プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

吉田大介&太田浩喜

2013-11-30 00:55:13 | 日記
1978年
・6年前、経営ピンチの西鉄球団を買収して以来、カラーユニフォーム時代の先がけとなったり、奇想天外なトレードやファン動員の派手な演出で、たえず「アイデア商法」を打ち出してきたライオンズ球団が、根本陸男監督の就任と同時に発足させたのが「中学生プロ養成システム」。これまでは、12球団の中でも最も短期決戦型の投資しかしなかったライオンズ球団が3,4年先を考えた選手育成法を採用したところに注目が集まった。「学びながらプロとして心技体を育てる」という狙いは、いまどんな形で実行に移されているのだろうか?
吉田大介投手と太田浩喜内野手「いずれも15歳」が昨秋、平和台で行われた新人テストの最終選考をくぐり抜け、ライオンズに「練習生」として入団したのは春浅い2月。入団時は中学3年生だったのだが、いまではそれぞれ福岡県内の定時制高校に通う「高校生プロ」である。二人が平和台に姿を見せたのは3月初めで、ファームに混ざって練習に参加した。毎日の日課を紹介すると午前9時半練習開始で短くて3時間半、長いときには5時間くらいグラウンドでみっちりシゴかれる。二軍が遠征している間は通学のため居残りになるが、その場合でも島原スカウトが百道練習場などで二人だけの猛特訓を続けている。高校は夜学だが、学校が自宅から近い太田クンの場合はまだしも、20キロ以上も離れた西戸崎という街から通ってくる吉田クンは、バスの所要時間が片道で2時間以上かかるという。午前9時半からの練習に間に合うためには、自宅を早朝の6時半に出なければならないのだ。さらに学校が午後9時半に放課後になったとしても最終バスで自宅に着くのが午前0時近くになる。睡眠時間は平均6時間ということになるから、吉田クンの最大の悩みは過度の睡眠不足になる。太田クン83番、吉田クン82番のユニフォームも板についてきた。どこへ行くのも二人連れで吉田クンは学生服で球場入りするが、太田クンはベージュのブレザーを新調して大人っぽくなった。両選手とも将来の主力候補なのだがプロとしての技術の習得はもちろん、根本監督が重要視しているのはプロとしての人間づくり。「派手な職業なんだから努めて地味に心がけよ」という監督の指示で伸ばしかけていた長髪も切り落とした。二人が「職業野球」に取り組む姿勢は真剣そのもの。太田クンはバント練習中に打球に食いついて、口元が大きくはれ上がった。吉田クンの方も球拾いの最中にボールの上に乗っかって左足をねん挫。バスの中で眠りこけて終点まで連れて行かれたこともあるが、まだネをあげたことはない。そんな二人は、いまでは二軍のマスコット代わりで加倉が太田クンに「一休さん」のニックネームを贈った。太田クンの目標は大先輩の基満男内野手。吉田クンの方は「400勝投手の金田正一」と夢はデッカイ。今はただ夢中で野球と格闘している感じだが練習生の生みの親、青木専務は「一つのメドとして高卒程度の3年後に、どの程度伸びているかに注目したい。あるいは即戦力になっているかもしれないのだから
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊藤正信

2013-11-28 22:07:33 | 日記
1972年

「うれしい二位指名」

南海球団からドラフト二位で指名された伊藤正信投手(25)=富士重工=は中京商卒業後福島県の清峰伸銅に入社したが、同社の野球部が休部になったため、四十一年九月富士重工群馬製作所に入社、当時は石幡信弘投手=現大洋球団=などのかげにかくれて目立たなかったが、三年ほど前から頭角をあらわし、四十五年に東映に入団した皆川康雄投手(25)=パ・リーグ四十六年新人王=昨年南海からドラフト一位で指名され入団した野崎恒雄投手(25)と並ぶ三羽烏となって活躍した。昨年は野崎投手と並ぶ立派な成績を残した。小柄ながら速球を武器とする本格派で、この数年の防御率は1・8で安定したピッチングをみせている。今夏の都市対抗大会では日立製作所に補強され後楽園に出場している。右投げ右打ち、身長170㌢、体重74㌔、岐阜県出身。伊藤投手は「まだ南海球団から正式な話はなく、きょう園田監督から指名されたことを聞きました。プロでやっていけるかどうかは別として、二位の指名を受けたことはとてもうれしい。同僚だった野崎投手が昨年南海に入団しており、同じ球団から指名を受けるとは意外だった。正式な入団交渉があった時点で会社側、監督、実家とよく相談して、身の振り方を決めたい」と語っている。また、富士重工ではまだ南海側から正式な話がないためノーコメントだが、この三年間毎年エースをプロ野球界に引き抜かれており、伊藤投手は来季の戦力に欠かせない選手であることから、同投手のプロ入りに難色を示すものとみられる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中谷賢平

2013-11-28 22:05:23 | 日記
1978年

・阪神、中谷投手が文字通り野球生命をかけた年を迎えた。いまをときめく掛布と同期生。掛布がテスト生同然のドラフト6位なら、中谷もテスト生。昨年暮れの契約更改。ともに96万円でスタートした年俸が、掛布は約15倍にあたる1500万円。
一方の中谷は「バッティング投手専任になってくれないか」と打診された。「戦力に入ってない」という冷たい通告であった。たとえファームにいても「いつかは・・・」一軍入りの夢がある。しかしバッティング投手専任になるということは、そのたった一つのユメをも断ち切ることになるのだ。中谷は夜も眠れない日が続いた。しかし、球団の申し出をどうしても受け入れることはできなかった。三度目の交渉で、今年も選手としての契約が決まったのである。「どうしてもあきらめ切れなかったんです。こうして社長にムリを聞いてもらった以上、何が何でもやらんとあきまへん。」掛布はホッとしたようにつぶやいた。「ほうんとうによかった。彼ならきっとがんばってくれるはずです」掛布の励ましを受け、中谷は決意を固めてマウンドに立つ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊藤嘉彦

2013-11-28 20:57:11 | 日記
1979年

・宮崎県では有名な進学校、延岡西高出身。ドラフト指名されるまでは東京六大学を目指して連日、猛勉強をつづけていたという。しかし、まさかのプロからの誘いに気持ちは一転。「同じ野球をやるなら始めからプロに飛び込んだ方がいい」と
スムーズにカープ入りした。キリリとした顔つきは、映画俳優の菅原文太に似ていることから、学校では「ブンタ君」と呼ばれていた。ベース一周14秒5、遠投は120メートルの記録を持つ鉄砲肩である。高校時代通算打率363、本塁打は5本という中距離バッター。シュアーな打力に軽快なフットワークは「高校ではあまり鍛えられてないだけに、専門的にコーチされれば急速な進歩が期待できる」と山本打撃コーチは、早くも熱心な指導ぶりだ。伊藤選手は「一日も早く一軍に上がって試合に出たい。高橋慶彦さんを目標にがんばります」と人一倍の練習を心がけている。


伊藤選手1979年ファーム成績
9試合、8打数2安打、打点3、三振3、打率250
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏目隆司

2013-11-28 20:56:10 | 日記
1977年

・阪急の「タカシ」といえば、快速球の山口高志にきまっているのだが、二人目のタカシは、これまた山口と似た速球投手。いやボールの速さだけなら山口以上という評判。この噂の投手は今年入団のルーキー夏目隆司「21歳」で、176cm、65キロ。三ケ日高「静岡」を出てから家業のミカンやイチゴを作るために、県立農業短大に入りながら、機械部品メーカーの会社の野球部に籍を置きプロ入りのチャンスを待った。昨秋、多摩川で巨人の新人テストに応募したが不合格になり、それではと、阪急のテストを受け見事合格した。背番号も当然ファーム並みの「62番」を与えられたが、そんな事情を全く知らない
、モーガン投手臨時コーチは目ざとく夏目を発見、これこそ大投手と褒め上げた。同コーチにいわせると、ボールの速さと素質はベリーグッドだという。ミットを構えて相手になる河村捕手いわせれば「ものすごく速いし、低目の球などは、ちょっと打てないのではないか」というほど。それにコントロールがいいのも新人ばなれしている。阪急は今年から従来の1,2軍に加え、3軍制を採用する。ルーキーの夏目も当面はここでみっちり基礎体力をつけて、実戦を目指すことになる。「3年間やってみてダメならあきらめますが、巨人の堀内さんのような投手になりたい」と、本人は一日も速い一軍入りに意欲を示す。
梶本投手コーチは「腰が高く低目の球に弱点があるが、スピードがあるので意外に早くチャンスをつかむだろう」と可能性の大きさを認めている。2,3年後には先輩の「山口」タカシ君とのコンビが阪急の目玉商品になるかも知れない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする