プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

前泊哲明

2018-10-29 20:48:41 | 日記
1980年

母親とケンカしてまでテストを受けた野球バカ、自慢のカーブとフォークを武器にぜがひでも一軍入り果たしたい。
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上坂嘉彦

2018-10-29 20:46:00 | 日記
1980年

テスト生で入団。シュート、カーブ、スライダーと多彩な球種をもつ下手投げ投手。体の線が細いので勝負は基礎体力をつけて。
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中居謹蔵

2018-10-29 20:45:36 | 日記
1980年

田鎖(西武)滝口(広島)と並ぶ東北球界三羽ガラス。スリークォーターからの速球武器。
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藤原保行

2018-10-29 20:45:09 | 日記
1980年

ドラフト1位。大小二つのカーブを武器に速球、スライダーを持つ大型右腕は即戦力の呼び声高い。度胸もいい。
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永山勝

2018-10-29 20:44:36 | 日記
1980年

ドラフト外入団。得意球は低めへのシンカーで面白い存在。
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青山裕治

2018-10-22 19:48:28 | 日記
1955年

全国鉄に選ばれて産別大会に出場した札鉄の青山裕治投手(23)(札幌西)に目をつけていたところ、ゲームを終って一週間たっても札幌に帰らず、札鉄から捜索願が来たので大あわて。ところが当の青山君は伊東の大映キャンプに参加していたのだから、またまた国鉄の黒星というところ。

1957年

二年生で進境をみせているのは投手の青山。カーブをすっかり身につけたのが強みだが、力が入りすぎて球が棒球になる欠点をどこまで直せるか・・・。

1958年

人間の長い一生は、何が幸運のきっかけになり、何がつまずきの因になるか、わからない。大毎オリオンズの二軍に青山裕治という左腕投手がいる。彼はキャッチャーの谷本と、仲がよい。二人とも旧大映スターズの生き残り組だからだ。それにバッテリーという関係もあるだろう。青山は二軍、谷本は一軍と、別れてしまったが、二人が顔をあわせると、片目をつぶってウインクを交換しあう。しっかりやろうぜ、という代りでもあり、谷本に言わせれば「ツイてる奴だ」ということになる。青山は北海道の札幌の出身である。高校は札幌光星商業。大洋の目時が先輩に当たるわけだ。本校を終えると、札幌鉄道局に奉戦した。ここで彼は本格的な野球をやった。左腕からくり出す彼のピッチングは、たちまち速球王にのしあがり、そして、三十年の十一月、産業別対抗に全国鉄の一員として選ばれて上京した。北海道のエースでも、世帯の大きい国鉄に加わると、勿論エースではない。だが彼は選ばれたというだけで、夢のような希望に胸をふくらませて上京した。大会は十九日から始まった。全国鉄は石油部門代表日本石油と対戦した。主戦上田が先発した。だが、上田は立上り、花井(現西鉄)に長打を打たれ、一回で早くも二点を献上した。とても勝目はない。リリーフには上柿(東鉄)が出ていった。青山は出る機会がない。だが、後楽園の土を踏むだけでよい。ブルペンでピッチングをしよう。彼はドコドコと歩き出した。その時である。放送中のテレビカメラが彼をヒョイと映し出した。偶然である。彼も、ベンチにいる選手も勿論気がつかなかった。「ウム、いいフォームだ。ものになりそうだ」大映の藤本監督が唸った。14吋ブラウン管に左投手のピッチングが映っている。伊東である。この年、大映は秋の強化練習を伊東でやっていた。練習の終った宿舎である。「もう、国鉄はあかん」「だが、この投手はひょっとするといけるぜ、どや谷本」藤本監督が、チラッと谷本を横目で見ならが、話しかけるともなく眩いた。「そうですか」「ウム。これ、何という名前かな。ひとつ、ウチに取ろうや」一週間後、伊東の大映宿舎にやせすぎの青年がボストンバッグを抱えてやって来た。青山である。谷本が、藤本監督の独り言を思い出した。運のいい奴だ。そう言いたげに片目をつぶって見せてニヤリとした。青山にも、その意味が通じたのか彼も頬を一寸赤くしながらニヤリとした。こうして、青山裕治投手が誕生した。青山は、谷本と顔を合わせると、このことを思い出す。谷本も青山を見るたびに思い出す。二人の仲は堅い友情で結ばれている。
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山本誠

2018-10-20 19:29:42 | 日記
1986年

やわらかなフォームで内角をつくシュート回転の速球とカーブに威力があった。五十九年春、夏とも控え投手として出場。五十九年春は登板の機会がなかったが、同年夏はエース故障のためマウンドに立つ。緒戦の県岐阜商に11-2で大勝。続く広尾に対しては4安打完封。三回戦で伏兵新潟南に2-4で敗れたがスケールの大きいピッチングがスカウトの目をひいた。阪急投手陣を背負って立つ逸材として期待されている。
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大津一洋

2018-10-20 15:46:50 | 日記
1986年

右上手投げの本格派で速球で押しまくるタイプ。やや落ちるカーブを決め球に勝ちぬき甲子園に出場した。ピンチになるとボールが先攻することが多く「精神力がもう一歩」と言われた。女房役は伊東(西武)だった。五十五年夏は緒戦で弘前工を4安打に抑えて完封。二回戦で大府に9安打を浴びたが4-2で勝った。三回戦では天理に13安打を喫し3-6で敗北。西武に入団したが一軍登板はなく南海では救援専門。
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前田幸長

2018-10-20 09:21:16 | 日記
1988年

前田は左腕とあって、すぐにでもプロの一軍で使えるのではないかと評判だ。直球とカーブ、シュート、スライダー、それにストンと落ちるフォークボールの切れが高校生離れしている。さる九日の対法政二(神奈川)戦では、本人が「不調だった」と言いながらも9三振を奪い、途中で一度左翼にさがったが計8回2/3を投げ自責点1はまずまず。1㍍76、64㌔のスリムな体に似合わず力強いフォーム、しかも高校生では珍しく、直球もカーブも同じ腕の振りで投げられる体の抜群の軟らかさのたまものだ。
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山本勘介

2018-10-20 08:49:07 | 日記
1953年

浪商の中下は真向から投げおろす速球のコントロールよく無四球で済々黌を牛耳れば、済々黌の山本も横手投げ気味の直球にカーブを交えて投手戦のまま大会三度目の延長戦になった。
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山部儒也、山本哲也

2018-10-20 08:30:37 | 日記
1953年

人吉地方初のプロ野球南海対阪神二軍戦は三日午後二時から城内グラウンドで挙行、南海は岸本ー配島のバッテリー、また阪神は熊工出身の山部(投手)山本(捕手)の名コンビで対戦、南海岸本投手の不調にひきかえ山部はコントロールよく、外角をつくカーブと内角低目の直球で南海を四安打に封じ、攻めては山本の左翼柵越え本塁打など長短十三本の安打を浴びせ一方的に試合を進め、あつけない幕切れとなった。
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岡幸俊

2018-10-20 08:12:56 | 日記
1988年

投手の中で岡が最も高く評価されている。敗れた十二日の愛工大名電(愛知)戦では、スタミナを気づかい抑えたピッチングをしたため奪三振はゼロ。しかし、本来は145㌔を超す速球とカーブ、シュートのコンビネーションが良い。球質が重く、プロで十分に通用する球威を持っていて、性格が強気なのもプロ向きである。
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久野勝美

2018-10-20 08:08:35 | 日記
1951年

今冬中日ドラゴンズを退団した杉浦、清水、丸山、久野、沖の五選手はその去就を注目されていたが杉浦助監督は中部日本新聞、久野投手はノンプロ愛知産業行が内定した、また清水投手は大洋入りの噂があり、沖投手は競輪選手に転向する模様である。
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加茂川重治

2018-10-18 22:58:33 | 日記
1986年

得意のシュートに磨きをかけて、二軍のエースとして昨年の倍は勝ちたい
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川村一明

2018-10-18 22:19:59 | 日記
1984年

ドラフト4位、契約金4000万。55年阪急が1位指名したがプロ入りを拒否。プリンスホテルに入社した。速球とスライダーに威力あり、スケールの大きな投手になりそうだ。54、55年夏と2年連続甲子園に出場。いずれも1回戦で敗れたが将来性が注目された。
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