1950年
第十八節北海道シリーズにおける中日全勝はファンの胸に深く垂れこめた暗雲を一気に吹き払う快さを持っていたしかも数あるその原因の中で一きわ光彩を放つのは全員の猛打、服部、杉下の快投である、こうして服部投手は一抹の不安を感じさせた過去三ヶ月からみごと脱却堂々十二勝五敗(第四位)と中日のエースたる貫禄を十二分に発揮するに至った。本名ツグヒロ、通称ハッチャン、勿論十年戦手である服部投手は今年三十歳、三河の国は岡崎中学の出身でもとを正せば名古屋軍の捕手、監督竹内氏の手によって投手へ転向しリリーフ投手として定評があったのは余りにも有名な話、いささか軍調に流れることもあるが素早いモーションからくり出す外角低目の曲球、浮き気味の直球、さらにシュートと彼の持つ武器は多く打力にもまた捨て難い鋭さ、確実さがある。間もなく夜間ゲームも開始されようとしている時昨年シールズを迎え撃った経験に期待するところは大きく彼唯一の負け越し松竹を破ることがやがて中日優勝への道に通ずるものとして注目されているも無理からぬことであろう。
第十八節北海道シリーズにおける中日全勝はファンの胸に深く垂れこめた暗雲を一気に吹き払う快さを持っていたしかも数あるその原因の中で一きわ光彩を放つのは全員の猛打、服部、杉下の快投である、こうして服部投手は一抹の不安を感じさせた過去三ヶ月からみごと脱却堂々十二勝五敗(第四位)と中日のエースたる貫禄を十二分に発揮するに至った。本名ツグヒロ、通称ハッチャン、勿論十年戦手である服部投手は今年三十歳、三河の国は岡崎中学の出身でもとを正せば名古屋軍の捕手、監督竹内氏の手によって投手へ転向しリリーフ投手として定評があったのは余りにも有名な話、いささか軍調に流れることもあるが素早いモーションからくり出す外角低目の曲球、浮き気味の直球、さらにシュートと彼の持つ武器は多く打力にもまた捨て難い鋭さ、確実さがある。間もなく夜間ゲームも開始されようとしている時昨年シールズを迎え撃った経験に期待するところは大きく彼唯一の負け越し松竹を破ることがやがて中日優勝への道に通ずるものとして注目されているも無理からぬことであろう。