プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

小野木孝

2024-01-30 20:04:25 | 日記
1957年
小野木が五尺九寸、十九貫の体重をのせて投げ下ろす重い速球とシュート、きめ球のドロップはなかなかの威力がある。立ち上がりの悪さだけが欠点といえようか。

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吉川久一

2024-01-30 20:00:41 | 日記
1959年


阪急は今シーズン初めての左投手吉川(三年目、近大)吉川は六日の東映二十回戦のあとこの試合の先発を戸倉監督にいわれた。どちらかといえば気の弱い吉川はそれ以来めっきり口数が少なくなったとのことだ。半分ぐらいはカーブだ。それがコントロールがよくきまった。バックも吉川をよく盛りたてた。


興国商、近大から阪急入り。入団三年目でプロ入り初勝利を飾った。さる九、十一日の対西鉄戦にも勝ち星こそなかったが好投し注目された。戸倉監督も「梶本が不調なのでぜひ左のエースに育てたい」と期待している。武器はカーブ。1㍍70、72㌔。左投右打、大阪出身。


祓川ー吉川の先発の先発投手は吉川が予想外だった。その吉川は緩いカーブ、シュートで軽く投げる。祓川は調子よくみえるのにときどき凡球を投げては打たれていた。


阪急の左腕吉川の登板は意外だった。吉川はことしはじめての先発だが、シュート、カーブ、ナックルなど変化球を多投して三回までに島原に当りそこねの内野安打を打たれただけ、試合は阪急のペースで中盤に入った。


南海は三回まで吉川のペースに乗せられてわずか1安打しただけ。
(吉川投手)ボクの決め球のフォーク・ボールがよく決まった。内角へ投げたら、力のある打者が揃っているのでガチンといかれそうなので、内角へ投げたのは捨て球ばかり。先発は初めてだが、一昨日から投げるようにいわれていたので、あわてなかった。まあ先発させてもらっただけでも満足です。


それにしても吉川のスピードを殺して低目に投げ分けるフォークボール、曲球、シュート、などの変化球にひねられ、島原の内野安打1本はお粗末、調子がよいとはいうものの、この種投手にはまだまだ甘さが見受けられ、このうえすっかりペースをくずして米田の速球になんらなすところがなかったのがふがいなかった。

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手銭善之

2024-01-22 21:05:30 | 日記
1957年


投手、右、5尺7 17貫、大社高、山陰で知られたシュート投手。

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石井忠徳

2024-01-22 20:58:18 | 日記
1987年
昨年からエースナンバーを背負い、キャリア十分、県大会与四死球5の制球力が光る。速球とカーブのコンビネーションがよく、めったに連打は浴びない。バント処理などにも格段の成長を見せている。


1989年


大洋の秘密兵器は石井忠徳投手。ドラフト外の高卒ルーキーながら、スピンのかかったストレートの切れは、稲川投手コーチを「本当にこれが、ドラフト外か」と言わしめるほどである。その石井が、沖縄キャンプの2月22日、プロで初めてフリー打撃に登板。対戦した片平晋は「カーブは好調時の水野(巨人)みたいや。掘り出しもんだよ」若菜も「体格のわりに、マウンドでは大きく見えた」と感心。石井自身は「緊張しましたよ。球が浮いちゃったですから」と興奮ぎみ。


大洋のルーキー石井が好投した。一回にいきなり荒井の先制本塁打を浴びたが、二回以降は落ち着いたマウンドさばき。大きなカーブをうまく使って10三振を奪い、プロ初先発で初勝利を挙げた。


完投は逃したものの、大洋のルーキー石井(足利工出)がプロ初先発で初勝利を飾った。谷繁との新人バッテリーは息もぴったり合い、大きなカーブ、今年覚えたばかりのフォークボールで計10三振を奪った。九回、失策をきっかけに完投まであと二死で降板したが「勝ちが決まるまで足が震えて止まらなかった。何がよかったのか自分では分からないが、うれしくて仕方ないです」と、声を弾ませていた。

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富永章敬

2024-01-22 20:43:50 | 日記
1990年


エース富永は速球を武器にぐいぐい押すタイプ。コントロールにまだ課題が残り、投球が単調になる傾向もある。
富永は今大会屈指の速球投手。183㌢の長身から投げおろす球は140㌔近いスピード。速球を生かすカーブと制球力を身につけるのが課題。

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吉川久一

2024-01-19 20:42:03 | 日記
1959年
「勝利投手になった感想ですか。悪くないですね」これが十二日の大毎戦で初白星をあげた吉川久一投手の喜びの声だ。興国商ー近大から阪急へ投じたがぱっとせず、表に出ないままで石の上にも…の三年目ようやく、その努力に報いられ、最近登板機会に恵まれてきた。八日の対南海戦、3回投げて被安打1奪三振1自責点0、さらに十日の南海戦では2回2/3投げて、被安打2奪三振1、自責点0とまず大過なくこの初勝利に至っている。1メートル70、72キロ左投右打。

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浦野保一

2024-01-19 20:37:05 | 日記
1955年


投手浦野の外角をきる快速球はその長身と相まってかなりの威力をもっている。一日投球五百を目指して精進している。


1957年
昨春入団、カーブの制球力あり

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清水宏臣

2024-01-19 20:32:03 | 日記
1985年


過去にない強力な攻撃型チーム。三年生の多い中、バッテリーは清水ー石黒の二年生。清水は右の本格派で直球、カーブに威力。
主戦清水は長身を生かし低めへの速球と、制球の良いカーブで打ち取る。


1986年


右の本格派清水は、速球が武器。打者とのかけひきにも磨きがかかった。


主戦清水は低めのストレートに威力があり、打っても四番で攻守の柱。


1986年


中日は二十三日、名古屋市中区栄、中日ビル内の球団事務所でドラフト外で獲得した愛知県立小坂井高の清水宏臣(ひろたか)投手(18)=187㌢、84㌔、右投げ右打ち=の入団を発表した。清水は早ければきょう二十四日にも名古屋残留組の自主トレに体験入門、キャンプには二月中旬から合流する。背番号は64。握手した伊藤代表が思わず驚きの声を上げた。「何という力をしているんだね、君は」そう言われて清水は187㌢の長身を恥ずかしそうに丸めてみせた。速球は140㌔。球質もズシリと重い。華やかな球歴はなくても荒削りの素質とガッツが頼もしい。清水は最初こそ、生まれて初めての晴れやかな席に緊張感を漂わせていたが、すぐに度胸で語った。「目標は小松さん、宮下さん。キレの良さは小松さん、重さでは宮下さんのようなストレートを投げたい」本格派エースを夢みる清水。しかし、打者としての非凡なセンスを持っている。そのエピソードを小坂井高・及部監督が披露してくれた。「あいつが打撃練習を始めるとテニス部に迷惑が掛かったものですよ」小坂井高グラウンドの両翼は90㍍。その上に3.8㍍のネットが張ってある。清水の打球はそれを越えてテニス部のコートを襲い、たびたび選手たちを逃げ惑わせたというのだ。「ボクは前から、地元でこういう手のついていない素材を探せと言ってきたんだよ」伊藤代表がいつになく上機嫌に言った。ドラフト外でも清水へのまなざしは熱い。


1987年


二日間の自主トレ体験を終えて清水はまたいつもの高校生に戻った。遅ればせの入団ということでかなり緊張もしたが、逆にヤル気も出た。「やっぱりプロは厳しいと思いました。これからはキャンプに行くまで自分で鍛えます」清水には夢がある。それはヤクルトに入団した内藤(豊川高)と対戦して勝つこと。内藤は豊川南部中で同級生。二年までは清水がエースだったが、三年になって背番号1を奪われた。そして自分はファーストへコンバート。高校進学の際、声がかかった豊川をけって愛知県立の小坂井を選んだのもそのためだった。雪辱の思い出はいつも爆発的なエネルギーになる。「ボクは打撃が買われたからファーストへ回されたと、今でも思っています。もしピッチャー同士で最後まで争っていたら、どうなっていたことか」中日にも投手として入団した清水。高校時代は豊川に0勝2敗、プロはその逆転の場でもある。

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清水宏臣

2024-01-19 20:31:06 | 日記
1985年


過去にない強力な攻撃型チーム。三年生の多い中、バッテリーは清水ー石黒の二年生。清水は右の本格派で直球、カーブに威力。
主戦清水は長身を生かし低めへの速球と、制球の良いカーブで打ち取る。


1986年


右の本格派清水は、速球が武器。打者とのかけひきにも磨きがかかった。


主戦清水は低めのストレートに威力があり、打っても四番で攻守の柱。


1986年


中日は二十三日、名古屋市中区栄、中日ビル内の球団事務所でドラフト外で獲得した愛知県立小坂井高の清水宏臣(ひろたか)投手(18)=187㌢、84㌔、右投げ右打ち=の入団を発表した。清水は早ければきょう二十四日にも名古屋残留組の自主トレに体験入門、キャンプには二月中旬から合流する。背番号は64。握手した伊藤代表が思わず驚きの声を上げた。「何という力をしているんだね、君は」そう言われて清水は187㌢の長身を恥ずかしそうに丸めてみせた。速球は140㌔。球質もズシリと重い。華やかな球歴はなくても荒削りの素質とガッツが頼もしい。清水は最初こそ、生まれて初めての晴れやかな席に緊張感を漂わせていたが、すぐに度胸で語った。「目標は小松さん、宮下さん。キレの良さは小松さん、重さでは宮下さんのようなストレートを投げたい」本格派エースを夢みる清水。しかし、打者としての非凡なセンスを持っている。そのエピソードを小坂井高・及部監督が披露してくれた。「あいつが打撃練習を始めるとテニス部に迷惑が掛かったものですよ」小坂井高グラウンドの両翼は90㍍。その上に3.8㍍のネットが張ってある。清水の打球はそれを越えてテニス部のコートを襲い、たびたび選手たちを逃げ惑わせたというのだ。「ボクは前から、地元でこういう手のついていない素材を探せと言ってきたんだよ」伊藤代表がいつになく上機嫌に言った。ドラフト外でも清水へのまなざしは熱い。


1987年


二日間の自主トレ体験を終えて清水はまたいつもの高校生に戻った。遅ればせの入団ということでかなり緊張もしたが、逆にヤル気も出た。「やっぱりプロは厳しいと思いました。これからはキャンプに行くまで自分で鍛えます」清水には夢がある。それはヤクルトに入団した内藤(豊川高)と対戦して勝つこと。内藤は豊川南部中で同級生。二年までは清水がエースだったが、三年になって背番号1を奪われた。そして自分はファーストへコンバート。高校進学の際、声がかかった豊川をけって愛知県立の小坂井を選んだのもそのためだった。雪辱の思い出はいつも爆発的なエネルギーになる。「ボクは打撃が買われたからファーストへ回されたと、今でも思っています。もしピッチャー同士で最後まで争っていたら、どうなっていたことか」中日にも投手として入団した清水。高校時代は豊川に0勝2敗、プロはその逆転の場でもある。

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上辻修

2024-01-19 20:10:07 | 日記
1979年
上辻投手は仮装小林スタイルでの投球法で打者に打ってもらおうと、コーチ共々努力しているが、先日はその努力工夫も小林に五たび抑えられ、しかも五敗目は4安打完封。「がっかりした。でも今度こそ打ってくれるでしょう」

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原田和彦

2024-01-17 21:24:29 | 日記
1986年
遠投120m、50m6秒台の肩とが売り物。捕手経験は浅いが、フットワークは抜群で、努力次第では早い時期に頭角を現しそうな楽しみな選手だ。「目標は梨田さん」と、夢もでかい。


1987年


昨年のルーキー3捕手のなかで、最も多く二軍戦に出場。ちょっぴり自信もつかんだ。「梨田さんが目標です」ときっぱりと言う。強肩に加えて50m6秒の俊足で素質は十分だ。


1988年


「一生懸命」がモットー。厳しい練習にも持前の明るさで耐え抜く。プロ入り3年目を迎え、その表情に険しさが加わった。甘いマスクで女性ファンも多い。次代の正妻候補。


1989年


梨田の引退により、捕手としてのレベルアップが一段と要求される。もちろん甘えなどは振りきらねばならない。「チャンスを確実に」まずはファームの正捕手獲得だ。


1990年


出番こそなかったが、4年目で初めて一軍登録された。端正なマスクで、実力さえつけば人気がでることうけ合い。一生懸命をモットーに厚い壁に挑む。


1991年


確かに厚い壁がある。山下、光山、古久保と続く猛牛捕手山脈は高くて強い。だがそれだけにまた、やりがいもある。5年目の今季は飛躍の年。ここらで一発存在感を示したい。胸の内で静かに闘志が燃え上がる。


1992年


「何とかなる」そんなほのかな自信の灯がともった昨年だった。4月25日のダイエー戦、1回だけだが一軍の本塁を守った。6年目にして初めての体験。さあ、今年が本番だ。

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上辻修

2024-01-17 21:19:26 | 日記
1973年


柔軟な足腰を生かして横手投げ特有ののびのいい速球を投げる。問題は経験。将来性を期待される一人だ。


1974年
将来性を買われていたが、腰を痛め伸び悩んでいる。横手投げ特有ののびのある速球に
威力を持つだけにおしい。今季が勝負の年だ。


1975年


バッティング投手から再出発。阪神のヌルマ湯から金田式猛練習で生まれ変わるか。


1978年


体は細いが、長身をうまく使った投球ぶり、おとなしいが、ひょうひょうとした人柄がピッチングにあらわれている。スタミナがあり安定したコントロールはナインの信頼を集めている。人柄と仕事が一致している力持ち。


1979年


長身を折り曲げるようにして投げるサブマリン投手。中日・三沢、ヤクルト会田を予想した時、バッティング投手をつとめ、主力の調整に貢献している。スタミナがあり、安定したコントロールでOH砲の信頼も厚い。

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外園正

2024-01-17 21:13:30 | 日記
1978年
ファーム唯一の左腕。上手投げだが、時おり、横から右打者のひざ元をつくスライダーを投げる。が、もうひとつ球威が欲しい。オフには郷里で砂浜を走り、下半身を鍛えた。今年が勝負、と意気込んでいる。

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清水治美

2024-01-17 21:11:19 | 日記
1985年
58年のドラフト会議で6位指名したが、入団見送り。社会人野球のシーズンが終わった秋に、中日入りした。いわば二年越しの恋人にあたる。今季の新人の中では、入団がやや先輩とあって、ひと足早く昨冬の練習から仲間入り。今春の沖縄・具志川キャンプにも新人ではただ一人参加する恩典にさずかった。たえず、ほかの新人を一歩リードしている形だ。そのリードを最後まで持ち続けることが、清水にとって課題といえる。左腕特有の落差のあるカーブ、シンカーが武器。スリークォーターのフォームは、ヤクルトの梶間そっくり。投球の組み立てもうまく、一軍へ最短距離に立つ。


1986年


58年のドラフトで指名されたが、入団を見送り、翌年秋に中日入り。いわば2年越しで実を結んだもの。即戦力の左腕として期待された割には、いま一つ特色が見られず、一軍の登板は一度もなし。プロでは「これが武器だ」というタマを身に付けるのが先決。

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北野明仁

2024-01-17 21:06:57 | 日記
1980年
二年生の中で最も期待される投手。「ナチュラル気味のスライダーが外角低目にきまれば、一軍でも、そう打たれない」と伊藤コートも折り紙をつける。マウンド度胸は江川に劣らないガッツボーイだ。

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