1966年
中日ドラゴンズの田村スカウトは七日正午すぎから東京・内幸町飯野ビル内のレストランキャッスルで、第二回選択会議で交渉権を得た駒大の伊藤久敏投手(22)と二回めの入団交渉を行った。第一回の交渉で条件をきいた伊藤は郷里の久留米市に帰って父親三義さん(61)と相談し、中日入りを決意、この旨返事をしたもようだが、日通に就職が内定しているので、七日夜上京する父親といっしょに八日、日通をたずね、了解を得てから近日中に中日と正式契約する。六大学、東都を通じて左腕のナンバーワン投手。オーバースローの速球と、落差の大きいドロップが武器。またコントロールは無類でことし無四球試合7を記録。高校時代(久留米商)は三十七年夏の甲子園大会に出場、作新学院と優勝を争って加藤(故人、中日)と投げ合って敗れたが、超高校級の折り紙がつけられた。175㌢、72㌔、左投げ、右打ち。
伊藤投手の話 プロでプレーする気持ちがかたまりました。ただ日通に就職が内定しているので父親と八日、日通へあいさつにいきます。