1955年
京都育ちで監督がつれてきた大野芳一(16)(西京高)
大野は正確にいうと満十六歳と十一ヶ月。さる一月十五日の合宿開始以来一貫五百匁ふとって現在は十七貫。それだけに一升飯は軽く富士山は十二合目が頂上だといわれてもその真偽より十二合とはすなわち一升二合ナリと頭にひらめくほど目下コメの飯にとりつかれている。しかしスムースなフォームの持主で球のキレがよく、このまま伸びれば大投手と幹部連中に先物を買われている。五尺七寸
京都育ちで監督がつれてきた大野芳一(16)(西京高)
大野は正確にいうと満十六歳と十一ヶ月。さる一月十五日の合宿開始以来一貫五百匁ふとって現在は十七貫。それだけに一升飯は軽く富士山は十二合目が頂上だといわれてもその真偽より十二合とはすなわち一升二合ナリと頭にひらめくほど目下コメの飯にとりつかれている。しかしスムースなフォームの持主で球のキレがよく、このまま伸びれば大投手と幹部連中に先物を買われている。五尺七寸