プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

1953年 巨人 テスト生

2019-08-31 20:47:59 | 日記
1953年

さきごろ東京および大阪で二十八年度新人の公募を行った読売巨人軍では、応募人員合計二百八十余名中第一次予選に合格した十四名につき最終テストを行った結果、十月一日次の四名を合格と決定、採用するむね発表した。

山田幸造20歳、五尺九寸、二十一貫、投手、右投右打、秋田県船川水産卒。
川上義信19歳、五尺七寸、十七貫五百、投手、左投左打、京都商業在学中。
関口正巳19歳、五尺九寸、十七貫、投手、右投右打、熊谷商工在学中。
村田喜三郎20歳、五尺六寸、十七貫五百、捕手、右投左打、秋田県角館北高卒。
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横尾弘氏

2019-08-31 09:12:48 | 日記
1958年

東映では十日山形商横尾弘氏投手(20)=1㍍78、71㌔、右投右打=と契約した。
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山野本忠志

2019-08-30 22:14:41 | 日記
1959年

やや上り坂の西鉄が首位南海を平和台に迎えて先発させたのが三年生の山野本。意外だったが山野本は七回投げて被安打は数発の五本という好投で西鉄を勝利にみちびいた。八回から稲尾と代ったが、強力な南海打線を手玉にとったピッチングはみごと。
「三回目の登板なんだが、きょうの先発はわかっていた?」
山野本「きのうから先発をいわれていました。南海相手でも別に固くなるようなことはなかった」自信があったからこそ固くならなかったのだろう。
「勝負球は?」
山野本「外角のシンカーでした。南海はこの球を引っ張ってくれて途中から楽になりました」このシンカーが外角によくきまり、南海の右打者は引っ張り凡ゴロを重ねていった。
「2ストライク後によくスロー・カーブを投げていたが、意識して投げている?」
山野本「意識して投げています。このカーブは二軍戦で投げてきたらほとんど打たれなかったので、これならやれると自信がわき、きょう使ってみました」
たしかに南海の打者も打ちあぐんでいた。そのカーブを投げるときモーションが少し早くなるが、球がおそいのでタイミングを狂わせるのに効果があった。
「杉山に二本、左前に打たれたが」
山野本「二本ともシュートです。私の場合左打者が恐ろしいとは思いませんが、ふしぎによく打たれますので、気をつけて投げないといけませんね」
山野本のようなサイドから投げる投手は左打者に弱い。今後研究の余地が多分にある。
「捕手の河合さんのサインどおりに投げたんです。河合さんのようなベテランのいうことはそのままきいてよいと思いますから」
河合がいてこその好投だと思うその河合は「シンカーが低目によくきまり、私のサインどおり投げてきた。球はそう速くはなかったが、南海打者が早いカウントでひっぱってきたので助かった」といっていた。
「きょうの調子は最高のものと思うか?」
山野本「春のオープン戦の方が調子はよかった。だが打たれた球が真正面にいくことが多くツイていたんです。一つ間違えば裏目、裏目と出て打たれるものですが、ラッキーだったと思います」と謙遜したが、打者のタイミングを狂わせうまく外角を攻めたあたり、ラッキーだけとはいえないピッチングだった。
「君の投球フォームは?」
山野本「シンカーは少し低目から、直球は少し上から、カーブは上から、と投げわけています。サイドより少し上から投げた方が投げやすいんです」
「きょうでプロ入り初勝利だね」
山野本「大毎に一敗(八月十八日・後楽園十七回戦)してナニクソと思った。かえってあのとき負けたのがよかったと思います。やはり初勝利の味は格別です・・・」
愛媛県新田高からプロ入りし、二軍でのまじめな練習がやっとみのってきたというところだ。1㍍79、72㌔、右投右打、二十一歳。
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ミケンツ・ボトラー

2019-08-30 21:33:57 | 日記
1959年

「野球は八分どおりバッテリーで決まる。これまで近鉄をみてきて、まだまだバッテリーが弱いということを痛感している。だから投手一人、捕手一人とすぐ戦力になるものが二枚欲しいもういまになってそんな選手はノンプロにもいないのでアメリカに求めているんだ」とキャンプ中に千葉監督が語っていたがその意向にそってこのほど近鉄へ外人二選手の入団が確定した投手のグレン・ミケンツ(27才)と捕手のロナルド・ボトラー(25才)がそれである。ミケンツ投手は30年のモントリオール(3A)をふり出しにロスアンゼルス(PCL)-ビクトリア(2A)と上がったり下がったりの成績だったが、昨年最下位のビクトリアで9勝をマークした健投が認められて、今年はPCL(シールスでおなじみのパシフィック・コースト・リーグー大リーグと3Aリーグの中間的存在)への昇格が約束されていた。182㌢、97㌔という立派な体格で、その右腕からくり出す速球はさきに来日したサディナ(南海)に劣らぬものといわれている。あちらではわずかなウォーム・アップで登板できるところから、もっぱらリリーフ投手として珍重されていたが、近鉄では先発、救援両面で活躍することだろう。ボトラー捕手は31年から33年までの三年間、ポートランド(PCL)で強打強肩の好捕手として鳴らしてきた。ミケンツに劣らぬ182㌢、90㌔のがん丈な身体の持主で、球界垂えんの大型捕手である。大柄なわりに細かい神経の持主で投手のリードもうまいとのふれこみだ。しかも昨シーズンは打率・281をマークし、打率もいいというのだからこたえられない。
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谷車明

2019-08-30 21:11:02 | 日記
1958年

阪神では近大中退の谷車明(たにぐるまあきら)捕手(20)と契約、四日付で連盟から公示された。七日から出場できる。1㍍78、71㌔、右投右打、背番号55。
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玉井英紀

2019-08-30 21:10:15 | 日記
1958年

愛媛県今治西高の玉井英紀投手(17)=1㍍72、66㌔、右投右打=は、このほど西鉄入りが内定した。同選手はさきの高校野球県予選では不調のため二回戦で大洲高校に敗れたが、県下高校野球では随一の速球投手といわれ、今春から西鉄、巨人をはじめ、ノンプロ、大学などから勧誘されていた。

玉井投手の話「いろいろ考えで郷土の先輩重松さん(二軍監督)のいる西鉄を選びました。稲尾投手を目標にがん張ります」
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江渡辰郎

2019-08-30 20:52:11 | 日記
1958年

近鉄では兵庫県尼崎高江渡辰郎投手(18)=1㍍85、63㌔、右投右打=の入団が内定した。同投手は昨秋岡山南高との試合でノーヒット・ノーランを記録している。
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高松延次・富田孝佳

2019-08-29 20:59:26 | 日記
1958年

大洋ではこのほど兵庫県報徳学園の高松延次捕手(18)=1㍍76、69.5㌔、右投右打=と徳島県海南高富田孝佳投手(18)=1㍍75、67.5㌔、右投右打=の入団がきまった。高松は一年生からレギュラーで三年間に13本塁打を記録した大型捕手。地元阪神、阪急、大毎、近鉄、広島、西鉄の六球団からねらわれ、八月末にはノンプロ川崎重工に就職がきまったが、本人の希望でプロ入りすることになり、条件のよい大洋にきまった。富田は関大進学が内定していたが阪急と大洋が最後までせり合い、大洋入りしたもの。

報徳学園・沢井野球部長の話 高松は川崎重工に就職が決定してから、プロにいきたいといい出したので、川崎重工には了解してもらった。プロでも十分やれると思っているので、技術的には心配ないが、気の弱い性格なので、プロの空気にのまれないかと気がかりだ」
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森光正吉

2019-08-29 15:17:54 | 日記
1958年

阪神ではこのほど高知商森光正吉投手の獲得に成功した。正式契約は十一月上旬大阪梅田の球団事務所で行なう。森光は巨人入りがほとんど内定していたのだが、ある事情でご破算になり、阪神、大洋、広島三球団がねらっていたが、一番好条件(税込み六百万円)の阪神が射落としたもの。

阪神・戸沢代表の話「一時巨人から話がかなり進んでいたらしいが、十月はじめ巨人との話がまとまっていないことを知ったので、佐川君が様子をみにいって話をまとめた。高校野球ではなじみな選手だし、この夏にはノーヒット・ノーラン・ゲームを記録して、大試合の経験があるのですぐ使えるのじゃないかと思う。契約は十一月はじめに本人が来阪して行うことにしている」

須崎中ー高知商中学時代は遊撃手。高校二年から投手に転向、その秋(三十二年)の四国大会で優勝、今春の選抜大会では一回戦で海南高に延長戦で敗れたが、夏の高知大会で優勝、甲子園の全国大会に出場した。甲子園では二回戦松阪商にノーヒット・ノーラン勝ち(四球3)四回戦の対平安高戦では安打一本で完全試合を逃している。準決勝で優勝チーム柳井高に1-0で敗れたが、下手気味サイド・スローで内角に浮きながら食い込む鋭いシュート。高低、横の変化と多彩なピッチングでプロ野球各スカウトからねらわれていた。今秋の国体に選抜されたが、プロ入りが内定していたため出場を辞退している。右投右打、1㍍71、69㌔、十八歳。
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1958年 阪神 戦力外選手

2019-08-25 13:51:42 | 日記
1958年

一昨年のお家騒動で名選手必ずしも名監督ならずといわれた藤村は、今シーズンは監督から一選手に下がり心機一転代打者としてグラウンドに姿を見せていたが、二十四試合に出場、26打数、3安打のかんばしくない成績でついにさる三十日、正式に引退発表、ユニホームを脱ぐことになった。昭和十一年阪神入団いらい「ミスター・タイガース」として活躍、通算打率・300、昭和二十四年には最高殊勲選手に輝き、二十五年首位打者、本塁打王二回、打点王五回と輝かしい足跡を残している。引退後はタイガースの功労者として背番号10は永久欠番とし、球団顧問として残ることになった。現在のところでは松浦投手、捕手の西、西岡、内野手新田、外野手では大木、三原、板垣の二線級選手が整理されているが、松浦、新田は鐘化カネカロンに就職が内定している。三年前高校球界の№1投手とさわがれ鳴りもの入りで入団した井崎投手も六日の契約更改の席上で退団の意思を表明しており、成り行きが注目されている。
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1958年 南海 戦力外選手

2019-08-25 11:20:16 | 日記
1958年

投手では円子、浅原、平山、外野手では末森の退団が決定している。コーチ陣の刷新をうわさされていたが、村上の退団中原がユニホームを脱いで松井捕手とともに同球団スカウト陣強化のため、スカウトとして活躍することになっている。円子は三重交通、末森は日炭高松入りが内定しているといわれ、浅原も門鉄入りが濃いようだ。
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1958年 大洋 戦力外選手

2019-08-25 10:21:51 | 日記
1958年

若がえりを期していち早く大量整理を発表した。大物は青田、児玉、小林のベテランだが、青田はまだまだ働ける選手で、ユニホームを脱ぐとは思えず、その動向が注目されている。しかしこの青田の場合もまだまだ表だった動きはないようだ。発表された名簿によると、投手では神田、豊田、下島、西岡、捕手では目時、吉成、本田、内野は山村、勝浦、外野は椙本、友川、川島らで、コーチの江田、有村も退団、迫畑監督もすでに去っている。このなかで友川は国鉄入団が決まり、十年選手の目時は球団との話合いでトレードに出されるもよう。小林は東北電々の監督に就任。迫畑は吉成をつれて日立にカムバックをうわさされている。
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武内和男

2019-08-25 09:09:09 | 日記
1958年

千葉監督を迎え、チーム強化に踏切り大洋とともに両リーグ通じ十七人の大量整理を行った。投手陣では武内、田中、小林、永井、佐藤、柏木、西野、青木、藤田、榎原、捕手は山田、内野では兵頭、君野、外野では木村(勉)伊川、日下の十七人。荒井は二軍マネ。永井は南海入りが濃い。田中も常盤炭鉱に就職が決まっている。十四年間プロ球界で活躍した木村はこれまでの経験を生かして高校、ノンプロあたりで監督でもやりたいようだ。変わりダネとしては大映から近鉄と九年間在籍した武内投手でプロ入りで中退した松山南高に復学する。また多田コーチは審判員に復帰の話もでている。現在のところは以上のような状態だが、来シーズンから支配化選手のワクがこれまでの五十人から四十五人にしぼられ、ワク内からはみでた選手は練習生ということで、残る選手もでてくるわけだが、まだまだこれから数多くの選手がユニホームを脱ぐことになりそうだ。
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西山英人

2019-08-24 13:46:54 | 日記
1959年

大洋は二十七日午後三時、丸ビルの球団事務所で、近畿電電の西山英人捕手(22)=徳島海南高出、1㍍71、67.5㌔、右投、右打=の正式契約を発表した。同球団では手薄な捕手陣を強化するために、昨年暮れから補強に乗り出していたが、三原監督から一切をまかされていた江田スカウトが、二十五日大阪で西山選手と話し合った結果、正式契約の運びとなったもの。二十七日朝、上京した西山は午前十一時契約に先立ち、川崎市等々力の大洋多摩川グラウンドに出て、トレーニングを熱心にみていた。なお西山は二十八日からトレーニングに参加する予定。

西山捕手の話「東映、阪神からも話があったが、大洋の若さに魅力を感じた。大洋から直接話があったのは、ことしの正月休みのあと、郷里の徳島から大阪へ帰ってきたときだ。プロの試合はほとんど見ていないが、できるだけ早く慣れ、にが手のシュートを打てるようになりたい」

三原監督の話「大洋のウィーク・ポイントは攻撃力とバッテリーだが、攻撃力の方は素質がある人が多いから徐々に地力をつけるとして、バッテリーの量が不足していることは致命的だ。とくに捕手は土井君ひとりだから、彼につづく捕手として西山君には期待している。鋭い中距離ヒッターで昨年の都市対抗での二割八分六厘という打率を見てもその素質がうなずける。あとはプロの投手に早く慣れ、相手の長所欠点をつかむことだ。私が調べた範囲では西山君は現在のノンプロ界では超A級、直接戦力にプラスする力を持っていることはまちがいない」
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水越敏郎、岩名健治

2019-08-24 11:46:22 | 日記
1959年

東映球団ではさきに鹿児島県照国高出身の山口勲投手、大分県佐伯鶴城高出身堺一也内野手の入団内定を発表したが、このほど、新たに二人の入団内定者を発表した。東京の修徳高出身の水越敏郎投手(178㌢、66㌔、右投右打)と大阪浪華工出身の岩名健治投手(177㌢、74㌔、右投右打)の二人がそれ。水越投手はコントロールを生命とする軟投派。一方の岩名投手は、軟式出身で、保井コーチに見出され、保井氏自らのテストの結果、入団に内定したもの。今夏の甲子園大会の開催中、保井氏は、有望選手物色のため、西下していた。現東映のエース土橋が軟式出身であることはよく知られているが、この岩名投手も第二の土橋として成長できるかどうか、その将来が大いに期待されている。
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