1976年ファーム
50試合・155打数38安打・打率245・本塁打3・打点17
1976年
・今季のイースタンは目下、遊撃手が花盛りといった感じだが、中でも地味ながら力を着けてきたのが日ハムの4番を打つ相本。骨折事故などで出遅れたが、4年目の今シーズンはハツラツとしたプレーを見せている。打率は低いが、大洋5回戦「日ハム多摩川」では3号ホーマーを飛ばすなど攻守に厚味が出てきた。三池工ー東海大ー三菱キャタピラを経て、ドラフト3位で入団。ルーキー当時から、その鉄砲肩は注目され、バッティングも当時の田宮監督から「癖がないし、実にシャープ。どこもさわる必要がない」と二重丸をもらっていたほどだった。だが、阪本や高橋博らの陰にかくれ出番がなくケガなどで低迷を続けていた。「もともと、ボクは守備より打つほうに自信があるんです」と、やる気を見せているが、この調子でいくと1軍の遊撃手が手薄だけに「遅咲き」相本の出番がやってくるかも・・。
50試合・155打数38安打・打率245・本塁打3・打点17
1976年
・今季のイースタンは目下、遊撃手が花盛りといった感じだが、中でも地味ながら力を着けてきたのが日ハムの4番を打つ相本。骨折事故などで出遅れたが、4年目の今シーズンはハツラツとしたプレーを見せている。打率は低いが、大洋5回戦「日ハム多摩川」では3号ホーマーを飛ばすなど攻守に厚味が出てきた。三池工ー東海大ー三菱キャタピラを経て、ドラフト3位で入団。ルーキー当時から、その鉄砲肩は注目され、バッティングも当時の田宮監督から「癖がないし、実にシャープ。どこもさわる必要がない」と二重丸をもらっていたほどだった。だが、阪本や高橋博らの陰にかくれ出番がなくケガなどで低迷を続けていた。「もともと、ボクは守備より打つほうに自信があるんです」と、やる気を見せているが、この調子でいくと1軍の遊撃手が手薄だけに「遅咲き」相本の出番がやってくるかも・・。