1966年 PL学園・投手 1㍍82、73㌔、右投右打、3年
昨春の選抜で甲子園のマウンドを踏んだ加藤英。上背こそあったがモヤシのような感じだった。それからまる一年。夏休み中は、練習時間以外でも走りまくった。大阪の丘陵地羽曳野にあるPL教団本部の約千坪の敷地にはゴルフ場というアップ・ダウンの激しい恰好のトレーニング場があり、ここで汗をしぼった。合宿研志寮の寮長も兼ねる上原監督は「上級生がいたころは、遠慮がちなところがあったが、新チームになってから、自分がやらなくてはという気になってきたとうれしそうだ。この一年で5㌔も体重がふえ、肩まわりがぐっと大きくなり、たくましいからだになった。「昨年はカウントを整えようとしていかれたケースが多かったが、最近はコントロールに自信らしいものがでてきました。目下スライダーを研究中です」日焼けした顔は自信にあふれている。昨秋の近畿大会では一回戦で伏兵の県兵庫高に2-1で敗れている。最終回、一死満塁に死球のサヨナラ負けで「いい勉強になりました」と頭をかく。やる気を出してきたのは、控えの左腕・加藤秀がものすごいピッチで追いかけてくるからだ。「ライバルは水谷君(三重高)仲田君(育英高)などほかの学校の投手ではありません。秀司(ひでじ)ですよ」全力投球三百球、レギュラーバッティングと快速球を投げ込む。静岡県榛原郡榛原町にある川崎中三年の途中でPL中に転向した六人兄弟の末っ子。好きなようにやれといわれています。野球をとことんまでやってみたい」そうだ。そして「優勝ですか?もちろんやってみたいですね」ともいう。上原監督は「あれだけの上背があるんだから、ピリッとしたドロップをマスターしたら鬼に金棒なんだが・・・」と注文をつけている。
昨春の選抜で甲子園のマウンドを踏んだ加藤英。上背こそあったがモヤシのような感じだった。それからまる一年。夏休み中は、練習時間以外でも走りまくった。大阪の丘陵地羽曳野にあるPL教団本部の約千坪の敷地にはゴルフ場というアップ・ダウンの激しい恰好のトレーニング場があり、ここで汗をしぼった。合宿研志寮の寮長も兼ねる上原監督は「上級生がいたころは、遠慮がちなところがあったが、新チームになってから、自分がやらなくてはという気になってきたとうれしそうだ。この一年で5㌔も体重がふえ、肩まわりがぐっと大きくなり、たくましいからだになった。「昨年はカウントを整えようとしていかれたケースが多かったが、最近はコントロールに自信らしいものがでてきました。目下スライダーを研究中です」日焼けした顔は自信にあふれている。昨秋の近畿大会では一回戦で伏兵の県兵庫高に2-1で敗れている。最終回、一死満塁に死球のサヨナラ負けで「いい勉強になりました」と頭をかく。やる気を出してきたのは、控えの左腕・加藤秀がものすごいピッチで追いかけてくるからだ。「ライバルは水谷君(三重高)仲田君(育英高)などほかの学校の投手ではありません。秀司(ひでじ)ですよ」全力投球三百球、レギュラーバッティングと快速球を投げ込む。静岡県榛原郡榛原町にある川崎中三年の途中でPL中に転向した六人兄弟の末っ子。好きなようにやれといわれています。野球をとことんまでやってみたい」そうだ。そして「優勝ですか?もちろんやってみたいですね」ともいう。上原監督は「あれだけの上背があるんだから、ピリッとしたドロップをマスターしたら鬼に金棒なんだが・・・」と注文をつけている。