1978年
・6年前、経営ピンチの西鉄球団を買収して以来、カラーユニフォーム時代の先がけとなったり、奇想天外なトレードやファン動員の派手な演出で、たえず「アイデア商法」を打ち出してきたライオンズ球団が、根本陸男監督の就任と同時に発足させたのが「中学生プロ養成システム」。これまでは、12球団の中でも最も短期決戦型の投資しかしなかったライオンズ球団が3,4年先を考えた選手育成法を採用したところに注目が集まった。「学びながらプロとして心技体を育てる」という狙いは、いまどんな形で実行に移されているのだろうか?
吉田大介投手と太田浩喜内野手「いずれも15歳」が昨秋、平和台で行われた新人テストの最終選考をくぐり抜け、ライオンズに「練習生」として入団したのは春浅い2月。入団時は中学3年生だったのだが、いまではそれぞれ福岡県内の定時制高校に通う「高校生プロ」である。二人が平和台に姿を見せたのは3月初めで、ファームに混ざって練習に参加した。毎日の日課を紹介すると午前9時半練習開始で短くて3時間半、長いときには5時間くらいグラウンドでみっちりシゴかれる。二軍が遠征している間は通学のため居残りになるが、その場合でも島原スカウトが百道練習場などで二人だけの猛特訓を続けている。高校は夜学だが、学校が自宅から近い太田クンの場合はまだしも、20キロ以上も離れた西戸崎という街から通ってくる吉田クンは、バスの所要時間が片道で2時間以上かかるという。午前9時半からの練習に間に合うためには、自宅を早朝の6時半に出なければならないのだ。さらに学校が午後9時半に放課後になったとしても最終バスで自宅に着くのが午前0時近くになる。睡眠時間は平均6時間ということになるから、吉田クンの最大の悩みは過度の睡眠不足になる。太田クン83番、吉田クン82番のユニフォームも板についてきた。どこへ行くのも二人連れで吉田クンは学生服で球場入りするが、太田クンはベージュのブレザーを新調して大人っぽくなった。両選手とも将来の主力候補なのだがプロとしての技術の習得はもちろん、根本監督が重要視しているのはプロとしての人間づくり。「派手な職業なんだから努めて地味に心がけよ」という監督の指示で伸ばしかけていた長髪も切り落とした。二人が「職業野球」に取り組む姿勢は真剣そのもの。太田クンはバント練習中に打球に食いついて、口元が大きくはれ上がった。吉田クンの方も球拾いの最中にボールの上に乗っかって左足をねん挫。バスの中で眠りこけて終点まで連れて行かれたこともあるが、まだネをあげたことはない。そんな二人は、いまでは二軍のマスコット代わりで加倉が太田クンに「一休さん」のニックネームを贈った。太田クンの目標は大先輩の基満男内野手。吉田クンの方は「400勝投手の金田正一」と夢はデッカイ。今はただ夢中で野球と格闘している感じだが練習生の生みの親、青木専務は「一つのメドとして高卒程度の3年後に、どの程度伸びているかに注目したい。あるいは即戦力になっているかもしれないのだから
・6年前、経営ピンチの西鉄球団を買収して以来、カラーユニフォーム時代の先がけとなったり、奇想天外なトレードやファン動員の派手な演出で、たえず「アイデア商法」を打ち出してきたライオンズ球団が、根本陸男監督の就任と同時に発足させたのが「中学生プロ養成システム」。これまでは、12球団の中でも最も短期決戦型の投資しかしなかったライオンズ球団が3,4年先を考えた選手育成法を採用したところに注目が集まった。「学びながらプロとして心技体を育てる」という狙いは、いまどんな形で実行に移されているのだろうか?
吉田大介投手と太田浩喜内野手「いずれも15歳」が昨秋、平和台で行われた新人テストの最終選考をくぐり抜け、ライオンズに「練習生」として入団したのは春浅い2月。入団時は中学3年生だったのだが、いまではそれぞれ福岡県内の定時制高校に通う「高校生プロ」である。二人が平和台に姿を見せたのは3月初めで、ファームに混ざって練習に参加した。毎日の日課を紹介すると午前9時半練習開始で短くて3時間半、長いときには5時間くらいグラウンドでみっちりシゴかれる。二軍が遠征している間は通学のため居残りになるが、その場合でも島原スカウトが百道練習場などで二人だけの猛特訓を続けている。高校は夜学だが、学校が自宅から近い太田クンの場合はまだしも、20キロ以上も離れた西戸崎という街から通ってくる吉田クンは、バスの所要時間が片道で2時間以上かかるという。午前9時半からの練習に間に合うためには、自宅を早朝の6時半に出なければならないのだ。さらに学校が午後9時半に放課後になったとしても最終バスで自宅に着くのが午前0時近くになる。睡眠時間は平均6時間ということになるから、吉田クンの最大の悩みは過度の睡眠不足になる。太田クン83番、吉田クン82番のユニフォームも板についてきた。どこへ行くのも二人連れで吉田クンは学生服で球場入りするが、太田クンはベージュのブレザーを新調して大人っぽくなった。両選手とも将来の主力候補なのだがプロとしての技術の習得はもちろん、根本監督が重要視しているのはプロとしての人間づくり。「派手な職業なんだから努めて地味に心がけよ」という監督の指示で伸ばしかけていた長髪も切り落とした。二人が「職業野球」に取り組む姿勢は真剣そのもの。太田クンはバント練習中に打球に食いついて、口元が大きくはれ上がった。吉田クンの方も球拾いの最中にボールの上に乗っかって左足をねん挫。バスの中で眠りこけて終点まで連れて行かれたこともあるが、まだネをあげたことはない。そんな二人は、いまでは二軍のマスコット代わりで加倉が太田クンに「一休さん」のニックネームを贈った。太田クンの目標は大先輩の基満男内野手。吉田クンの方は「400勝投手の金田正一」と夢はデッカイ。今はただ夢中で野球と格闘している感じだが練習生の生みの親、青木専務は「一つのメドとして高卒程度の3年後に、どの程度伸びているかに注目したい。あるいは即戦力になっているかもしれないのだから