プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

石戸四六

2017-04-30 16:51:52 | 日記
1967年

中原ヘッドコーチの話は、まるで打撃担当のような口ぶりだった。「七回の2点とロバーツの一発がものをいったな。あれがなかったら予定がまるで狂ってしまうところだったヨ」七、八回の追加点は、追いすがる中日にとどめを刺した形。打撃コーチでもない中原ヘッドコーチがなぜ喜ぶのか。「石戸が完投勝ちしたら、巨人戦がラクになるやないか。これでローテーションがぐっと組みやすくなった」中原ヘッドコーチの目は四日からの対巨人戦(神宮球場)にむけられていた。巨人キラーの鈴木にはフル回転してもらわなければならない。もし、後半の追加点がとれなければ、石戸の完投は実現したかどうか・・・。「中日に勝って、その勢いを巨人にぶつける」という計算は予定通りになった。石戸は中日に強い。今季8勝のうち、4勝を中日からあげた。「バックが中日戦になると点をとってくれる。ピッチングがラクになるのさ」昨シーズンのニガ手を、今季はカモにしている石戸のセリフらしい。「この試合もそうだヨ。ウチが三回に4点とったら、中日はバントやヒットエンドランをしかけてこなくなった。そうすりゃこっちのものだヨ」最後の打者、広野を二塁ゴロにうちとってベンチにもどるなり、石戸はくずれるように長イスに腰をおろした。川小チーフマネジャーの差し出すライターで、うまそうにタバコを一息吸い込んで、「つかれた・・・」心底からそういったときの感じは、十分たったロッカールームではもうなかった。「シュートのキレがいいときは、絶対に打たれない。この試合も内角のタマが実によかった。疲れが、みえたのは、九回だけじゃないかな」女房役、岡本捕手の石戸評だ。完投勝利は四月十一日の広島戦いらい約四か月ぶり、オールスターゲーム明けの広島戦(七月三十日、神宮)には二回に一死もとれずKOされている。「シュートのできひとつできまるんだ。好不調の波をなくす必要が第一の課題」岡本捕手はめずらしく地味な表現で石戸をほめた。投球数143、9安打され、三者凡退に終わらせたのは三回表だけ。エラーが出たり、騒動があったりで、どこかすっきりしなかった完投勝ち、三回に右足太モモへ死球を小川にぶっつけられ、あやうくケンカになるーほどエキサイトした。「中日には四つも勝っているが、ほんとうは巨人のほうがやりいい。先に得点さえとってくれればね・・・」石戸は今季巨人からまだひとつも勝ち星をあげていない。それでもなお投げやすいと闘志を燃やす。対巨人4連戦でもう一度石戸の快投あみられそうだ。

サンケイ・飯田監督の話「石戸がいいピッチングをしてくれた。三回で小川を打ちくずしたこと、七回にも2点、それにロバーツの3ランホーマーと打線も効果的な点のとり方をしてくれた。この勢いで巨人戦も戦っていきたい」
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交告弘利

2017-04-29 17:08:38 | 日記
1962年

岐阜短大付属高の左投手交告(こうけつ)弘利選手(17)=左投左打、1㍍80、75㌔=はこのほど高校を二年で中退、阪神入りすることになった。中日、近鉄、南海も誘っていたが、三十日夜、岐阜県中津川の自宅で阪神河西スカウトが快諾を得た。同投手は速球を投げおろす本格派。コントロールの点にまだ問題はあるが、将来を期待される。阪神はことし五月ごろ河西スカウトが目をつけて岐阜通いをつづけたが、この間に地元中日・本多スカウト、近鉄の江田スカウトらも動きはじめ、とくに中日がひところは有力だった。

阪神・戸沢代表「五月ごろから交渉をつづけていたが中日がおりたので、ウチへくることが九分どおりきまった」

阪神・河西スカウト「ほかの球団も目をつけていたのだが、どうやらウチの勝利のようだ。これからドンドンのびていく選手だ。素質も十分あるのでうまく育っていけば主力になると思う」
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山口昌明

2017-04-29 12:58:13 | 日記
1967年

西鉄ライオンズは一日、山口昌明投手(22)の退団を発表した。同投手は佐賀県鹿島実高から南海に入団、昨年西鉄に移籍した投手。おもにバッティング投手をつとめていた。家庭のつごうで退団することになったもの。
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無徒史朗

2017-04-29 12:24:03 | 日記
1967年

快進撃をつづけるアトムズ・・。原動力はもちろんJR砲であり、投手陣の立ち直りだ。だが、それだけでは完全ではない。いぶし銀のような脇役が、必ずいるものだ。アトムズの場合は、それが無徒だった。村田が、こんなことをいった。「無徒って、ものすごい腕前をもった傭兵って感じだよ。マウンド上で、じっとみてたら、打たれるような気がしない平凡な打者なんだ。ところがどっかい、こいつが大将の首をかっさらっていく・・・」今シーズン、代打ばかりで16打数5安打、二塁打1本、本塁打も1本。打率3割1分3厘は、レギュラー選手ならゆうに4割以上の打率と同じだ。「オレは守備はへたくそ。バット一本に自分の人生をかける。いまのプロ野球には、こんな男がひとりくらい、いてもいいんじゃないですか」定位置獲得だけを目ざす、優等生選手の多いなかで、異色な存在だ。飯田監督は、話が無徒のことになると、舌がよく回りだす。「昨年から、代打男に仕立てようと思っていたんだ。夢がやっと実現したよ。あの根性、戦局を自分のハダで分析する能力・・・。得がたいバッターだ」春のオープン戦で、サンケイが南海と対戦したとき、無徒は、鶴岡監督に、こっぴどくしかられた。「おまえらを、東京へ遊ばしに行かせたんやないぞ、ボヤボヤするな・・・」一瞬、無徒はムッとしたらしい。ことしの湯之元キャンプで、どれだけの気合いをいれて練習に打ち込んだか、鶴岡監督は知らなかった。「一年目は、セ・リーグの投手のタマにとまどった。だけど、ことしは、すんなりと引っ込めない。オレだって、プロ入り五年目。クビになるかどうかの境目だもの」現在、2試合連続代打でのヒットをとばしている。無徒の記憶では、7試合、つづけて塁に出たことがある。「代打というのは、いいですね」とうそぶくだけであって、度胸は満点。ニックネームはイモ。にきびのあとだらけの顔がジャガイモそっくりなところからつけられた。そのことをひやかすと、本気になって怒り出す。生一本で、いちずな生き方が、代打というむずかしい仕事を、やりとげさせるのだろう。大阪・大倉高出身、四十年に南海から移籍、右投げ左打ちの内野手。
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松本忍

2017-04-29 11:30:40 | 日記
1967年

佐藤はスタートそうそう激しく打ちこまれた。コントロールに甘さがあったからである。1-2から江藤に禁物の外角より高めのスライダーをたたかれ、千原には2-2から肩口をねらったさそいダマがマークのあたりにはいってしまった。低めの狂いならキズも浅いが、高めの失敗は始末が悪い。失投は投手にとってはさけられないものであろうが、それも相手とケースによりけりだ。いささか不用意の感はまぬかれない。しかし一回の失敗が身にしみたのであろう。二回からは低め攻めに徹した。もっとも三回、中、法元、高木守がいずれもはっきりボールと見られるタマに手をだしていたのも佐藤にとっては救いだった。七回、千原に左中間を破られ、代打葛城に外角やや高めのストレートを中堅へたたかれたのは球威の限界を感じさせた。中日には意外にもリリーフ専門の板東を初先発させた。先発組が手づまりでローテーションが狂ったあげくの苦肉の策である。しょせん、長つづきは期待できない。それだけに板東の次にだれを起用するか、注目された。西沢監督はバクチをうった。左腕松本の起用である。松本はことし、阪神二回戦、サンケイ八回戦と二度登板しているが、いずれも勝敗に関係なし、いってみれば敗戦処理であった。ひょうたんから駒がでたといえば、本人には不満かも知れないが、四回、バトンを受けついでからあれよあれよという間に終盤まで投げ切った。五回矢ノ浦に内角球を右前へ巧打され、ロバーツには外角速球を中前へ痛打された。次のジャクソンが左であったため続投になったのであろうが、代えどきとみた。ところが、ジャクソンが内角高めのボールに手を出したため救われた。西沢バクチの成功である。サンケイの打者にしてみれば、実績のある相手ではないだけに、いつでも打ち込める、長つづきはしないだろうといった安易感があったと想像される。実はここに落とし穴があったのだ。もちろん、松本にも「打たれてもともと」といった気やすさはあったろう。この心理が双方に大きな影響を与えたと見ていい。技術的な面をいえばストレートはそう速くないが、カーブの切れはシャープだった。シュートも右打者の外角低めにかなり決まっていた。だが、制球力がいまひと息である。だからサンケイ打線にもう少しじっくり攻める慎重さがあれば、攻略できたであろう。バッティングアイが粗雑だったことに加え、いつでも攻め落とせると軽く見たのが、意外な悪循環を招いたようだ。
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松本忍

2017-04-29 11:29:18 | 日記
1967年

養成選手ー中日・松本忍投手(19)にやっと五年目の春が訪れた。長崎県諫早市の北諫早中を卒業と同時に、三十八年、中日入りした松本は当時まだ十五歳。そのころ、急騰する契約金対策として中日が最小限の費用で将来性のある選手をとり、じっくり育て上げようというねらいで勧誘したものだ。一緒に入団した森田選手は昨年さびしく退団したが、松本は名古屋・中央高の定時制に通いながら、黙々とファームではげんだ。そして今春、卒業を迎え養成選手も卒業、晴れて一投手として契約をかわした。「シノブ(松本)、おめでとう」真っ先にかけ寄った新宅捕手につづいて飛びだしたナインがソッと手を握る。いつものヒーローを祝福するようすとはがらりとちがう。過去四年間、練習と勉学を両立させた松本の人知れぬ努力と精進をナインは知りつくしているからだ。小さく「ハア、ありがとうございます」という松本の目ガシラに自然と涙がにじんでくる。「新宅さんのサイン通り投げました。苦しかったのははじめてロバーツ、ジャクソンにあたったとき・・・」と声をつまらせる。松本にとって外人選手と対戦するのは生まれてはじめての経験だった。だが、九回はみごとな攻めで連続凡退させた。四回から最後まで投げ切って失点1。自在に得意のカーブをあやつり、三位の座をひとりで守り切った。プロ入り初登板は、昨年九月十八日の巨人戦でのリリーフ。この試合で松本は一死一、三塁のピンチにホームラン男の王を二ゴロにとり、無形の自信をつけた。「セ・リーグ最高の打者を打ちとったことは、大きなプラスになりました」思いだすように話す松本。緊迫したシーズンでもまったく動じないあたり、もともとなみはずれた度胸の持ち主なのだろう。入団当時より体重は6㌔、上背も3㌢のびている。だが、まだどこか童顔が残っている。大友ピッチングコーチは「からだがまだまだおとなになりきっていない。骨組みががっちりすれば、もっと球威はでるはず。性格はおとなしいが、頭がいいし、なかなか根性もある」と将来性を高く買っている。養成選手大先輩である西沢監督も手ばなしでホメた。「左の松本があれだけ投げだことは、大きな収穫だ。マウンドの態度なんか、まるで常時出場しているピッチャーみたいだったナ」プロ入り四試合目ではじめて勝利投手の栄誉を手にした松本ー。養成選手の同期生杉内野手、おなじく後輩の金富投手らと喜びをわかちあおうといそいでバスに飛びのった。とたんにドッとすごい拍手がわきあがった。
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前田康雄

2017-04-29 09:33:00 | 日記
1970年

ロッテがドラフト第一位でとった前田康雄投手(電電四国)が、はじめて登板した。3-3で迎えた六回裏、前田はブルペンからゆっくりマウンドに歩いた。この回の広島の攻撃は左の早瀬(前阪急)からはじまる。サウスポーの前田にとっては比較的投げやすい相手だ。ところが早瀬に代わって出てきたのは代打の水谷。ウエスタン・リーグで一試合4ホーマーの実績がある体力の持主である。ベンチの濃人監督、内心ハラハラしたようだが、前田の方は落ちついていた。ファウルを一本打たせたあと、二塁ベースぎわに飛んだゴロを山崎がうまくさばいてくれた。ここで濃人監督はもう一人と欲を出した。次打者は衣笠。やはり水谷同様、パワー自慢のバッターだ。だが、これもフルカウントから遊ゴロ。ここで濃人監督はベンチ送って出てあっさりと佐藤元との交代をつげた。あげくの果てリリーフの佐藤元は朝井にホームランを打たれて敗戦投手。いってみれば、前田は最初からワンポイントリリーフとして使うつもりだったのだ。試合後、濃人監督は「せっかくの投手じゃけん。キズをつけちゃあかんからのう」と金の卵に対するなみなみならぬ配慮をみせた。前田自身もこの日は長いイニングを投げるつもりはなかった。「予定通りです。ストレート、カーブ、シュートを投げましたが、自分ではよかったと思います」とすましたもの。指宿キャンプでは本格派の村田につき合ってビュンビュン飛ばしたため、ペースをみだしてしまった。紅白戦には二試合に登板しているが、一度目は2イニングで1安打。二度目は4イニングで9安打も打たれている。このときは首脳陣をがっくりさせたが、この日のピッチングで、どうやら信用の方も回復させたようだ。近藤ピッチング・コーチは「調子はまだまだだが、いくらかホッとしたね」といったし、タマを受けた醍醐捕手は「ブルペンで投げていたときより本番でときの方がいいピッチングをする」とほめた。つまって3本ファウルした衣笠も「まだ、なんともいえないけど、いいタマを持っているようですね。タマは速いですよ」といっていた。二十五歳という年齢の新人はちょっとめずらしい存在だが、強気で小さなことにこだわらない性格も評判。「自分でいうのはおかしいけど、ボクはマジメ人間だと思いこんでますよ」と人を食ったところもある半面、「勝負ごとはなにごとにも勝たねばいかん」というのがモットーというのだから、よほど負けずぎらいなのだろう。津田中ー松山北高ー東洋大、そしてノンプロ電電四国と、ずっとピッチャーをやってきたのだからキャリアはもう十五年にもなる。「肩もよくなったし、これからやりますよ」と前田。濃人監督は「ぼちぼち投げるイニングをのばしていって、そのうち、先発に使うかもわからん」といった。ロッテの左投手は大洋から移籍した平岡と昨秋、外野手から転向した山田しかいない。前田が本物になれば貴重な戦力になりそうだ。
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川畑和人

2017-04-29 08:54:54 | 日記
1969年

ロッテは一回、石黒、前田が連続四球で無死一、二塁、濃人監督は手がたくロペスにバントをさせたが失敗、石黒が二封されて一死とかわった。つづくアルトマンは三塁ベースぎわに内野安打して満塁、榎本の2-1後の四球目、ボールのとき田淵に代わって出場していた辻恭が三塁に悪けん制球、タマが左翼ファウルグラウンドに転々とする間にロッテは拾いものの2点、なおも二死二塁から池辺が2-3後の外角球をうまく右翼線二塁打、この回3点をあげた。ロッテの攻撃はこの回だけ。江夏が速球、変化球に制球がつくとさっぱり打てなかった。打線はまだ調整がおくれているようだ。十一日の広島戦(広島)で敗戦投手となったロッテの川畑の変化球(カーブ、スライダー)を多用して好投した。三回一死から1-1後の内角ストレートをカークランドに右翼場外ホーマーされた以外はテスト合格といったところだ。七回代打で田淵が登場し場内はわいたが、0-1後から川畑はカーブ攻めで3球連続カラ振りの三振にうちとった。田淵の不振はかなりの重症のようである。
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鏑木悦純

2017-04-29 08:36:45 | 日記
1969年

江夏・村山という強力な二本立て投手をもつ阪神投手陣に、待ちのぞまれるのは第三の男の出現である。このゲームに鈴木、鏑木、金本三投手が登板、最終回に投げた金本は力みすぎていたが、鈴木、鏑木の投球には球威とともに、うま味がでており、第三の投手への期待がもてそうだ。鈴木は立ち上がりもスピードはあったが、高めに浮いて苦しんでいた。そこをねらわれたが、回を増すごとに安定してきた。勝負を急ぎすぎた欠点があったが、下手投げからの左右のゆさぶりは魅力がある。それにいままでの阪神投手陣にないタイプだけに登板機会も多いだろう。鏑木は3イニング9人の打者を簡単に凡退させた投球内容は注目に値する。1㍍78の体格で、スリークォーターから投げる。バックスイングは外人なみにヒジから引いていて、打者のタイミングからワンテンポ遅れ気味だった。球速は目立たないが、シュートの切れがよいのが特徴である。七回先頭の左打者伊藤を外角のシュートで攻めきり、三邪飛に打ちとったピッチングは、左打者に対する攻めのうまさとみてよいだろう。さきの倉敷での東映戦で張本に満塁ホームランを打たれながらすぐに立直り、そのあとをよく押さえたし、登板するたびに一歩一歩を確実に進歩のほどが見えている。
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板東里視

2017-04-28 23:54:57 | 日記
1969年

バッキーの加入、ルーキー岡田(松下電器)水谷(全鐘紡)らの参加で「70%戦力アップ」と、三原監督が語る近鉄投手陣、鈴木、バッキーとガッチリした二本柱がそろったが、問題は第三の投手だ。二本柱のあとを受けるのは板東、佐々木、川内、岡田と、先発完投能力を持つグループがひしめいている。しかし、その中でも、もっとも安定しているのは板東。その板東が、二十九日のオープン戦初先発した。三原監督は「板東は過去五試合救援ばかりに使ってきたので、一度先発させた」と話したが、首脳陣は中原コーチのことば通り、板東を機に応じて先発、救援と自在に使って行く方針を固めている。当の板東はこの日、立ち上がりタマがうわずって、一回、いきなり高木守に安打され、一枝にも右翼へ鋭いライナーを打たれた。二回にも伊藤竜に右翼線二塁打され、フラついていたが、要所をしめ、三回以後は完ペキのピッチングで、6イニング無難に投げた。「現在は、一度落とした調子が上向きになっているところです。はじめはちょっとタマがうわずったが、三回以後は自分でも納得のいくピッチングができました。感じのいいタマがピタリと決まりましたからね、ことに六回、千原を三振にとったシンカーは、自分でもタマをはなした瞬間やったと思いました」と、ピッチングを振り返る。板東の自慢するシンカーは、ことし覚えたもの。昨年は、タイミングをはずすために、スリークォーターからチェンジアップを投げていたが、このタマはすなおすぎてよく打たれた。だからことしは、もうひとつ腕を下げ、サイドハンドからタマに変化をつけたシンカーを開発、ようやく身につけたようである。先発から救援までの大活躍を予約されている今シーズンの板東だけに、Aクラスからいっきに優勝までねらうという近鉄にあって、その右腕は大きなポイントとなりそうだ。
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中山孝一

2017-04-28 22:04:58 | 日記
1970年

南海のルーキー中山が広島打線を七回まで2安打の散発に封じた。スローカーブでカウントをかせぐかと思えば、速球を打者の胸もとへピシリと投げ込む新人ばなれしたピッチングだった。広島の各打者はスピードにタイミングを狂わされて三塁もふめなかった。この中山「チーム一」(広瀬の話9という速球が身上だ。野村監督がホレ込んだのもその点。「なんとか一本立ちさせたい」と、阪神戦、巨人戦、この日と先発ばかり起用してきた。中山も投げるたびに力をつけ、着実なノビをみせている。広島打線をほんろうしたスローカーブもこの日はじめて投げたばかり。ナックルにも10球ばかりテストするなど、余裕たっぷりだ。制球力のないのが気がかりで、2-3まで持ち込まれたのが六度もあった。中山も、その点は十分心得たもので「テストした変化球はなんとかうまくいけそうだが、やっぱり制球が悪くて・・・。これから勉強します」野村監督は「いくら相手が不調の広島でも、これだけ投げられれば、自信をつけたやろう。これからもどんどん投げさせるが、なんとか公式戦で使えそうや」と成算ありげだった。が、中山はやはり新人。「これで、東京遠征(二十七日から)のメンバーにいれてくれるでしょうネ」と喜んでいた。
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渡辺政好

2017-04-26 22:01:56 | 日記
1967年

大洋の練習がはじまってから三十分間、渡辺君はマウンドで投げ続けた。「カーブをくれ」といわれればカーブを、「ストレートだ」といわれればストレートを投げる。桑田、松原、スチュアートー。つぎつぎにバッティング・ゲージにはいる打者の注文通りの投球をする。背番号は23-。松岡のユニホームを借りている。昨年までかれがつけていた58は、新入団の高垣(鳥取西高)に譲っている。渡辺政好君が福島工高から大洋に入団したのは三十七年。松原や佐々木らと同期だ。1㍍74、67㌔。線は細かったが、本格的なピッチャーだった。だが、一軍へのカベは厚い。三十九年ごろからは、ほとんどバッティング投手。昨年暮れ、ついに自由契約をいい渡された。家庭には慶子夫人がいる。桑田の紹介で、大洋ファンの久住晴雄社長の会社「クスミ電機」に入社した。社員三百人ほどの中企業。電気毛布や温蔵庫などをつくっている。プロ野球選手からサラリーマンへ。覚悟はしていたものの、すべてがとまどいの連続だった。一番気を使うのが礼儀作法。頭一つ下げるのにも、渡辺君には勉強だった。三月二十八日、はじめての日割り計算サラリーが一万四千円。四月が二万七千円。ともかせぎではあるが、生活は苦しい。選手時代の半分にも及ばない収入。六畳四畳半で月一万五千円のアパートも、近く安いところにかわろうかと考えている。スパッと忘れたプロ野球だったが、四月中旬、宮崎二軍監督に会ったのがカムバックのきっかけとなった。「東京での試合だけ、バッティング投手をやってくれ」といわれたのだ。久住社長も「やれ」といってくれた。四月二十五日の中日戦(川崎)から、渡辺君は投げはじめた。「桑田さんは、インコース低めが好き。松原はどこ、近藤和さんはどこ・・・」投げるコツは忘れるはずがない。この二枚看板は、あと二年くらいは続けるという。かれは五年間のプロ生活に悔いを残していない。やるだけの努力はしたという満足感すらある。入団二年目の三十八年六月、巨人戦(後楽園)で公式戦に初登板した。救援し、長島を四球で歩かしただけで、降板させられたが、このときの感激は忘れられない。「過去何千人の選手がいたか知れないけど、公式戦のマウンドを一度も踏めなかった人も多いでしょう。ぼくなんか、幸せもんです」ルーキーが脚光を浴びれば、その裏には球界を去る選手もいる。きびしい勝負の社会だ。「ぼくは東北出身で口べただけど、いっしょうけんめいサラリーマンになり切ります」渡辺君はこう約束してくれた。
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泉嘉郎

2017-04-26 21:34:57 | 日記
1969年

四回、スタンドがわいた。南海の先発、泉は二死二塁から江藤兄を迎え、2-0からどまん中へ直球をきめた。ぼう然と見送る江藤兄。三回まで完全に押え、この回、二死から木俣に三塁線二塁打されたのが初の走者。そこで文句なく、江藤兄を料理したのだがファンが喜んだのもムリはない。この1球、実は外角へはずすつもりが、すっぽ抜けてまん中へはいったそうだ。三振にしとめた瞬間、泉は思わず頭をかいてテレた。だが、ファンにはこれが大胆不敵なピッチングとみえたほど、この日の泉はすばらしかった。「落ちるタマ(シンカー)がよかったですね。勝負どころでは、ほとんどの打者に投げました」泉は予定通り六回を投げてベンチ裏のロッカールームへ出てきた。四回から、毎回ヒットの走者は出したが、いずれも二死から。あぶなげないピッチングで三塁を踏ませなかった。昨秋の日南キャンプで、投げ方の違う二種類のシンカーを完全にマスター。ことしの大方キャンプで、これまで一種類だけだったカーブの投げ方を二種類にふやした。この研究熱心な態度が、この日の好投につながっている。三重・菰野(こもの)高からプロ入りして二年目の四十年、二軍のコーチから「上手投げではプロで通用しない」といわれて、下手投げに転向した。それが、やっと実ってきた。「先発といわれたのは中村のキャンプから大阪へ帰ってくる前日の二十七日、はじめは、それほど意識しなかったけど、グラウンドにはいると、オープン戦の第一戦だと急に緊張しました。でも、よかったです。チャンスをもらって、自分のピッチングができたのですから・・・」泉は、うれしそうに笑った。「スピードもタマのきれも申し分ないです。これから、コーナーいっぱいのコントロールを磨きたい」という反省にも、明るさがあふれている。六年目に訪れたチャンス。「期待されているな」と、痛いほど感じるという。昨年はじめて、中継ぎながら公式戦に顔を出して(5試合)藤江コーチの期待をになった。牧とともに、ベテラン依存の投手陣をテコ入れするヤング・パワーの一番手だ。昨年一月、弘子夫人と結婚、当然その右腕には生活がかかっている。久しぶりにファームから南海魂を身につけた選手が出てきそうである。
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衛藤雅登

2017-04-25 17:02:19 | 日記
1974年

昭和22年4月15日生 (26歳) 2年目 182㌢76㌔ 右右

大東文化大学時代、岡田コーチのもとに指導をうけた。その当時をふり返って岡田コーチは、「とにかく努力することでは、人一倍である」という。昨年末日拓ホームを自由契約になったが、「とにかくもう一年」と歯をくいしばっている。
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橋本敬包

2017-04-25 16:52:42 | 日記
1959年

橋本はいいのか悪いのかはっきりしないピッチング。5回で5安打1死球とピンチの連続だった。文字通りよろめきピッチングそれでも結局阪神をシャットアウトしたんだからたいしたもの。最後の打者浅越を三振にして帰ってきたときの橋本の最初の言葉は「あっぷ、あっぷのピッチングでした」ムリもない。鼻の頭にいっぱい汗をかいている。「五回を零点に切り抜けたときやれやれと思った。五回までに交代させられるのはどうもみっともないですからね。ブルペンをみると長谷川さんと備前さんが肩ならしをやっている。シメタ、これでもしあとが悪くなっても代わって投げてくれるだろうと思った」とのんきなことをいっている。「監督に試合前にいわれたようにドロップを多く使った。だからシュートの効果が増したような気がします。五回の二死一、二塁で、大津さんを遊ゴロにしたのもそのシュートです」報道陣にかこまれるのはニガ手らしく、下を向いてボソボソと語る。スキがあれば逃げ出そうとする。通路の方へ歩きだしてまたつかまってもどされたりしている。「打者のコンビネーションとスタミナの配分に気をつけて投げたんです。本当はこの前大洋に打たれたのもそんなに悪い出来じゃなかったんです」と妙なところで大洋戦の話が出てきたり、いささか異音のテイだ。昨年は試合の前半目のさめるようなピッチングをやると思うと、後半はガタガタにくずれたり、コンスタントの出来ではなかった。広島でただ一人といっていいくらいのオーソドックスな力の投手。長谷川、備前など変化球の投手につぐ第三の投手として白石監督は最も期待している。その白石監督は「きょうのハシ(橋本のこと)はうまかった。コンビネーションをかえて、相手の打者にヤマをはらせなかった。もっとも田中のリードがよかったせいもあるんだが・・・」と黒い顔に喜びをいっぱいにしていた。

きょうの橋本はスピードはとび抜けてあったとは思えない。まずふつうのスピードだったろう。しかし直球が低目にきまりドロップのコントロールも非常によかった。だから主な武器のシュートがますます効果をあげていた。広島の投手陣では橋本の体力は図抜けたものだ。昨年はそのスタミナの配分がまだ十分出来なかった。今年はオープン戦でもたしかに試合完投しているし、この日もうまくスタミナを配分して完投した。この調子なら長谷川、備前につぐ投手としてかなりやれそうだ。
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