プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

野田征稔

2015-06-30 22:23:05 | 日記
1962年

阪神タイガースではこのほど野田征稔内野手(21)=PL学園出=の入団が決まった。同選手はノンプロPL教団で二塁手だった。PL教団が今月初め都市対抗近畿予選で負けたあと、チームが解散したためプロ入りを望み、去る二十四日から練習に参加してテストをうけていた。フット・ワークのいい守備と、シュアーなバッティングが買われた。ベース一周は14秒7の俊足。守備の巧さはレギュラー・クラスである。1㍍76、70㌔、右投右打。研修期間は50試合。

土井垣コーチの話 守備は非常に巧い。体のこなしがスムーズだ。足も速いので内野手としては申し分ない。バッティングはすこし大ぶりしているが、短く持てばいい当りをする。素直なバッティングだ。
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横山小次郎

2015-06-30 21:32:28 | 日記
1964年

関西六大学リーグ随一の好投手といわれて阪急、南海、東京、西鉄、巨人、大洋などから積極的な勧誘をうけ、その去就が注目されていた近大のエース横山小次郎投手(22)=1㍍72、70㌔、右投右打、高知高出=は五日高知の実家を訪れた東京青木スカウトと最終的な話し合いを行った結果、東京入りが決定的となった。なお正式契約は秋季リーグ戦終了後の十一月十日ごろになるもよう。横山投手は、高知高時代からコントロールのいい投手として高く評価されていた。真っ向から投げおろす本格派とはいえないが、小山投手をひとまわり小さくしたような感じのスリークォーター気味のフォームから投げる球には威力があり、とくにシュートのコントロールは絶妙、東京の真田ピッチング・コーチが一時近大のコーチをしていたころから「横山はプロで立派に通用する投手」と折り紙がつけられていたほど。昨秋以来東京をはじめ、南、西、洋、巨などが積極的な勧誘をつづけていたが、東京は青木、倉橋両スカウトが交互に高知の実家を訪れて誠意を示し、そのうえ、横山自信が尊敬している真田コーチがいることなどから東京入りが決まったものである。

東京青木スカウトの話 実家の方にも誠意は通じていると思う。うちには真田コーチもいることなので見通しとしては明るい。ぜひほしい投手なので今後も交渉はつづけていく。決定は十一月中旬になりそうだ。

横山投手の話 二、三の球団から話があったそうですが、両親と監督(近大松田監督)にすべてをまかしています。プロへ行きたい気持ちは持っています。

近大松田監督の話 東京はもちろん、その他二、三のチームからも話はあるそうだが、家族の人ともリーグ戦が終るまで決めないように話し合っている。うちは横山のいる間に優勝を狙っているので、プロ入りの話にはそのあとでゆっくり相談に乗るつもりだ。
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秋元肇

2015-06-30 20:32:39 | 日記
1964年

秋元肇投手…1㍍81、70㌔、右投右打=は昨秋から頭角をあらわした無名投手だが、スカウト間の評判が高かった。球速は九州ナンバー・ワンの折り紙がつけられていた。西鉄、広島、大洋、阪神、阪急、近鉄がせり合っていたが、七月はじめに西鉄、広島の争いになった。もっとも熱心だった広島が親族を説得し、西鉄をリードした。

中津東高・吉武部長の話 母親から大会前にすべてまかせられたが、私のところにはどの球団もきていない。あくまでも本人の意思を尊重してやりたいが私は進学させてやりたい。

広島・久野スカウトの話 早くから手をうっている選手であり、なんとしてもほしい。実力は博多工の橋本以上だから。全力をあげて獲得する。

久森カープ事務局長の話 直接私はタッチしていないし、スカウトから現地のくわしい報告もきていないようなので、秋元君が現在どのような情勢になっているのか分からない。
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鬼頭洋

2015-06-30 20:01:48 | 日記
1964年

愛知大学野球リーグ随一の左腕投手として早くから注目されていた名古屋商大のエース鬼頭洋投手(22)=商学部三年、1㍍79、80㌔、左投左打、名商大付高出=は、このほど家庭の事情で中退を決意、大洋ホエールズ入りにふみ切った。なお正式契約は十月十八日の対愛知学院大戦の今季最終戦終了後行われる。鬼頭投手は高校時代から現南海の林投手(当時中京商)とともに中京地区では双璧といわれていた左腕投手。上背に恵まれ、長身から投げおろす速球に威力があり、名商大進学後もめきめきと実力をつけ、プロ野球スカウト連からもたえず注目をあびていた。今春のリーグ戦でも中京大、愛知大などを相手に見事なピッチングをみせてネット裏に陣どった大洋保井、中日柴田、南海伊藤、巨人加藤各スカウトの目をクギづけにした。大洋は左腕投手鈴木のみで、今季のペナント・レースでも左腕投手不足に悩まされ通しであったことなどから、保井スカウトが熱心に勧誘した結果、家庭の事情とも相まって、このほど大洋入りにふみ切らせることに成功したもようである。
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苑田敏彦

2015-06-30 19:39:10 | 日記
1963年

九州高校球界随一の内野手として去就が注目されていた三池工の苑田(ソノダ)敏彦三塁手=1㍍71、73㌔、右投右打=は二十八日平和台で行われた夏の高校野球福岡予選で自チームが敗退したため、プロ入りは時間の問題となったが、周囲の状況からいって広島入りが決定的となった。苑田三塁手がプロ球団から脚光を浴びたのは、今春の高校野球九州大会でのことで、足の速さ、肩の強さ、その上270匁(約1㌔余)程度のバットを軽々と振り回す腕っぷしの強さが、スカウト連をひきつけてしまった。地元西鉄はもとより近、南、毎、急、洋、神、広など八球団のスカウト連が積極的に交渉を重ね、一時は地元の利で西鉄が最有力といわれていたが、三池工の現監督と広島久野スカウトは社会人野球時代の師弟関係にあり、予選前、久野スカウトは再三九州へ渡り、交渉を重ねた結果「プロ入りするなら広島」という線までこぎつけた模様である。

広島久野スカウトの話 苑田君のように目、足、肩と三拍子そろった選手はそうザラにはない。バッティング練習を見て驚いた。ぜひ取りたい選手だ。

苑田選手の話 将来はプロ野球でやりたいと思っていますが、まだまだ自信がありませんので、将来のことはこれから家族などと相談して決めたいと思います。
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与田順欣

2015-06-30 19:22:17 | 日記
1961年

高校球界№1といわれる門岡投手(大分高田高)と並んで呼び声高かった熊本八代商の与田順欣投手(18)=右投、右打、1㍍79、68㌔=はこのほど東映入りに踏み切った。本格派の与田投手が頭角を現したのは、春の九州大会で、負けはしたが済々黌を1安打に押えてからで、熊本県の№1投手として注目を集めていた。スカウトの意見ではすぐ間に合う門岡投手より、将来性豊かな与田投手のスピードとドロップを買っているものが多く、西鉄、東映が交渉にのり出したが、瓜生スカウトの熱心さが実を結んでこのほど東映入りとなったもの。与田投手は主将、四番打者を兼ね文字どおりチームのワンマン、なお八代商は二十二日の二回戦で熊本工に3-1で敗れている。
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橋本孝志

2015-06-29 22:56:52 | 日記
1964年

近鉄入りが決定的だった博多工の橋本孝志投手(17)は二十八日、父親勇さん(42)と近鉄瓜生スカウトに伴われて空路大阪へきて永江近鉄社長と会い入団を内諾、きょう二十九日球団から正式に発表される。同投手は右の本格派で、182㌢、82㌔の恵まれたからだから投げおろす速球には定評があった。春の選抜大会では二回戦で下関商を、準々決勝で浪商をくだしてベスト4に進出、新潟国体では博多工優勝の原動力となり、慶大の渡辺、下関商の池永らとともに各球団スカウトからねらわれていた。

別当監督の話 昨年の十一月九州の香椎球場で久留米商戦で投げる橋本君をみた。本格派のスピードのある投手だ。これだけ大きな体をしているので細工をさせず本格派投手として大成させたい。日本プロ球界では本格派投手が少ないだけに、ぜひ彼に本格派として育ってもらい、近鉄投手力の主力になってほしい。

橋本投手の話 西鉄からも話があったが、近鉄には先輩の山田さんがいるし、監督さんも尊敬しているのでお世話になることに決めた。目標は徳久さん、練習は来春のキャンプから参加する予定。それまではランニングを行い足腰をきたえ、キャンプに参加したときはいつでもボールを握れるようにしたいと思っています。
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舟渡光政

2015-06-28 22:25:29 | 日記
1962年

兵庫県でA級の強打者といわれていた鳴尾高舟渡光政中堅手(18)はこのほど東映入りが決まった。舟渡は早くからウワサのあった強打者で、体格もよく、大もの打ち。同校の監督がもと近鉄の日下外野手のところから近鉄、南海、阪神の在阪球団と交渉を行っていたが、在阪球団との話し合いがスムーズに進まなかった。その問題をぬって東映が早急に交渉をまとめたもの。1㍍81、76・5㌔、右投右打。
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マンコビッチ

2015-06-28 21:01:34 | 日記
1962年

大毎オリオンズ入団が正式決定した元2A級リトル・ロックにいたフランク・マンコビッチ投手(25)の契約は、二十六日午前東京都荒川区南千住の東京スタジアム内大毎球団事務所で松浦代表との間に行われた。大毎では契約終了後ただちに連盟に選手登録、同投手はあす二十八日からの東映戦より試合出場が認められた。大毎では同投手を「マニー」と呼ぶことにしているが、背番号は「13」1937年3月12日生まれ。米国ペンシルバニア州ユニオン・タウンのノース・ユニオン・ハイスクール出身。アメリカ・プロ野球界には五年在籍した。身長1㍍81、体重81・6㌔、右投げ右打ち。

マンコビッチ投手の話 来日(十三日)以来ずっとオリオンズとともに練習をしてきたのでたとえ二十八日に先発登板を命ぜられても投げ切れるコンディションにある。ストライク・ゾーンの相違で苦労しないかといわれるが、私は大丈夫だ。武器は速球、それにスライダー、カーブも投げる。併殺を狙うときにはシンカーを使うようにしている。今シーズンどれだけ働けるかははっきりいえんが、10勝できる自信はある。
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古田忠士

2015-06-28 19:12:12 | 日記
1964年

今夏の全国高校野球選手権大会準優勝校早鞆高主将古田忠士遊撃手(18)=1㍍72、63㌔、右投右打=は「大学進学かプロ入りか」でその去就が注目されていたが、このほど「プロ入り」と踏み切り大洋入団が決まった。なお正式契約はあす二十八日下関市内で行われる。同選手は今夏の予選で打倒池永の立役者として活躍、主将の重責をになって三番を打ちチームの要として甲子園出場の原動力となった。甲子園大会でもそのシャープなバッティングと軽快なフィールディングで「高校球界屈指の遊撃手」として脚光をあびスカウトの目にとまった。ところが同選手は大学進学か社会人野球を強く希望しプロ入りについては消極的だった。地元の大洋は予選中すでに同選手を高く評価し、引地スカウトが勧誘に乗り出していた。同スカウトは自宅が同選手の実家(下関市貴船町)の近くでもあったことから大会終了後も連日熱心に足を運んだ。ところが同選手は聖火リレーの正走者に決まっていたため、その意思表示は十八日以降とみられ、一時交渉が中断されていた。その間同選手は「同じ野球をやるならプロで」に気がかわり、すでに早鞆高のエース亀井投手も大洋へ入団したこともあって熱心に勧誘をつづける大洋入りの意思を堅くしていったようだ。十八日以後は再三にわらり家族会議が開かれ、その去就について話し合いがなされたが、父親一男さんをはじめ家族は「プロでやるにしろ大学進学にしろ、すべて本人の意思通り」という結論に、同選手は石井早鞆高監督らと協議の末、プロ入りに踏み切り大洋入団が決定した。
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竹屋三郎

2015-06-28 18:42:39 | 日記
1961年

中日をはじめ阪神、東映、西鉄、南海、阪急など8球団からプロ入りを勧誘されていた、社会人野球協和発酵防府の左腕竹屋三郎投手(20)=福山工高出=は、三日中日ドラゴンズ入りの意思表示をした。同投手は左投げ、左打ち、身長1㍍78、体重75㌔で、中日の権藤投手を左にかえたようなタイプの本格派投手である。左腕にしては珍しくコントロールがあり、右打者のひざもとに食いこむ速球と、落差の大きいドロップが武器である。同投手を一番最初に見出したのは水原監督で、すでに三年前から誘っていたといわれる。中日もやはり柴田チーフ・マネが三年前からマークしていたが、当時は「自信がない」という理由で、プロ入りの決意を得るにいたらなかった。一時は阪神が有力で契約寸前までいっていたが、中日のまき返しが成功した。左腕投手が皆無の状態にある中日投手陣にとって、竹屋は貴重な存在となるにちがいない。なお正式契約は、七日球団事務所で行われる。

柴田チーフ・マネの話 三年ほど前からマークしていたが、本人が「自信がない」というのでのびのびになっていた。やっと交渉が実ってうれしい。左投手だが四球を出すことはまれにしかない。コントロールがあるが、なによりスピードが威力だ。きっと働いてくれると思う。
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神谷雅己

2015-06-28 17:24:29 | 日記
1960年

大毎オリオンズ入りのきまっていたハワイ朝日軍の大型捕手リチャード神谷捕手(23)=日本名は雅己=が二十日午後四時十分羽田空港着のPAA機で来日した。顔なじみのカイザー田中コーチ、西田、ディサ両投手の出迎えを受け、にっこり笑った神谷捕手は疲れの色もみられなかった。すぐに空港ロビーで別掲のような記者会見を行ったが、同選手は昭和十三年七月十五日生まれ、マッキンレー高校時代にハワイ高校選抜チームの一員で来日、今春は朝日軍の主力選手で二度目の日本遠征をしている。正式契約は後日松浦代表が帰京次第行われるが、二年契約の模様。背番号は本人の希望を入れて「46」きょう正午から駒沢球場で初練習をする予定である。1㍍78、81㌔。なおエイ子夫人と二人の子どもは同選手の実姉とともに二十三日来日する。
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石田卓司

2015-06-28 16:57:36 | 日記
1965年

国鉄スワローズは五日、石田卓司投手(18)=下田北高出、右投右打、身長181㌢、体重80㌔=の入団発表を行った。石田投手は三日から横浜市大倉山の国鉄グラウンドでの練習に参加していたが、このほどテストに合格し、五日契約をかわした。
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丸山隆男

2015-06-28 16:47:24 | 日記
1963年

北信越球界での本格派投手として今夏の甲子園大会でも注目された富山商の丸山隆男投手(18)=1㍍82、73㌔、右投右打=は、このほど巨人入りが決まった模様。同投手は二年生の昨年から将来をしょく望された好投手で、ことしはフォームを変えたが、カーブと速球を武器に今夏の甲子園大会では一回戦で下関商の池永と投げ合い、惜しくも敗れはしたが、その好投が買われて大会終了後ハワイへ遠征する選抜チームの候補にあげられている。だがこのため巨人との間には正式契約はまだ終わっていない。しかし本人をはじめ家族も巨人入りを希望、富山が読売新聞正力社主の出身地ということもあって、巨人入りは確実とみられている。
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作道烝

2015-06-28 16:09:39 | 日記
1963年

日立製作所野球部の作道烝(すすむ)捕手(20)=新田学園出身、右投右打、身長1㍍78、体重75㌔=はかねてから、東映、大洋、国鉄、近鉄などから、勧誘を受けていたが、二十五日の都市対抗野球で、同選手が補強で加わった日鉱日立が敗れたため、近日中に日立製作所を退社、東映の誘いに応じることになった。同選手は高校卒業と同時に地元丸善石油に入社したが、同社の野球部解散にともない、岡田監督(現在丸井監督)の紹介で三十七年日立製作所に転籍、持ち前の長打力をいかんなく発揮して活躍をつづけた。そのすぐれた素質に目をつけた各球団が獲得に乗り出した。出足の最も早かった東映は、荒井スカウトが岡田氏を通じて交渉に当り、熱心な勧誘を続けた結果獲得に成功したもので、東映としては捕手よりもむしろ打力を生かしての一塁手転用を希望しているようである。北関東予選で3ホーマーを記録した同選手は、続く関東予選でも神宮球場でホームランを放っている。
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