今年は地踊りも復活で、私としてはうれしいです。
地踊りの方が、「みなと清水」って感じがします。



賽銭箱も…。





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バケツ一杯

2005年07月13日 | 清水ともゑ帳
今朝、『はなまるマーケット』のオープニングトークで、バケツ一杯食べられるとしたら、何が食べたいかという話がありました。
岡江久美子さんは、生クリームって言ってました。
岡江さんは私よりもお姉さんですが、世代的にそうかなってわかる気がします。

子供のころ、隣の家の子がよく「常盤家(ロリエ)の生クリームケーキがおいしい」と、清水では有名な洋菓子店の名前をあげ、言っていました。
我が家ではいつもバタークリームケーキだったので、生クリームってなんなんだろうってずっと思っていました。
初めて、生クリームをなめたときは、飛び上がりたいほどにおいしかったのを覚えています。

さてさて、『はなまる…』では、バケツ一杯ということで、ほんとにバケツに入ったプリンが登場しました。
味もすごくいいようで、ヤックンが例の「おいしい!」を言ってました。
私は今日初めて、バケツプリンの存在を知ったのですが、巷では以前から話題のものだったようです。

バケツ一杯ではないのですが、私は結婚前によく、「クロンボ」という地元静岡の喫茶店へ行っていました。
ここで出てくるアイスコーヒーなどの飲み物は大ジョッキだったり、パフェもすごく大きくて、すべてがジャンボサイズでした。
また、仕事帰りに、自宅とはまったく反対方向の焼津市まで向かい、「カントリーロード」という喫茶店のジャンボパフェも食べに行ったものでした。

バケツ一杯食べたいものを夫に聞いてみたところ、「千切りキャペツ!」と即答しました。
私だったら、何をバケツ一杯食べたいかなぁ。
バケツ一杯のウニ・イクラ丼。
バケツ一杯のチョコレートパフェ。
バケツ一杯の杏仁豆腐もいいな。
あっ、それと、白いんげんで作る豆きんとんもバケツ一杯。
うわぁ、私ったら、欲深すぎ~!

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清水の祭りに来てご

2005年07月12日 | 静岡
7月16日(土)午後6時半から、巴川灯ろう祭りがあります。
稚児橋から羽衣橋の間で行われます。



昼はこのように、お祭りを待ちわびている川の風景です。



そして、8月はみなと祭りもあります。



たくさんの提灯たちの声が…。

「清水の祭りに来てご(来てごらん)」って言ってるみたいです。




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清水の踏切風景

2005年07月11日 | 静岡
思い出にある清水の風景が、急速に消えていく。
そんな焦燥感に駆り立てられ、カメラを手放せなくなりました。
そして、今日もまた一つ、消えゆくシーンを目にしました。
私の体の一部が無くなっていくような痛みを感じます。
それでつい、ブログの記事に「清水」が多くなっちゃうのですが…。

駅前銀座と清水銀座の間にある中央銀座付近の踏切。
その向こうに、伏見文具店がありました。
文具店はその後、コンビニエンスストアも兼ね備えていましたが、最近はシャッターが降りたままでした。
昨日までの七夕祭りが明けて今日、店の取り壊しが始まっています。



まだ、静岡から出たことがなかった中高生のころ、私にとってはこのあたりが一番、文化を感じられるところでした。
伏見文具店の画材は充実していたのではないかと思います。
絵を描かない私ですが、ウィンドーから画材が見えると、うっとりしたものでした。
憧れの場所のような、いい意味の敷居の高さもあったように思います。

そして当時は、戸田書店清水本店もまた、私の憧れでした。
本に囲まれて仕事ができたらいいなといつも思っていました。
高校3年のとき、卒業式までのほんのちょっとの期間、念願かなってアルバイトができたときは、それはそれはうれしかったものです。



JRの線路をまたいでいる清水橋の架け替えにともなって、新たに歩道橋とエレベーターが設置されました。



踏切脇に建つこれらの店のたたずまいにホッとするものを感じます。



街は生きている、生きているから、痛みを伴いながらも再生の道を行くのかもしれない…そんなことを思いました。

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雨上がりの清水

2005年07月10日 | 静岡
ゆうべの雨はすごかったです。
巴川の水位がどんどん増してきて、ちょっと恐いくらいでした。
鉄道にも大きな乱れが出たほどだとか…。

一夜明けて、今朝の万世橋付近。
水位は少し下がったものの、かなり濁っています。
直木賞作家 村松友視氏の小説『巴川』のその巴川です。



八千代橋です。
村松氏が清水に住んでいたころ、一番たくさん渡った橋だそうです。
写真の橋は新しく架け替えられたものです。
赤い線のところが、昨夜の水位です。
橋脚にゴミがいっぱいからまっています。



路地裏散策が大好きな私としては、天気が良くなると出かけずにはいられません。
入江町付近です。
傘をこんなふうに干すのを、私は近ごろしていなかったので、ちょっと懐かしくて撮りました。
あっ、それと、懐かしく思ったのは他にもあるんです。
トイレから伸びている煙突みたい換気扇。
私が小学生のころ住んでいた借家にもありました。
身近で見ることが少なくなりました。



こちらは、浜田町付近です。
「あんた、ゆうべはひどい雨だっけねぇ」
…という会話が聞こえてきそうです。





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雨の日の思い出

2005年07月09日 | 清水ともゑ帳
私が参加している「ダックスを愛している人たち」のコミュニティのトピックに、「雨の散歩」というのがあった。
雨の日にダックスの散歩をどうしているかということについて、掲示板にはいろいろ書かれている。
それらを読んでいて、幼稚園に通っていたころのことを思い出した。

ある雨の日、お遊びの時間。
私は、無性に外で遊びたかった。
それで、先生にたずねてみた。
「せんせい、カッパ着て外であそんでいいですか」と。
「なに、バカ言ってんの!」
私の頭に、いきなり、雷が落ちた。

以来、雨の日に外で遊ぶものではないと、かたくなに思い続けていた。
スポ根ものの漫画やドラマで、雨のグラウンドでうさぎ跳びをしているシーンには、すごく憧れたっけ。
そのくせ、雨でマラソン大会が延期になるのは、大歓迎だったりして。
台風が接近しているとき、カッパを着た父が、雨戸にバッテン印の板を打ち付け補強している姿に、内心ワクワクしていたときもあったっけ。
不謹慎だったけれど…。

歌にもあるように、子供のころの雨の日は、鬱陶しいというよりも
♪ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン♪
と、心躍るような日だった。
先生が頭ごなしに怒ったので、私はすごく間違ったことを言ってしまったのかと思っていたけれど、それほどおかしなことではなかったかもしれない、と長じてみればそう思う。
それに、時には雨を味わい深く楽しむ心があってもいいかなとも思う。

今、降っている雨、これはちょっと降りすぎで心配。


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トライアングル的日常

2005年07月08日 | 清水ともゑ帳
図書館へ行く道すがら、ふと友人の言葉を思い出した。
「あたしって結局、三角形の中で暮らしているんだよね。家、保育所、スーパー。子供が保育所へ入る前は、家、公園、スーパーだったし…」
と、言っていたこと。
私も同じだなって思った。
働いているときは家、職場、スーパーで、今は家、図書館、スーパーの三点を結ぶ中で生活している。
別の友人はこうも言っていた。
「三角形ならまだいいじゃん。あたしなんか、自宅と職場の二点を結ぶ直線を移動してるだけ」と。
私も友人たちも、日常の生活をするエリアの狭さが、思考や経験の狭さに比例してしまっているのかもしれないと不安を持っている。
いろんなメディアからの情報はたくさん得られても、人間を育んでいくのはそれだけではないはずと感じている。
変化のない環境、変わりばえしない日々の人間関係。
幸せといえば幸せ、だけど、このままでいいのかな…なんて思ったりもする。
たとえば世界中を、限りなく円に近い多角形の中で、生きているとしたらどうなんだろう。
いろんな国の人、文化、言語、多様な価値観が入り組んでいる世界に、いつも接しているとしら…。
いずれにしても、日々の断片をどのように切り取り、自己の中へ落としていくのかが大事であるような気もする。
だから、日常を過ごすエリアが狭くても広くても、人間形成にはあまり変わらないんじゃないかと思う。
…というか、そう思いたい自分がいる。
でないと、今の三角形がもう少し広い面積の四角形、五角形になった先には、新しい何かが待っているんじゃないかと期待してしまいそうだから。


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清水たなばた祭り

2005年07月07日 | 静岡


清水たなばた祭りが始まりました。
駅前銀座商店街から中央銀座、清水銀座まで、たくさんの七夕飾りが並びます。
屋台もにぎやかです。



ポポもお祭りデビュー。
ポポとうさん、ポポばあちゃんも一緒に、街へ繰り出しました。
道行く人たちが「カワイイ!」と振り向いてくれると、ポポかあさんだけがうれしい気分。



でもね、心の片隅に思い出すんです。
1974年(昭和49年)、七夕豪雨で清水に大変な被害が出たときのこと。
七夕の短冊に願いをこめます。
穏やかな日常が過ごせますように…。

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島田ちょこっとウォーク

2005年07月06日 | 清水ともゑ帳
日曜日に、島田市へ出かけたときに、周辺をほんのちょっとだけ歩きました。
島田は江戸時代、東海道の宿場町でした。
「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」
大井川は難所の一つで、川越ができないとき、旅人には困った川止めも、宿場町は賑わったそうです。

なんとなく、そんな名残があるような街並み。



道路わきにこんなにかわいい鳥居が…。
道を行く人の安全を見守ってくれているような。



島田は、日本髪の「島田まげ」でも有名なところです。
婚礼のときの「文金高島田」は「島田まげ」を高く結ったものであるとか…。
毎年、「島田髷まつり」も開催されています。
そんな島田らしい、女性用トイレのドア



最近の私のマイブーム。
懐かしい建物を見るとついカメラを向けてしまうこと。
子供のころは、こういう工場をあちこちで見たように思います。
屋根に3つ立っているのは、換気扇だったのかな。



島田には、すごくおいしい鯛焼き屋さんがあります。
街道一と言われているそうです。
また食べてみたいので、今度はゆっくり歩きながら、鯛焼き屋さんへも寄ってみたいと思います。

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清水庵原球場

2005年07月05日 | 静岡
私は、旧清水市庵原町(現清水区庵原町)に、丸10年住んでいました。
うち5年間は、ウォーキング、ジョギングをして、庵原のあちこちを散策する日々でした。
庵原は「いはら」と読みますが、その昔は、「いほはら」と言われてました。
「いほはらの里」には、県内最大の前方後円墳である三池平(みいけだいら)古墳や、神楽舞台のある東久佐奈岐(ひがしくさなぎ)神社などもあり、歴史ロマンにあふれています。
知れば知るほど、魅力のある町だと私は思います。

庵原を離れて3年、ハス畑が見たくなり出かけてみました。
ハスの花の見ごろには遅いかなと思いましたが、今もあるだろうかと気になりました。
庵原に住んでいたときには、ありふれた光景の一部でしかなかったのに、離れてみると懐かしくてずっと心にしまっておきたくなる場所です。



ちょこっと荒れてる感じがしましたが、ハス畑はありました。
収穫の時期になると胸まであるゴム製のつなぎみたいのを着て、農家の方が畑に入っていました。
テレビでは目にしたことのある収穫の風景を、初めて自分の目で見たときにはうれしくて、ジョギングの足をしばし止めて眺めたものです。



その畑の先のカーブをぐるっと周り、坂道を登ると、完成したばかりの「清水庵原球場」があります。
私がいたころは、建設のためのトラックがいつも行き交っていました。
友人が建設中の球場を見て、「山がなくなっちゃったんだぁ!」と驚いていました。
このあたりには山があったそうで、30代前半の彼女は、小学生のころ、遠足に来ていたところだそうです。



「いほはらの国」は白村江(はくすきのえ)の戦いの文献にも登場しているそうです。
「清水庵原球場」では、歴史に残る名勝負が繰り広げられるかもしれません。

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いけない飼い主

2005年07月04日 | 愛犬ポポ
先日の記事に書きましたポポのテレビ初出演の放映が、今日から始まりました。
1日に5回の再放送があり、1週間続きます。
獣医さんへのインタビューの内容は、ペットと過ごす「夏の注意点」についてでした。
たとえば、ちょっと車を離れるだけでも、ペットを車内に置いていかないなど、いくつかあげられています。

「犬の散歩は暑い日中をさけ、朝か夕方、できれば朝がいいでしょう」
と、先生がお話している声が画像にかぶり、テロップは、
「太陽熱で灼けた道路を歩くと、犬の体に熱がたまってしまう」
と出ています。



あっ、あたしも映ってる…って、おいおい、思いっきり暑い日中に散歩させてるいけない飼い主みたいじゃん。



ポポは、ハアハア舌を出してるし、すごくかわいそうな犬みたいじゃん。

そ、そんなぁ~、誤解です。
してませんってこんなこと。
特に地表近いところを歩くダックスに、そんなことしてませんって。
悪い飼い主と気の毒な犬の構図ができあがっていました。


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ボディビル選手権

2005年07月03日 | 清水ともゑ帳
今日は、島田市で行われた全日本クラス別ボディビル選手権大会へ出かけてきました。
夫がボディビル好きなので、一緒に見に行きました。
昨年に続いて二度目のことで、前回は県大会でした。
去年はしぶしぶついて行ったボディビル大会でしたが、今年は前々から楽しみにしていました。
一度、見たらはまってしまい…。
観客席の雰囲気がとてもなごやかで、「和」を感じます。
選手が登場すると、
「○番、大きいよ!」
「○番、キレてるよ!」
と、筋肉の大きさとキレの良さをたたえる声が飛び交います。



↑写真の右より2番目に写っている方は廣田選手で、以前、スポーツドキュメント『ZONE』にも出られたことがあります。
ご夫婦でビルダーで、↓写真の真ん中の女性が奥さまです。



廣田夫妻のように、「夫婦でビルダー」というのが夫の希望ですが、私にはとてもとても…。

女性ビルダーの大会を見るのは、初めてでした。
音楽に合わせてのポージングでは、女性陣の表現力に際立つものがあったと思います。
バレエのように指先まできれいでしなやかで、表情も豊かでした。

選手のみなさんは、ほんとに素晴らしい肉体美。
私はマラソンをしているとき、大会までになかなか体を絞りきることができませんでした。
ある程度、筋肉がついてくると、筋肉量を落とさずに絞るというのはなかなか難しいことだと思います。
筋肉の美しさに圧倒されましたが、日ごろの生活でどれだけ努力をして今日に至ったのかということを考えると、その精神のたくましさにも圧倒されました。


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YU・KA・TA

2005年07月02日 | 愛犬ポポ


ポポです。
JR清水駅に七夕飾りがお目見えです。
もうすぐ七夕、その三日後の10日は、あたしの1歳の誕生日。



気の早いかあさんは、あたしに浴衣なんぞを買ってきました。
これをあたしに着せて、七夕祭りに行くんだって。



帯が苦しいよ



あら、帯ってガムよりおいしいじゃん。



浴衣なんて着たくないよ~


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「好き」を「好き」と言えること

2005年07月01日 | 清水ともゑ帳
気がついてみたら、長い間、「好き」を素直に言えなくなっていた。
時々、口に出してみるのは、たくさんの人がそれを肯定してくれるとわかっているとき。
…とか、有名人の誰かも好き、だという保証書みたいのがついているときだけ。

たぶん、子供のころそうなってしまったのだと思う。
私は、肉が大好きだった。今でも、好き。
でも、子供のころは、「お肉大好き」と言うと、「だからあんたは太る」「だからあんたは脂くさい」と言われていた。
私は、もの心ついたときから、ずっと肥満だったから無理もない。
昨年まで、夫にさえ、「肉が好き」と言えなかった。

私は煮くずれたものや熟しているものが大好き。
煮くずれた豆、うどんや完熟の柿、バナナ、キーウィなどなど。
それらも、子供のころから、「だからあんたの顔もくずれている」と言われてきた。
鏡を見て、「ブスだもんなぁ」と納得していた。

些細なことだけれど、こんな繰り返しで好きな物、好きな人、好きな事を口に出すのも、心の中で思うこともいつの間にかやめてしまった。
周囲の反応を気にするあまり、「好き」を見つけても、夢中になれなくなった。
それと元来の怠惰な性格もあり、誰かの反対を押し切ってまで、何かに没頭するほどの気概もなければ、困難を乗り越える努力もしなかった。

でも、4年前から、何かを「好き」ということに自信をもちたい、心の底から湧きおこるその感情を、大切にしたいと思うようになった。
過去にちょっとでも興味を持ったことも言えるようになってきた。
ブログを始めた去年からは、特にそう思う。
ブログやHPで「好き」をいっぱい語っている人は、とてもステキ! 
私の憧れだ。
さらに、mixiのコミュニティに参加して、もっとその思いは強くなっている。

人生の早い時期に、「好きなもの」に出合った人って、ちょっとうらやましい。
私は、日本人の平均寿命といわれる年齢の折り返しに来て、初めて「好き」が見つかった。
今からでも遅くはないんじゃないか、そう思いたい。

私は、冷静さを欠くことが多い。
なので、自分の「好き」を周りの人に押し付ける、誰かの「好き」を否定する…などないよう、気をつけたい。

これからも、まずは、「好き」を「好き」って言ってみたい。
そして、取り組みたいと思ったならば、一生懸命やってみたい。


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