プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

川本和宏

2021-08-30 11:48:44 | 日記

1980年

中学時代(大阪・矢田中)は投手だったが、天理に入ると同時に、打撃を買われて野手に転向した川本。再び投手に戻ったのは県大会前の六月から。投手としての経験が浅く、地区大会でも完投したのはわずか2試合。恐らく本人も本番で完投出来るとは思っていなかったろう。それが苦しみながらも157球の完投勝ち。「完投ペースなんてわかりません。ストレートが思い通りに決らず苦しかったが、勝てば百点満点です」と、背番号9のエースは振り返った。二年生の川本にとって、2時間5分のドラマは、ピッチャーとしての楽しさと苦しさをたっぷり味わった時間だった。

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伊藤博之

2021-08-29 09:00:19 | 日記

1982年

エース伊藤は球速のあるストレートと変化球に進境を見せて安定感を一段と増した。連投出来るスタミナがつけば万全。

自彊は三次工・伊藤の制球の乱れと守りのミスに助けられた。四回、捕逸で幸運な1点を先制。同点とされた直後の八回、安打と2四球でつかんだ一死満塁に井上が四球で決勝点を挙げ、九回にも四球と安打、スクイズで3点を追加した。

伊藤は八回まで毎回の13三振を奪ったが、終盤タマが上ずり四球を連発、力尽きた。

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兼光保明

2021-08-28 23:34:50 | 日記

1976年

球速は山陰球界では勿論、全国的にも有数で上手からのストレート、カーブは制球力も十分、ややサイド気味のカーブは面白い。

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土田嘉徳

2021-08-28 23:31:25 | 日記

1984年

ドラフト外、契約金1000万。昨年の入団テストに合格。即戦力ではないが、将来が楽しみ。サウスポーだけに期待も持たれている。まずプロの身体を作ることだ。

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加藤将斗

2021-08-28 23:26:54 | 日記

1994年

意表をつく、二日連続の先発。二十一歳の左腕が、「連敗しない」という巨人の神話を崩した。同時に、最下位からも脱出させた。加藤は前日、一回に松井の打球を右足首の上に受け、わずか11球で降板していた。でも、この日は痛みもなく、練習前から腹立たしさでいっぱいだったという。そこに、近藤監督が声をかける。「悔しいだろう?じゃあ、今日も投げろ」ローテーションでは斎藤隆の予定だった。でも、横浜の台所事情は苦しい。斎藤隆を、次の好調・阪神戦にぶつけるための、苦肉の策だった。近藤監督は「あいつの意気込みにかけようと思ったんだ」と言う。加藤にとっては、願ってもないチャンス。大阪に住む母親の久江さん(47)からは「もうちょい、テレビに映れ」と言われた。巨人戦3試合連続の先発だが、前の2試合は、早く降板し、ほとんど映らなかったからだ。思い切った投球だった。カーブ、フォークがさえ、松井も完ぺきに抑えた。落合の1安打だけで、自己最長の6イニングスを無失点で終えた。「次は、完投したいですね」表情に、自信が芽生え始めていた。

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松修康

2021-08-25 15:21:46 | 日記

1998年

140キロ台の直球、カーブ、スライダーを低めに丁寧に投げる大学ナンバーワン左腕。177センチ、70キロ。

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高村洋介

2021-08-25 11:12:09 | 日記

1992年

彼はもうすぐ27歳になる。さすがに、ファームの選手の中では考え方がしっかりとしているし、社会人の本田技研でサラリーマン生活を送った経験もあることで、世間の厳しさも肌で知っているようだ。高村はドラフト外で入団し、この3年間、ずい分と苦労してきた。入団したシーズンに、右足のふくらはぎに重度の肉離れを起こして、治療に専念するために任意引退扱いになったこともある。こうした試練を乗り越え、一軍のマウンドも踏んでいるが、本人の話によれば「任意引退扱いになったシーズンの終了間際に、一軍の大洋戦に登板した時は本当に感激した」とか。コーチの高村評は「磨けば光るものがあるのに、こちらがアドバイスしても、なかなか結果が出せてない。本人も一生懸命になっているのは分かるんですが」と手厳しい。18試合というチーム内では最多の登板数が証明する様に、大きな期待を背負って実戦の中で腕を磨いていこうとしているところだ。ピッチングは、ノンプロでのキャリアがあるだけに、きっちりとまとめるのは上手い。しかしこれは、見方によっては安心感はあっても、豪快さには欠ける。このタイプの投手は、ファームでは使えても、一軍の好成績は望みにくい。多少の難はあっても、何か一つの大きな魅力がある投手が伸びるのだ。そういう面を引き出そうとして、コーチ陣も数多くマウンドに上げているのではないか。このところ、追い込んでからのスライダーの使い方が巧みになり、球のキレもよくなってきた。また、内角へ思い切って速球を投げ込むことが、できている。それまで、外角球で打者を打ち取ることばかり考えているようなピッチングをしていた高村にとって、これは収穫の一つとして上げられるだろう。試合で投げているのを見ると、彼がテーマを持って臨んでいるのがよくわかる。これは非常に大切なことであるから、残り試合も少なくなった中で、今週は何をテーマにした投球をするのか、それに注目している。

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斉藤貢

2021-08-25 10:57:27 | 日記

1995年

村田コーチが「頭のよさと度胸のよさ、これだけは書いといてよ」というルーキー。初先発のロッテ戦では中継ぎ投手陣の乱調で負け投手になった。そこで、というわけでもないだろうが、この日は一人で投げ切った。立ち上がりこそ高めに浮いて渡辺に二塁打を浴びたが、二回以降は内野安打2本だけ。村田コーチは早くも四回に完投を予測したという。カーブで追い込んで、決め球は内角に直球とシュート。日本ハムも当然、内角の速い球に狙いを絞ったが、ゴロの山を築くだけに終わった。明大の野球部に入って半年で中退。フリーター生活中に埼玉・所沢駅前で偶然出会ったのが当時プリンスホテルの監督だった石山・巨人ファームディレクター。「ぶらぶらしとるんだったら、プリンスで投げてみないか」との誘いが、破れかけた野球への夢を紡ぎ直すきっかけになった。「こんな形でプロで勝てるなんて、思わなかった。野球に戻してくれた人たちに感謝します」としみじみとつぶやいたのは、一度挫折した選手の本音だろう。両親の目の前で得たウイニングボールは人生の記念品。「両親にあげようと思ったけど、自分で持っていることにします」としまいこんだ。

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宮川晃

2021-08-23 12:54:09 | 日記

1992年

宮川は、今年3年目になるが、一軍はおろか、ファームでもほとんど実績がない。1年目はまず肩を壊した。続いて腰の肉離れで棒に振った。2年目は、打者の打ったライナーを首の下に受け、骨にヒビが入った。2週間の投球禁止令を守らず、1週間を過ぎた頃、ボールを握り悪化させ、結局1カ月以上、長引かせてしまう。その後、一軍のバッティング投手に指名され投球をしたら、ヒジを痛めて曲げ伸ばしが出来なくなる。とまあ数えたらキリのないほど、故障を起こしている。昨年は、イースタン2試合に登板、初登板の大洋戦は、無死満塁でリリーフに立ち、一人押し出し、2人目にも2ボールになったところで、一死もとれず交代。次の登板は巨人戦で1回を投げ5失点というありさま。まさに不運の2年間を過ごしてきた。本人も、いつクビを宣告されるかと、ビクビクしていたらしい。しかし宮川は本来メンバーに予定されていなかった黒潮リーグ行きでチャンスをつかんだ。球界では断然有利といわれる左利き。変化球でかわし、真っすぐでコースを丁寧につくピッチングが一軍首脳陣の目にとまり、ようやくツキが回ってきたようだ。今年に入って鴨川キャンプ最終日に一軍合流。晴れて第二次名護キャンプに参加した。変化球も心許ない宮川の長所といえば、タイミングの取りにくいタイプの投手ということ。腕が遅れて出て来るので、球の出どころがはっきりしない。しかし4月13日、シート打撃に登板した宮川を見て、正直がっかりした。ファーム落ちのショックと一軍の疲労を考えても、下半身の粘りがない、コントロールが悪い、真っすぐのスピードが遅いと散々な内容だった。あれでは、首脳陣も怖くて試合では使えまい。良い悪いの差がありすぎるのは、まだまだ投げ込み不足、スタミナ不足。日替わりで体調が変わらないための走り込み、筋力トレに加え、数多くのゲーム経験が必要となるだろう。オープン戦後半、一軍に帯同した自信が、本当のモノになるように、今こそ苦しい練習で自分をイジめ、強い筋力と強い精神力を身につけてほしい。

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田子譲治

2021-08-22 08:26:32 | 日記

1981年


長い間低迷していたが、昨年夏の地区大会は決勝戦に進出、甲子園へあと一歩と迫った。そのときの投手が、打の大黒柱でもある田子。1㍍76、73㌔で、上手から低目に決める速球と大きなカーブが武器。一回戦の青森・東奥義塾戦では、内野安打1本、三振16を奪う豪腕ぶりを発揮、地区大会の43回3分の2の防御率0.79の好記録を実証した。

1986年

来シーズンへの期待の星も生まれた。田子譲治投手が7日の日本ハム戦、今季初登板で敗戦処理ながら4回を2安打に抑える好投を見せたのだ。6回、いきなり二死一、二塁のピンチを迎えたが、それを乗り切りス~イ、スイ。「やっぱりアガりました。最初のピンチを切り抜け、ホッとしたハズなんだけど。最後まで何が何だかわからないうちに終わってました」

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藤本雄司

2021-08-21 15:56:09 | 日記

1981年

昨年の夏、秋ともにベスト4に進出。着実に力をつけてきており、今大会も大黒柱藤本投手が健在で有力校のひとつにあげられる。エース藤本は県高校球界を代表する速球投手。180㌢の上背を利して真っ向から投げ込む速球は威力十分で、時に高め球には力があって、これをとらえ切るのは簡単でない。速球がいいのでカーブも他投手以上に効果がある。この二つがうまくミックスされると、いかに強力打線といえども攻略は簡単ではないが、難点は制球力の物足りなさだ。特にカーブはスッポ抜けたり、バウンドしたりといったケースが目立つ。大会への調整課題は制球力アップに尽きる。

「やっぱり、精神力に尽きるでしょう。ここ一番に踏んばれない。追いかける力がないんです」0-6、右の本格派藤本を擁し、ようやく「ねらえる力」を備えてきたと思われていた安芸工、無念の敗退である。池内英夫監督の表情は、やりきれなさを映してなんとも複雑だ。「まず、相手は藤本でしょう。先行したら4~5点はいける気もする」とは、高知・岡本監督の試合前の談話だ。ズバリ、予想通りにゲームを運んだ格好だが、安芸工のエース藤本にすれば、初回の一球がなんとも痛い。「もちろん、藤本1本でいきます。一、二回をうまく(0点で)抜ければ、あとはリズムに乗ってくれると思います。カーブが決まれば、そう打たれんでしょうね」(安芸工・池内監督)その願いは、初回早くも崩れた。簡単に二死、カーブも決まって快調の滑り出しに見えたのだが、続く森本に死球、次打者にはストライク一つの死球を与えてしまう。「制球が課題」-マウンドの藤本に、ふと不安がよぎったのかもしれない。警戒すべき高知の五番宮脇への第一球は、ボールを置きにいく感じの外角高めストレート。右越えの三塁打になってもちろん走者一掃だ。「真っすぐが高めへ入って…。でも、あの2点で抑えるつもりやったんです」と藤本。事実、二回からは県内屈指の本格派らしい、けれん味のないピッチングを見せ、六回まで高知打線を、安打なしで完封する。二、四回には自ら中前打してチャンスの芽をつくるのだが、高知・田中の、かなり気をよくしてのピッチングに後続なし。「あと1点もやれない」と、懸命に踏んばるのだが、いったん高知に向いた流れを変えられない。右手中指には新しいマメが出来ていた。投げるたびに、ジーンとする痛みが伝わってくる。七回、一死から3連打を喫し、致命傷の3点めを献上してしまう。逆転の望みは消え、藤本にもう踏んばる力は残っていなかった。九回、マウンドには二年生の山本実が送られ、一塁に回った藤本のバットは、カーブにむなしく空を切って安芸工の夏は終わった。昨年の大会は、事実上のエースとして投げ抜き、チームもベスト4に進出している。はっきりAクラスと認められて臨んだこの夏、あっけなく初戦で消えた安芸工…。「ボクとしては抑えるつもりで投げた。悔いは残るけど、相手が高知だから‥」「仕方ない」と藤本はいわなかった。チーム創設(48年)から九年、「精神力、それだけですよ。力そのものはどこと比べても変わらんと思う。あすから出直しです」十年めに向けて、池内監督は語気を強めていた。

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金城鉄治、比嘉良智

2021-08-21 15:34:42 | 日記

1982年

優勝候補の最右翼。エースナンバーをもつ三年の金城は183㌢と長身。スピードのあるストレート、落差の大きいカーブに威力がある。二年生の比嘉良も重い速球とカーブが武器。

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吉井英昭

2021-08-21 07:11:14 | 日記

1992年

8月2日、吉井はまた、先発のチャンスを雨で流してしまった。今季、これで6試合目。「まったくツイてないですよ」と肩を落としていたが、オールスター期間中の練習で紅白戦に登板し、モトリー、高沢ら一軍メンバー相手に、2回を2安打と好投した吉井に対し、首脳陣も後半戦は出来る限りチャンスを与える方針でいると聞く。ファームに20人の投手を抱えるロッテは、故障選手が少ないうえに、ローテーションが決まっている編成上試合に出るのは並大抵ではないはずだ。それを考慮すれば、吉井に対する首脳陣の期待は、かなり大きい。持ち球の中では140㌔台の速球とフォークに威力がある。遠征に帯同しなかった小宮山が浦和球場へ調整に来た時、吉井はブルペンで並んでピッチングを行っていたが、球のスピードは、小宮山の投げる球と全く見劣りせず、フォークも自由に投げられる魅力があった。その上、ピッチングを終えてからマウンド上で自らのステップを歩幅で確認していた。調整してから吉井にとって、フォーム矯正の毎日が続くが、普段のブルペンから、しっかりチェックしている姿勢には驚いた。だが、今の投げ方では、打者にとってタイミングが合いやすいという欠点がある。腕をトップの位置から振りおろす時、もう少し遊びがあれば、球は見にくくなるのではないだろうか。また、昨夏、スライダーを覚えようとして失敗したが、今の吉井は新球をマスターするよりも、直球、カーブ、フォークに磨きをかけ、確実性をつけることを優先してほしい。元々、器用な方ではないのだし、フォークが落ちなくなる危険性もはらんでいるからだ。一見、ひ弱そうな吉井だが、ルーキーの昨季から22試合に登板。今季も122試合に登板している。同期の榎が、故障で試合に出ていないのと比べれば、プロとしての体はできているようだ。漁師の家庭に育ち幼い頃から舟に乗り、魚を捕る手伝いをしてきたことが、今の吉井を形成しているのであろう。しかし、北国生まれで暑さには弱い。ボールを投げられないほどバテるそうだ。しかし、今年はジュースの量を減らしたり、クーラーを我慢するなど夏場対策は怠らない。そして、努力は実を結んでいる。選手がすべていなくなったグラウンドの土を、一人丁寧にならす吉井の後ろ姿に、私は、微細な投手は大成するという言葉をそっと投げかけた。

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渡部高史

2021-08-21 06:54:47 | 日記

1992年

8月28日、対日本ハム戦。7回途中、先発の友利に代え、2番手として中塚二軍監督は渡部にスイッチした。一死一、二塁から藤王に四球、矢作にタイムリーを打たれて1失点。ダブルプレーで後続は断ったものの、ベンチへ帰る渡部を待ち受けていたのは、中塚二軍監督のカミナリだった。「左打者相手に、何というピッチングをしているんだ。自分の役割を考えてみろ」渡部は、開幕時の40人枠には抜擢された。しかし、チャンスのないまま、6月の入れ替えで一軍昇格の夢が消えた。左投手不足のチームならともかく、渡部が左腕王国の大洋に入団したのは、不運だったかもしれない。それでも首脳陣は、何とか彼をワンポイント要員として育てる方針でいる。ファームでも、6月中の1試合を除いて、全試合ブルペンに入れ、登板に備えた肩作りをさせている。マウンドに上がる場面も、ほとんどがランナーを置いて左打者が打席に立つというケースである。「本当は先発完投型の投手に憧れますが」といいながらも、渡部は期待に応えている。投手にとって、一番キツイ8月、渡部はすこぶる好調だった。ナイターが多かったり、コンディションとしては投げやすさもあったのかもしれないが、8月13日の巨人戦ではMAX138㌔、今季最速を記録した。全体的に球のキレも見られ、2年目、しかも北海道出身を加味すれば、体は強いようだ。ストライクが先行した時の渡部は、ボール球をうまく使って相手を料理している。だからストライクが入らなくなると苦しい。四球、四球でランナーを貯めて自滅というパターンになる。体に強さはあっても柔らかさが少ない上に、どうしてもピンチで登板するので力む。腰が浮く、体が開く、コントロールが乱れるのである。体の硬さを克服するために毎日、風呂場での柔軟体操を欠かさないという渡部だが、精神面での自信も必要。それには、これなら絶対大丈夫。という得意球を一つ持つことが今後の課題だ。直球は左にしては速い、スライダーも威力はある。あと、タイミングをはずすカーブと打ち気をかわすシュートを完全にすれば、一軍合格間違いない。話していると淡々としているのがもう一つの気掛かり。若いのだから、気迫や貪欲さを表に出せば、成長は決して止まらないはずである。

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美口博

2021-08-20 11:32:12 | 日記

1975年

右本格派の美口は伸びのあるストレートの威力十分。スタミナに不安を残しているが、制球力がついたのでぐんと安定してきた。

やはりチームの大黒柱は美口投手。確かに県予選ではピリッとしたところに欠けたが、長身からの速球とカーブで30イニングスを自責点1.80に切り抜けたあたりはその非凡さがうかがえる。

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