プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

小林恒夫

2017-10-31 20:05:36 | 日記
1954年

松竹は引地、青田、目時があざやかに集中打して徳永を急襲、4点を奪った。このリードに守られた小林恒は内角一ぱいにシュート、カーブ、直球をうまく配合して今季初の完投勝利をかざった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

内山清

2017-10-30 22:56:46 | 日記
リストの効いたフォームからキレのあるストレートとシンカーが武器。

「自分で言うのもなんだけど、コントロールに関しては抜群だったと思います。キャッチャーが構えたら、必ずそこに行きますから。ホップするストレートと、シンカーが武器でしたね」 練習は嫌いだった。というより、練習をしなくても、コントロールにまったく問題なかったし、シンカーもよく落ちた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

原田秀行

2017-10-30 22:26:00 | 日記
1963年

柳井商工原田、下関商池永の見ごたえある投げ合い。九回裏下商は内野安打の清田が西村のバントと佐野の三ゴロで三進、池永敬遠ののち綿部が原田の初球を流し打ってライナーでレフト前へ。柳井商工各バッターは気力をみなぎらせて池永の剛速球をむかい一、四回いずれも一死で万谷、高島がクリーンヒット。六回にも一死から中野が体ごとタマにぶるかるような打ち方で右前に快打。二盗に成功した。しかし中野はけんせい球に倒れ、無得点に終わった。池永は七、八、九回完封。原田は速球とカーブをコーナーに投げ分け、今年最高のピッチング。下商は六回一死清田が三塁打したが、西村が浅い右飛、佐野は中飛に終った。

下関商佐野主将の話 準決勝の柳井商工原田投手は今大会の相手校では一番スピードがあり苦戦した。宇部商とはまだ試合をしていないが、活発に打ってくる打力のチームだ。決勝戦では是非打ち勝ちたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

井上重信

2017-10-30 21:07:37 | 日記
1966年

投手は井上一人でいく。右上手投げの本格派。重い速球がコーナーにきまると、時おり投げるドロップ、カーブが有効。心配なのは立上りコントロールの悪さから四球を乱発すること。回をおうごとに調子がよくなるので、この立上りが問題。やや単調なきらいがあるが、重い速球はあなどれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

龍隆行

2017-10-30 20:49:41 | 日記
1963年

投手陣は大毎にかぎらず、各チームとも手薄だが、とくに左腕投手は払底している。その意味で竜の加入は大きなプラス。大毎が35年優勝したときは小野のほかに三平という手ごろな左投手がいたが、竜はちょうどそのあとガマといった格好だ。青木スカウトは「打者の手元で変化するひねくれ球がいい。カーブ、シュートはもちろん、ストレートも微妙にホップする。法大時代は山崎の陰にかくれた存在だったが、むしろすなおな山崎より打ちにくいのではないか」と期待をかけている。ただ難をいえば、上背がないことともう一つコントロールがよくないことだ。プロにはいって球威を落とさずにコントロールがよくなることができるかどうか。真田新コーチの指導ぶりとともに興味が寄せられる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

窪義幸

2017-10-30 20:28:24 | 日記
1956年

高校時代

長身左腕の窪投手はアウドロと内角低目の速球が武器、コントロールもいい。今まで走者が出るとミットから目がはなれるくせがあり自分でカウントを悪くして苦しんでいたが、徹底的に注意されほとんど直った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

原田孝一

2017-10-29 15:45:26 | 日記
フォーム・・・オーバースロー 球種・・・ストレート、ドロップ、シュートボール。

高校時代

1回戦は強豪広島商との対戦。この試合、エースの原田の重い球、ナチュラル気味のシュートが威力を発揮、8-5で快勝した。

1954年

投手陣のコーチ野口の腹案では阿部、柴田、原田で五十勝、天保、鈴木、池田、佐藤で三十勝、あとを若手でおぎなって六割の八十八勝の計画。だがキャンプに見る原田はコントロールを気にしてドロップに鋭さがたらず、鈴木はまだ自信を回復していないようだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

榊原盛毅

2017-10-28 19:51:55 | 日記
1952年

大田垣の一年後輩、大田垣卒業後の尾道西商のエースとして危気なかった。先輩の後を追い、昨春広島に入団した。重い球でいいシュートを持っている。昨年は十五日登板で殆どリリーフ。対名古屋戦に一勝している。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鈴木幸雄

2017-10-28 19:48:48 | 日記
1952年

昨シーズン特異なアンダースローで二度迄も大敵南海から金星をかち得、ことに一度はシャットアウト勝を記録している。カーブとシュートを巧みに使いわけて強打者を手古すらせている。チーム内では、デン助の愛称で呼ばれている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

笠松実

2017-10-28 19:45:52 | 日記
1952年

昭和十二年阪急入りしたプロの古つわものである。終戦後は一時国民リーグにいたが、昭和二十五年広島入りでプロにカムバック。阪急時代は速球で打者を悩ましたものだが、年齢的にも大きく望むのは無理でシュートにも往年の威力は更にない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今西錬太郎

2017-10-28 19:43:10 | 日記
1952年

終戦後阪急に在りバリバリ仂いた。大洋入りは昭和二十五年で、力一ぱいふりかぶって投込む直球は相当な力を示し、胸元をつくシュートと大きなドロップのコンビネーションは、「あの体格で」と思われる程の鋭さがある。巨人にはとても強かった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

星田次郎

2017-10-28 19:31:48 | 日記
1952年

師範出の先生で、教員生活7年の変わった略歴を持っている。愛称は「センセイ」である。一時全京城の投手で活躍し二十年に中日入りした。武末ばりの下手投げ投手で、シュートのかかった浮き気味の球は、相当打ちにくい。伏兵的存在の投手である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中谷信夫

2017-10-28 19:24:40 | 日記
1952年

門鉄で一年間活躍。昭和二十二年南海に入る。長身のサウスポー投手で、鋭いシュートボールは威力がある。最近はスライダーもマスターして、いよいよ風格をあらわして来たが、昨年度は好調で十四勝二敗の成績をあげている。グラウンド・マナーがいい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

藤野光久

2017-10-28 19:20:47 | 日記
1953年

重い球、剛球、シュートボール、これが彼の武器だ。ノンプロ時代には大いに派手なプレートぶりを示した。昨年名古屋入りしたが、十九回登板三勝三敗で余り芳しくなかった。今年から二塁手となって、生来の強打駿足を生かそう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

銭村健三、銭村健四、光吉勉

2017-10-27 20:47:47 | 日記
1952年

広島カープに入団する日系米人の銭村健三、銭村健四および光吉勉(ベン)三選手は予定より遅れて十八日午前零時四十分、東京国際空港に到着、出迎えの石本前監督らとともに都内文京区駒込の宿舎錦水ホテルで来日第一夜をあかし、十八日午前十一時記者会見を行った。三選手はいずれも元気いっぱい「トレーニングは十分だからいつからでもプレーできる」と広島入りの抱負をつぎのように語った。

光吉勉選手「ジャイアンツの試合をフレスノで見たが、立派なチームだと思った。ぼくはカーブと速球が武器。肩には自信があるから出されたら思いきってびゅんびゅん投げてみる」

銭村健三選手「本職は二塁だがときにはリリーフに出たこともある。カーブならいくら投げても平気だ。監督さんがいうポジションならどこでも一生懸命にやるつもりだ」

銭村健四選手「去年来たときからどうしても日本に来たかった。巨人との試合にはフレスノ代表として二度ばかり出た。期待されて入団したのに打てなくては恥ずかしいから打撃に専念するよ」かろうじて日本語のやっとわかる銭村健三選手を通じてプロ入りの弁をのべる三選手はスポーツマンらしい明るさをたえずふりまいていたが、表情は真面目そのもの、会見中少しも態度をくずさない。石本氏も「宿舎でもぼくにタバコを吸ってもいいですか、ときいてからケースをとりだすほどで、摂生ということには感心するくらい気を配っている。監督絶対服従の本場で育ってきたかれらがグラウンド・マナーの点でも広島に新しい活気を吹きこんでくれるものと喜んでいる。銭村兄を一番、金山、銭村弟、小鶴、大沢とならべたいがやってみなければなんともいえない。しかしこれで広島の打線が一まわり大きくなったことは事実で、当面の課題は阪神を抜くことだ」といかにも満足そうだった。三選手は十八日間ホテルで河口代表と本契約調印をすませ、夜行で広島に向ったが、廿一日広島で行われる巨人戦から出場の予定。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする