1959年
やや上り坂の西鉄が首位南海を平和台に迎えて先発させたのが三年生の山野本。意外だったが山野本は七回投げて被安打は数発の五本という好投で西鉄を勝利にみちびいた。八回から稲尾と代ったが、強力な南海打線を手玉にとったピッチングはみごと。
「三回目の登板なんだが、きょうの先発はわかっていた?」
山野本「きのうから先発をいわれていました。南海相手でも別に固くなるようなことはなかった」自信があったからこそ固くならなかったのだろう。
「勝負球は?」
山野本「外角のシンカーでした。南海はこの球を引っ張ってくれて途中から楽になりました」このシンカーが外角によくきまり、南海の右打者は引っ張り凡ゴロを重ねていった。
「2ストライク後によくスロー・カーブを投げていたが、意識して投げている?」
山野本「意識して投げています。このカーブは二軍戦で投げてきたらほとんど打たれなかったので、これならやれると自信がわき、きょう使ってみました」
たしかに南海の打者も打ちあぐんでいた。そのカーブを投げるときモーションが少し早くなるが、球がおそいのでタイミングを狂わせるのに効果があった。
「杉山に二本、左前に打たれたが」
山野本「二本ともシュートです。私の場合左打者が恐ろしいとは思いませんが、ふしぎによく打たれますので、気をつけて投げないといけませんね」
山野本のようなサイドから投げる投手は左打者に弱い。今後研究の余地が多分にある。
「捕手の河合さんのサインどおりに投げたんです。河合さんのようなベテランのいうことはそのままきいてよいと思いますから」
河合がいてこその好投だと思うその河合は「シンカーが低目によくきまり、私のサインどおり投げてきた。球はそう速くはなかったが、南海打者が早いカウントでひっぱってきたので助かった」といっていた。
「きょうの調子は最高のものと思うか?」
山野本「春のオープン戦の方が調子はよかった。だが打たれた球が真正面にいくことが多くツイていたんです。一つ間違えば裏目、裏目と出て打たれるものですが、ラッキーだったと思います」と謙遜したが、打者のタイミングを狂わせうまく外角を攻めたあたり、ラッキーだけとはいえないピッチングだった。
「君の投球フォームは?」
山野本「シンカーは少し低目から、直球は少し上から、カーブは上から、と投げわけています。サイドより少し上から投げた方が投げやすいんです」
「きょうでプロ入り初勝利だね」
山野本「大毎に一敗(八月十八日・後楽園十七回戦)してナニクソと思った。かえってあのとき負けたのがよかったと思います。やはり初勝利の味は格別です・・・」
愛媛県新田高からプロ入りし、二軍でのまじめな練習がやっとみのってきたというところだ。1㍍79、72㌔、右投右打、二十一歳。