1970年
永淵シフトなどなにかと話題を提供してきた南海の野村監督が、こんどは広瀬を投手に起用してファンは大喜び。前半で勝負のヤマがみえた対阪急25回戦の六回から広瀬は皆川のあとをついで登板。早いテンポで小さなカーブ、直球を投げ2イニングを2安打、2四球を与えながら無得点に押えた。突然の広瀬登板劇に両軍の選手たちはやんやのかっさいとなったが、当の広瀬は「もう少しいい投球をするのだが…。スライダー、ナックルが決まらなかった」といたって大まじめ。「西さん(西本監督)がうらめしそうな顔をするなどもうドッキン、ドッキン。打つどころではなかった。やはり投手はしんどいものだ」と。投手で入団した広瀬はその後ヒジを痛めたりして野手に転向、十六年目で念願の登板を果たしたわけ。それだけに「この次はもうちょっといい投球をしてみせる」と投手に色気をみせていた。
永淵シフトなどなにかと話題を提供してきた南海の野村監督が、こんどは広瀬を投手に起用してファンは大喜び。前半で勝負のヤマがみえた対阪急25回戦の六回から広瀬は皆川のあとをついで登板。早いテンポで小さなカーブ、直球を投げ2イニングを2安打、2四球を与えながら無得点に押えた。突然の広瀬登板劇に両軍の選手たちはやんやのかっさいとなったが、当の広瀬は「もう少しいい投球をするのだが…。スライダー、ナックルが決まらなかった」といたって大まじめ。「西さん(西本監督)がうらめしそうな顔をするなどもうドッキン、ドッキン。打つどころではなかった。やはり投手はしんどいものだ」と。投手で入団した広瀬はその後ヒジを痛めたりして野手に転向、十六年目で念願の登板を果たしたわけ。それだけに「この次はもうちょっといい投球をしてみせる」と投手に色気をみせていた。