プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

森光正吉

2016-01-04 19:05:25 | 日記
1969年

ファーム暮らしで十年選手になった森光正吉投手(28)が今シーズン限りで退団、球団職員として再出発することになった。森光は三十四年高知商から阪神入り、プロ生活十一年間で二勝四敗、もっぱらバッティング投手に終始した。それでも今季はその下積み生活が認められ、村山のアドバイスもあって一軍入りのチャンスをつかみかけたが、ついにモノにすることができなかった。中日から巨人へとバッティング投手一途に生きた選手として野口勝治が知られるが、森光もこの野口と同じように黙々と投げつづけ、チームの打力向上に一役買った功績が高く評価されたものだ。「ボクなりの人生を精いっぱい生き抜いてきたので悔いはない。ただ一つ残念なことは、チームが打てない打てないといわれることだけ、、」下積み生活で得た体験を再出発に生かしてがんばってくれることだろう。
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福永栄助

2016-01-04 19:04:32 | 日記
1969年

西鉄の福永栄助の名前を知るファンは少ないだろう。投手だが、その背番号52は、首脳陣がさして期待していなかったことを意味する。それもそのはず、昨秋の新人募集で合格した、プロ選手のひなドリだからだ。西鉄が一千万近い金額を積んで入団したさせたドラフト一位の東尾修(箕島高)と待遇面では、それこそ月とスッポンの違いがあった。話はやや古いが、二月末平和台での紅白戦で、この二人が紅白に分かれ、先発した。東尾が荒武の3ランを浴び、負け投手になったのに、福永は四イニングを無失点で投げきった。チーム内は「テスト生が金のタマゴに投げ勝った」と大さわぎ。福永株は決定的にハネ上がった一瞬である。オープン戦では、三月十一日の対中日戦で先発、四回二本のホームランを打たれはしたが、三回まで無安打に押さえた。「直球、カーブ、シンカーをマスターしており、上手投げの本格派のフォームは魅力。高目はともかく、低目の直球がプレート近くでグーっと伸びる。それだけでも希少価値」中西監督が惚れ込めば、地元評論家の評判もいい。「プロのこわさを知らないといえばそれまでだが、思い切りのいい投手。いかにもルーキーらしい速球が素晴らしい」(河村英文氏)「下半身を鍛えれば、さらに球速は増す。いまのフォームで、投手として充分の力を出せる」(島原輝夫氏)熊本・九州学院高では、控え投手で甘んじた福永は、プロで大きくはばたこうとしている。それどころか、三十一年の稲尾出現を思わせる、みずみずしさがある。稲尾は契約金五十万円、いまでいうテスト生並みの扱いだったが、騒がれて入団した同期の畑投手(元中日)を問題にしない活躍をして、一年目のデビューを飾った。その稲尾が腰痛で、四月中の登板は不能、またエースの池永も肩が思わしくなく、開幕投手は無理といわれる。この二枚看板を欠いた西鉄投手陣ではライオンズの星として期待されるのが福永だと中西監督は考えている。この本格派のルーキーはリリーフでお茶を濁すような秘密兵器と違う。「もちろん先発要員の一人。まかり間違えば、若さにものをいわせ完投もやってのけよう」というほど、首脳陣は頼りきっている。混戦のパ・リーグが予想されるなかで最下位説がささやかれる西鉄。しかし福永の右腕が秘密兵器どころか救世主になるかもしれないのだ。
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北角富士雄

2016-01-04 19:03:20 | 日記
1970年

北角といえば、もう忘れられたような存在になってしまったが、五年前に入団した早々のシーズンに、クイックモーションから投げ込む球にモノをいわせ、その年から6勝を上げ、注目された投手だった。ところが、右肩を痛めたのが原因で二年目からパッとせず、一昨年に三勝しただけで、昨シーズンは、とうとう一度も公式戦のマウンドをふむことすらなかった。ことしも春先から肩をかばったピッチングでファーム暮らしをつづけており「もう北角もおしまいか」といわれていたが、最近ウエスタン・リーグでは終盤の切り札として再三登場し、速いボールを投げて注目されてきた。長谷川コーチは、「肩の故障の方はもう、すっかりなおっている。あとは投げ込ませて、投球に力をつけさせていくこと。ロング・イニングはムリだが、二イニング程度なら、ボールもよく切れるし、一軍でも押さえに使えそう」とその復調を認めている。
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