プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

漆畑勝久

2019-10-28 13:21:53 | 日記
1961年

広島カープ入りを表明した明大の漆畑勝久遊撃手(21)=1㍍78、74㌔、右投げ、右打ち=は十日あさ六時二十八分広島駅着の特急「みずほ」で広島に到着。球団後援者である広島電鉄、東洋工業に入団のあいさつをしたあと、午後二時から広島市民球場内の球団事務所で正式契約した。漆畑は清水東高を経て明大入学と同時に上級生を押しのけて遊撃に定着、ことしの春リーグでは三割六分七厘打って明大優勝の立て役者になった。秋は足の故障、スランプから一割五分と低打率だったが、セ・パ両リーグから勧誘を受けていた。広島は昨年から漆畑獲得に乗り出し、ことし七月はじめ入団の内諾を得ていた。

漆畑選手の話 春のシーズンが終わったとき卒業したらプロにはいろうと決心した。広島から正式に話がったのもこのころだった。ぼくは六人兄妹の四番目で両親も好きな道を選べといってくれましたので、熱心にさそってくれた広島を選ぶことにした。広島には兄(東洋工業勤務)がいるし、高校時代何度も試合した大石さんもいるので心強い。これからは一日も早く試合に出られるようがんばりたい。

門前監督の話 大型遊撃手なので育てがいがある。私の構想としては遊撃と三塁の両方どちらでもやらせたい。漆畑の加入で漆畑を三塁にまわす場合、興津と藤井を一塁に使い。遊撃に使うときは三塁小坂、二塁古葉ということも考えている。なにしろ今シーズンは故障選手の続出に泣かされましたが、漆畑の加入で内野の層が厚くなった。
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佐藤進

2019-10-28 11:44:33 | 日記
1963年

国鉄は二日午後一時から東京・有楽町のラクチョウ・ビル内事務所でノンプロ富士鉄室蘭の佐藤進投手(21)=1㍍79、75㌔、右投右打、北海高出=の入団を発表した。研修期間は五十試合。背番号70。同投手は三十五年北海高が春、夏の甲子園大会に出場したときのエース。卒業(三十六年)後富士鉄室蘭へ入社したが当時は稲川(現大洋)のカゲにかくれて目立たなかった。稲川のプロ入り後、三十八年の都市対抗で25イニング無失点をつづけて決勝に進出。だが連投の疲れがでて優勝を逸した。発表後羽田午後二時五十分発の飛行機で北海度へ帰ったが、十日から練習に参加する。

佐藤投手「プロでどれだけやれるかはわからないが、一生懸命がんばりたいと思います。砂押コーチの熱心な誘いで国鉄を選びました。スピードをつけることとカーブをおぼえることがこれからの目標です」

浜崎監督「佐藤君のピッチングは見ていないが、若いし、体力もあるので小さくしない大型投手になってもらいたい」
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石戸四六

2019-10-28 11:37:15 | 日記
1961年

都市対抗野球で日鉱日立の補強選手として活躍した日立製作所の石戸四六(いしど・しろく)投手(21)=秋田商高出身=はこのほど国鉄スワローズ入りがきまり、二十七日東京の国鉄球団事務所で正式契約する。身長1㍍71、体重68㌔。右投げの本格派でシュートとスライダーが武器。

石戸投手の話「プロでも投げられるという自信がついてきたし、砂押監督にきたえてもらえばはやく一人まえの投手になれると考え、国鉄にゆくことにした。大洋にはいった先輩の佐々木投手(秋田商高ー日石)にまけないようがんばります」
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寺岡孝

2019-10-28 08:01:52 | 日記
1964年

広島カープは二十四日午後三時から広島市基町の市民球場会議室で専修大の寺岡孝一塁手(22)=身長1㍍75、体重76㌔、右投げ右打ち=の入団を発表した。背番号は未定。寺岡選手は宮崎商から投手として専大に進んだが、肩を痛めたため二年生の春から外野手に転向。三年生の春には3割2分を打ち、打撃10傑の第三位、ベストナインに選ばれた。今春から一塁手として起用されたが、この秋にも3割のアベレージを残し、再びベストナインに選出されている。広島は右の外野手がほしいところなので、白石監督は外野手に起用する意向のようだが、うってつけといえる。

寺岡選手の話 プロ野球は実際に見たことはありません。だが小池、堀込さん(南海)の活躍ぶりを見て、自分もやれる自信があります。広島を選んだ理由は熱心にさそってくださったからです。目標といって特別ありませんが、いまはただ、一日も早くレギュラーになることを考えています。
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西条勝男・黒田能弘

2019-10-26 16:54:02 | 日記

1961年

近鉄バファローでは十六日午後二時、大阪阿倍野の球団事務所で、岩手県盛(さかり)高の西条勝男外野手(18)と、巨人を退団した黒田能弘投手(21)の入団を発表した。西条選手は、右投げ右打ち、身長1㍍80、体重77㌔の大型選手で中央には名を知られていないが盛高時代一年生当時から県下のベストナインに選ばれた経歴の持ち主。高校三年間の打率は・397、本塁打5本、三塁打20本、二塁打32本を記録したという。近鉄のほか、大洋、国鉄からも勧誘されていた。背番号68。黒田投手は北海道北見北斗高出身、三十四年から三年間巨人でプレー、ことし整理されたが、別当監督、野口コーチがテストした結果パスしたもの、身長1㍍80、体重74㌔、右投げ右打ち、背番号64。

黒田投手の話 近鉄の人では巨人時代竹下さんと同室だったし、バッテリーを組んだことがある。巨人のとき、上手投げのぼくを下手投げにしろというのでちょっと気分的にくさっていたが、肩をこわしたこともないしスピードも前より出ていると思う。ストレートと落ちる球を武器に心機一転してがん張ります。

西条選手の話 高校時代はセンターをやっていました。肩と足に自信があります。プロ野球はテレビで見る程度でよくわかりませんが、一緒にやってみたいと思っていました。どれだけやれるかわかりませんが、一生懸命やります。
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寺本勇

2019-10-26 16:43:53 | 日記
1961年

かねてプロ入りを表明していた立教の寺本外野手(芦屋高出身)はさる四日、兵庫県尼崎市若王子西畑の自宅で、両親と相談したあと、いったん東京へ帰ったが、六日正式に大毎入りを決めた。十日、父親三郎氏が上京して立ちあいのうえ行なわれる予定。寺本選手は、秋のリーグ戦で四割一分をマーク、惜しいところで首位打者を逸したが、シャープなバッティングは三年生のころから注目されていた。八月にノンプロ松下電器への就職が内定していたが、先輩の保坂氏(大毎)が積極的に入団をすすめ、寺本自身も秋のリーグ戦での成績に自信を得てプロ入りに踏みきったもの。寺本選手の大毎入りについて母親はるさん(44)は、七日朝自宅で次のように語った。長男なので会社松下電機へはいってもらいたかったが、本人がプロでやりたいというので好きなようにさせました。新聞に契約金が千三百万円と出ていたそうですが、とんでもない話です。そんな大金はもらわないはずです。
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福田信夫

2019-10-26 16:36:04 | 日記
1961年

中日ドラゴンズでは、七日午後四時、立教福田信夫投手(19)=神戸市兵庫区湊川町10の158=の入団を発表した。同選手は、立教二年で中退、中日入りを決めたもので、めぐまれたからだと左腕からの速球には威力をもっており、各球団からのさそいの手がはげしかった。この日、同球団事務所で父親の将雄さん=神戸港湾職安所長=と母親さかえさんの両親につきそわれドラゴンズ入りの動機について「秋のリーグ戦前からプロ入りのことは考えていた。巨人の川上監督から熱心にさそわれて、まよったが中日高田代表や家族にしたくしている人から熱心なかん誘があり、自分は投手としての素質をのばすにはドラゴンズがもっとも適していると思い入団を決意した。村瀬投手(巨人)に負けないようがん張ります」と語った。育英高出身、身長1㍍77、体重75㌔、左投げ左打ち。
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野口勝治

2019-10-26 08:18:32 | 日記
1964年

「三回でも四回でもいいから、救援でもピシャリと押え込める投手がほしい」というのが杉浦監督の考え。巨人の宮田は今シーズン救援専門で大活躍したが、杉浦監督は宮田のようなタイプの投手を頭に描いているのだろう。救援投手の条件は①制球力が豊かなこと②度胸がいいこと、の二点だ。この条件を考えて適任者と白羽の矢が立てられたのが二年生の野口。野口は作新学院からノンプロ明電舎(三年生)を経て、昨年秋入団した新鋭。高校時代は捕手、中堅手、そして三年生のとき肩がいいのを認められて投手になった。投手としてはまだ五年目。両親は日本橋で衣料商を営んでいるが、ひとりっ子ということで両親は野球をやることに大反対。「それでも野球をやるというなら勘当にする」とまでいわれたという。しかし野口は反対を押し切り好きな野球の道を選んだ。「いまではもう仕方ないと許してくれましたが、反対を押し切ってまで自分んで選んだ野球だから、なんとか一人前にならなければ、申しわけないし、僕自身も今後大きな顔ができない」といっているがこのあたり野口の意思の強さと勝ち気な性格があわられている。野口は、度胸がいい点では定評がある。「マウンドに上がって、あがったという記憶は、いままでにはない。もっともまだ若いから、こわいもの知らずなのでしょうね」とケロリといってのける。コントロールは投手陣でもいい方だ。しかしフォームがなめらかすぎるために、打者に威圧感を与えない。それにいままでのフォームはスピードもこれ以上には出ない。こうしたふたつの点から、杉浦監督は投げ方を変えさせた。新しいフォームは、バックスイングのとき、腰を右へ思い切ってひねり、その反動を利用して投げ込む。腰をひねったときは、背中が打者にまる見えになる。投げ方は上手、下手と違うが、クルリと一度背中をみせて投げる西鉄の若生とだいたい同じフォームだ。投げ始めてから一週間だが、野口は「スピードが前よりも出てきたような気がするし、変化球の切れもよくなったような感じだ」と新しいフォームに満足の表情。「新しいフォームのシャドー・ピッチングを毎日くりかえして、このオフのうちになんとか自分のものにしたい」とヒトミを輝かせて語った。正月まで名古屋にとどまってトレーニングを続けるという。
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柴田英治

2019-10-25 07:45:45 | 日記
1956年

柴田が大映を散発の三安打に押え完投勝利を飾った。大映は一回坂本が二塁打、捕逸で三進したが、高野以下いずれも三振して無得点…。逆に二回阪急が渡辺の右中間二塁打をいかし一点をリードした。四回は藤井が中前安打、ここで後藤を救援した三浦を戸倉の遊撃強襲安打で一、三塁と追いつめ渡辺の二ゴロで二点目をあげた。柴田の球はコントロールされ、とくに外角へ流れるスライダーに効果があった。二回からの大映は二塁ベースを踏めず完敗といってよかった。
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大野守、伊藤博文、早川靖雄

2019-10-24 22:02:12 | 日記
1959年

近鉄バファローでは十四日、大野守内野手(18)=徳島商、183㌢、75㌔、右投右打、背番号38。伊藤博文内野手(17)=大分高、178㌢、78㌔、右投右打、背番号42、早川靖雄外野手(18)=浪商、178㌢、80㌔、右投右打、背番号49の三選手と契約したと発表した。
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中前健児

2019-10-24 21:45:56 | 日記
1963年

大毎オリオンズは、六日午後一時から大阪・堂島の大映関西支社で新入団選手の発表を行なう。関西球界では左腕ナンバー・ワンといわれている中前健児投手(18)=県尼崎高中退、左投げ左打ち、1㍍72、68㌔で、青木チーフ・スカウトが立ち会って報道陣に紹介される。中前投手はコントロールが身上で、大毎ではリリーフ専門投手に育成する予定。
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大坂雅彦

2019-10-24 21:37:16 | 日記
1959年

かねてからプロ入りがウワサされていた、徳島商高の大坂雅彦選手(17)は、パ・リーグの近鉄へ入団が決定した。二十三日午前十一時から徳島市昭和町七丁目同選手宅で、来徳中の近鉄球団の加藤春雄技術顧問立会いのもとに正式契約調印した。昨年夏甲子園で準優勝した徳島商高遊撃手。主力打者として板東投手(現中日)こんど阪急入りした広野外野手らとともに活躍、昨年秋からはその強肩を買われてマウンドにのぼっていたが、投手としてよりむしろその無類の強肩と強打は、将来大型の外野手として期待が大きく、プロ野球では近鉄を始め阪急など、また社会人野球からも数多く勧誘されていたが、去る九月中旬松下電器入社が内定した。ところがその後家庭の事情でプロ入りにふみきり、松下電器とも円満に話し合いができて、徳島出身の林義一代理監督の説得から近鉄へ入団が決まったもの。身長1㍍80、体重74㌔、右投右打。

大坂選手の話 松下電器に入社するつもりでいたが、家庭の事情でプロ入りすることにしました。近鉄には先輩も多いし、板東(鳴門高)ら地元から一緒に入団するので、みんなに負けないよう一生懸命努力してがんばります。

加藤技術顧問の話 攻守にスケールが大きく非常に素質がよいので、本人の努力次第では将来ウチの主軸になる選手だと思う。監督の千葉さんをはじめ林代理監督、平井コーチら徳島出身の先輩がいるので、大坂君も心強いだろう。
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野口勝治

2019-10-24 21:17:30 | 日記
1964年

制球力はいいが、全体に小ツブで、投球そのものがおとなしすぎる野口をスケッチすると、こんなタイプの投手だった。「あの制球力とシュートを持ちながら、このまま埋もれさせるのは惜しい」と杉浦監督は昨秋の特別練習から、投球フォームを大幅に変えさせた。一口にいうと、普通のオーバー・スローの投法を、いったんクルリと背中を打者の方へ向けて投げこむ。ロカビリー投法に改めた。西鉄の若生投手と同じフォームと思えばいい。昨秋から、改めているだけに、もうこのキャンプでは、初めからその投法を身につけ、先の紅白戦で投げたときでも、たしかにタマに一段と伸びが加わっていた。「自分でも、いまの投法に改めてから、タマが速くなったと思います」という野口は、もう一つ決めダマに威力が増せば、第一線の戦力としておどり出すことも可能だ。
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山口純弘・石井久一

2019-10-24 21:06:24 | 日記
1960年

先週お伝えした第一次整理の五人に次いで、球団はさらに山口純弘、石井久一の両選手を整理名簿に追加した。山口選手は今シーズン高校球界の名門新宮高から投じた内野、石井選手も駒沢大から期待のうちに迎えられた外野手だが、ともに目立った成長もなく、当人の前途も考えて整理に踏み切ったもの。いやなニュースだが、野球だけが人生でないとしれば、きびしい練習をくぐってきただけに、一般サラリーマンとしては資質十分。彼らの新しい門出を祝いたい。
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波山次郎

2019-10-12 16:53:25 | 日記
1960年

波山が投手として自信をもったのは、昨夏の甲子園大会である。このとき、はじめてヒノキ舞台のマウンドを踏んだ波山は第一戦で杉町(長崎南山高ー西鉄)と投げ合い、2安打に完封、全員三振の17個を奪い1-0で勝った。体は大きくないが非常に度胸がよく外角ストレートと切れのいいドロップでクローズアップされたものだ。今夏も嶺岸のリリーフ役にまわってビッグフォアに残っている。ハワイ・アメリカ遠征に当然選ばれるはずだったが、韓国籍の波山は選抜チームにも国体にも出られなかった。試合で負けても涙をみせない波山だが、このときだけは男泣きにくやしがった。松尾部長に「籍だけでもいいから先生の子にして下さい」と頼み込んだほどである。が父親大植氏にきびしくしかられた。妻子を母国に置いたまま一旗あげようと単身日本にやってきた大植氏は常に韓国人の誇りをもてと一切甘えることを許さない。波山の強い性格、すべてに全力を傾ける集中力は、父親のこうした教育に芽ばえたのだろう。松尾部長も「残りがないと思うほど、いつも一生懸命にやっている」という。非常にバネが強い。毎朝家の近くの愛宕山神社で百八十段の階段を五往復するランニングできたえた強さである。それだけに波山のバネは、なまくらではない。ストレートもかなり速いが、もう一息の威力がない。だが、ドロップには絶対の自信をもっている。「2ストライクをとってからおもにドロップで勝負するがいままで打たれたことはほとんどない。しかし、左打者には投げにくい。シュートで外角を攻めようと思うが、シュートのコントロールに自信がない。これからは、シュートをマスターし、ピッチングにうまさをつけたい。人より体が小さいのだから、打たせてとるコツを覚えないとダメだと思う」十八年間、あまり人にたよらなかった波山は自分のことをよく知っている。波山が生きるとしたら、やはり技巧だろう。波山は、上体が堅いとよくいわれる。スピードが足りないのもこのためで、上半身がかたく、腕の力が抜けていないからだ。これが波山からとれたとき、その真価があらわれる。ショート・リリーフならすぐにでも使える投手だが、みがけばみがくほど光る素質をもっている。「高校では自信があったが、プロでどの程度やれるかわからない。早く一人前になりたい。大洋のチームカラーは好きだし、三原さんが監督になられたし、やりがいがあるので一生懸命がんばる」というのが波山の抱負である。釣りが好きな静かな男だが時代劇の切り合いが好きという一面もある。1㍍73、68㌔。

松尾部長の話 体力はないし、練習もプロに比べたら十分でない。高校でどうにか投げても、プロの世界は格が違う。選手に好かれる人になるよう心がけてほしい。波山は力をふりしぼり、全精神力を集中して投げる。それが波山のとりえだ。その半面、反動で投げるから球が軽い。ストレートは不十分だが、ドロップがいいので、リリーフ投手向きだ。打者一巡まではすぐでも投げられるだろう。プロでの投球のコツを覚え、早く一人前になるよう期待している。
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