プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

森宝生、森隆峰

2021-10-30 09:28:17 | 日記
1979年 

西武ライオンズに五日、ドラフト外で富山・高岡第一高の森宝生(たかお)投手(19)(1㍍78、80㌔、右投げ右打ち)と森隆峰(りゅうほう)捕手(18)(1㍍76、73㌔、右投げ右打ち)の兄弟バッテリーの入団が内定した。宝生投手は家庭の事情で転校、高校一年生を二年やっており、今季は高校野球に出場できなかったが、チームメートとともに練習して来た大柄な本格派投手。隆峰捕手は強肩が売りもの。同日午後、同校で日野スカウトが河原野球部長、竹沢監督、それに父親の千明さん(55)立ち会いのもとで入団交渉、「兄弟一緒でやりたい」と内諾。これで西武の兄弟選手は松沼、山村と合わせて三組になる。 

高岡市の私立高岡第一学園野球部の森宝生=たかお(19)投手、隆峰=りゅうほう(18)捕手(いずれも三年)で、このほど西武ライオンズの入団が内定、五日に日野スカウトが同校を訪れ、正式契約する。森兄弟は名古屋市出身で、竹沢甚一高岡第一高監督を頼って五十二年四月、同校に入学した。県外から富山県への野球留学第1号。兄の宝生君は愛知県・富田中学時代に県大会の優勝投手となっている。一度は愛知高校に進学したが「どうしても野球をやりたい」の志が強く、同校を退学。隆峰君の中学卒業と同時に、この野球兄弟を見守っていた竹沢監督の母校、名古屋商科医大OBの紹介で同校に入学。同監督が高岡市頭川の自宅に二人を引き取り鍛えてきた。この成果が実っての兄弟そろってのプロ入りに同監督は「もう、こんなうれしいことはありません」と涙ぐんでいた。宝生君は右投げの本格派。投手として同校野球部に入ったが、一昨年夏は肩を痛め、夏の大会では左翼手として出場、四番を打った。今夏は年齢制度で出場出来ずマネジャーを務めた。一方の隆峰君は今夏、捕手として三番を打ち2本の本塁打を放つなど大活躍した。西武では三組目の兄弟選手で、ともに契約金千五百万円、年棒約二百万円(推定)。卒業式(三月八日)を前に、来春二月からのキャンプに参加する予定で、竹沢監督は「宝生君の速球は中日の小松辰にも負けないはずだ。隆峰君も素質があり、兄弟でバッテリーを組む姿もそう遠い将来でないはず」と期待。二人も「力いっぱいがんばりたい」と顔を紅潮させていた。
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夏目隆司

2021-10-30 08:59:41 | 日記
1956年2月5日生まれ、右投右打


1973年


マウンドには、昨年来の経験を持つ夏目隆が上がる。制球力の良さを身上とし、速球とカーブには威力がある。練習試合中右わき腹を故障したが、ほとんど治ったので心配ない。


藤枝東は夏目(隆)の長身から投げおろす速球に振り遅れ気味、四安打散発では攻めようがなかった。

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成田啓二

2021-10-30 08:55:00 | 日記
1950年 

常に好投しながらバックに攻守不振で勝利投手になれない成田はこの日もコーナーを衝くシュートと外角に落ちるスローカーブで完全に松竹を牛耳り、五回平野にスローボールを右中間二塁打された以外素晴らしい好投を示したが、四回例によって内野陣の三連失から無死満塁のピンチを招き二点を先取された。
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光吉勉

2021-10-30 08:51:34 | 日記
1953年 

廿一日に行われた巨人戦から新加入した銭村兄弟、光吉がカープのユニホームを着たが、広島球場の最高記録という三万余のファンに三選手ともアガリ気味で銭村兄弟、光吉とも力を十分に発揮できないでいた。二インニングを投球した光吉投手はかなり鋭いインドロップの片鱗をのぞかせていたが、のけぞったようにして投げる投球フォームはいささか御門の点も残されていた。ウワサ通りの駿足銭村弟は日本のプロに馴れるに従い、徐々に威力を発揮するものと思われる。
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泉元寿光

2021-10-29 13:21:05 | 日記
1975年

(愛媛県吉田高ー新日鉄広畑)(1㍍75、68㌔、右投げ)新日鉄では準硬式、軟式野球で、昨年の鉄鋼大会(軟式)で完全試合を記録、昨年の茨城国体軟式チームの兵庫県代表選手。

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東泉東二

2021-10-29 13:16:31 | 日記
1950年 

韮山の勝因は東泉が投げおろす伸びのある速球とインドロで兵庫を完全に抑えた好投と、左腕山崎の低目を衝く球を後半から打ちだした打力にあった。 

剛速球の東泉は角度深いドロップをきめ球として兵庫工を押え攻めては韮山は左腕山崎によくミートして七回廣田は左越えツーランホーマーを放ち八回にも二安打一四球敵失で加点して制勝した。

この日の東泉投手は第一回と第六回の危機を得意の速球で切り抜け第九回一点を与えたのみという好投ぶりで、三振八を奪いゆうゆう優勝、初登場にも拘らずよく野球王国静岡県の面目を発揮した。
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ボイルズ

2021-10-29 13:07:23 | 日記
2004年 

米大リーグ、ロイヤルズ傘下3Aオマハのブラッド・ボイルズ投手(27)=182センチ、88キロ、右投げ右打ち=との契約が合意に達した、と発表した。背番号は「62」。米国出身のボイルズは2001年に大リーグで初登板し、昨年まで計40試合で0勝4敗1セーブ。今季は3Aでプレーし、10試合で3勝2敗、防御率3.27の成績を残している。ダイエーは救援投手として起用する方針。王監督は「直球とスライダーでストライクが取れる。1日も早く投げてほしい」と話した。 

新外国人ストッパー獲得に乗り出していた福岡ダイエーは9日、米大リーグ、ロイヤルズ傘下3Aオハマのブラッド・ボイルズ投手(28)=182㌢、88㌔、右投げ右打ち=との契約が合意に達したと発表した。1年契約で、年棒は契約金込みの30万㌦(約3300万円)、背番号62。ボイルズは140㌔台後半の速球とフォークボールを武器に、粘り強い投球を身上とする本格右腕。2001年8月にロイヤルズでメジャーデビューを果たし、昨年まで大リーグ通算40試合で0勝4敗1セーブ、防御率6.45の成績を残している。今季は3Aオマハでプレーしていた。王監督は「ビデオで見た感じでは、まとまっている。ビックリするような投手ではないが、ゲームを壊さないタイプかも」と特徴を分析。起用法については「今は三浦と山田の調子がいいから、無理に後ろ(ストッパー)でなくてもいい」と話した。 

福岡ダイエーの新外国人、ブラッド・ボイルズ投手(27)=ロイヤルズ傘下3Aオマハ、右投げ右打ち=が18日、チームに合流した。遠征先の千葉県浦安市内のホテルで入団会見を行った後、練習に参加、王監督は「来週の大阪遠征からやってくれれば」と話し、早ければ25日からの近鉄3連戦(大阪ドーム)でのデビューとなりそうだ。背番号「62」のユニホームにそでを通した助っ人は、来日翌日ながらキャッチボールなどで軽快な動きを披露。ツーシーム、チェンジアップ、カットボールなどが武器で、会見では「打者に突っかかっていく攻めの投球が持ち味。できるだけ長く日本でプレーしたい」とケンカ投法に自信をのぞかせた。きょう19日にはブルペンに入る予定だが、投手陣が好調だけに王監督も焦らず適性を見極める意向だ。「攻めの気持ちがあるのは頼もしい。チームの勝利に結びつく考え方を」と、起用法も流動的。2軍戦で調整登板をするプランもあり、順調に戦列に加われば25日からの10連戦にも余裕を持って臨めそうだ。
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岩佐基治

2021-10-29 12:50:29 | 日記
1973年


泣きどころは投手陣。岩佐は二年生の夏に投げたが、秋にヒザを故障。球威はあるが、スタミナが不足している。ほとんどの試合で土壇場になってから大量点されている。岩佐を盛りあげるために先取点することだ。


伏見工・岩佐が平安打線にどんなピッチングをするか見もの。岩佐が内角コースに変化球を決め、外角球で勝負する強気な配球が出ると、外角コースにやや甘さのある平安にはある程度成功しそう。


三回以降は、シャープな振りが見られず、復調した岩佐投手の重いカーブに凡打を続けた。


1972年


速球が武器の岩佐の継投がうまくいくとあなどれない。二年生が主体だけに期待がもてる。


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戸口美嗣

2021-10-29 07:26:28 | 日記
1970年 

控えの左腕戸口はカーブが主体。最近ひじを痛めており十分な練習ができていない。
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花増幸二

2021-10-29 07:26:28 | 日記
1973年 

エース・花増はカーブも持ってはいるが178㌢の長身から投げおろす直球に威力がある。県内でも屈指の投手。ただピンチになると動揺し、投球が単調になるきらいがある。そこを克服すれば強打のチームにも、そうやすやすとは打ち込まれない。
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高木隆司

2021-10-27 21:21:20 | 日記
1976年 

ただ一人の三年生高木がチームの大黒柱だが、がっちりとスクラムを組んでいる。高木はカーブ、シュートをコーナーに集め、連打を浴びない。
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森内勝巳

2021-10-23 12:07:53 | 日記
1954年 

広島野崎監督 これまでの二軍戦と異なりこんどの遠征の実戦で経験した選手の収穫はセオリー、ルールなどを含め広範囲にわたって大きかった。有望な投手陣で森内、管田で、森内は巨人、阪神にそれぞれ勝って自信をつけたが、わたくしが教えた落ちる球をうまく利用しており将来は非常に有望だ。
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奈部川勉

2021-10-23 10:12:59 | 日記
1986年 

エース奈部川の武器は、187㌢の長身から出る速球。ピンチにも冷静で、コントロール、スタミナとも抜群。
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市川達也

2021-10-23 10:09:52 | 日記
1983年 

市川は宇都宮市の古里中時代には県大会にも出場しなかった無名投手。「甲子園に行きたい」と宇学に進学したが、二年の春、秋と背番号をもらったもののベンチウオーマー。公式戦出場の記録は今年の春の2試合。2回戦の馬頭戦で2イニング、準々決勝の足工戦で9イニングと、ともに救援投手としてマウンドに立っただけ。三年間の記録は11イニングを投げて被安打4、奪三振3、与四球2、自責点0、失点0が残っている。ところが準々決勝の足工戦で関東三羽ガラスの一人である足工・小林宏明投手をお目当てに宮原球場を訪れたロッテの城之内スカウトの目にとまった。「下手投げであるが球に力がある」(城之内スカウト)最後の夏の大会は部員の不祥事で出場辞退したものの、九月ごろから宇学の先輩である飯塚ロッテコーチが窓口になり交渉開始。ドラフト会議の当日である二十二日に内定、二十七日に河内町中岡本の自宅で正式契約を結んだ。契約に立ち会ったのは父親の重夫さん(42)母親の光江さん(41)叔父の市川得三(38)さんと宇学野球部長の園部久市部長、球団側からは三宅スカウト部長。すでに何回かの交渉を重ねて内定もしており、午後二時から始まったこの日の交渉はスムーズに行われ、契約書を交わした。実業団の日通浦和、日立製作所から誘いがありながらも、東洋大に進学と決めていた市川だが、「小さいころからプロ野球は夢でした。二、三年下積みを覚悟して頑張ってみる。目標は阪急の山田さん」とキッパリ。また、光江さんも「プロの話を聞いた時は驚きでした。でも本人もプロで腕を磨きたいと言っているので、主人とともに快く賛成しました」と全面協力でプロ市川が誕生した。宇学からのプロ野球選手は柴原(高橋トンボ)高山(大洋)石田(ロッテ)飯塚(同)に続いて五人目。「プロは想像以上に厳しい。でも、進むからには一日も早く一軍のマウンドに立つよう頑張ってほしい」と園部部長。上野前監督も「まだ未完ですが鍛えればものになるということで球団が誘ってくれたのだから、ぜひ頑張ってもらわねば」と期待を寄せている。なお、市川は三宅スカウト部長から手渡された練習メニューによって、十二月二十六日まで自主練習。十二月二十七日から来年一月七日までは、千葉県で行われる特別練習に参加。そして「学校との行事の都合がつけば」(園部部長)一月十日から川崎球場で行われる自主トレ、二月一日からの鹿児島キャンプに参加することになっている。入団発表は十二月二十二日に東京で行われる。
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内司正弘

2021-10-22 20:43:15 | 日記
1953年 

阪神は軽く国鉄の投手陣を打ちこみ連勝、プロ・チームとして巨人についで千勝を記録した。阪神は一回2四球、敵失と渡辺の二塁打で先行する鮮やかな速攻を見せた。田所は三回から外角への速球で阪神を散発安打におさえている。不調ではなく一回の単調なピッチングが老巧な阪神打線につけこまれた形だった。阪神は一回金田が四球に出て二盗に失敗したが、白坂も四球、与儀の遊ゴロは大久保がはじいて一、二塁、ここで渡辺が0-2から内角球を右中間二塁打して二者を還し、そのあと小島が左前タイムリーして三点を奪った。この三点を守って内司(薩南高)は徳網の好リードとバックの堅守に助けられ二、三、四回先頭打者に安打されたが後続を断って無得点に封じた。内司は低目のシュートとドロップでよく投げた。阪神は八回2四球を足場に小島徳網、吉田の長短打で四点を加えた。内司に四安打に封じられた国鉄の攻撃力は不甲斐なかった。
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