プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

中本茂樹

2024-12-28 10:20:50 | 日記
1989年
一昨年までの、救援、中継ぎから、昨年は先発にまわる。6月7日の対巨人戦でついにプロ入り初完投を達成。今季スワローズ投手陣の要としてますます期待がかかる。

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レイ

2024-12-28 10:16:25 | 日記
1975年
昨年の終盤にトントン拍子にあげた3勝。「やるじゃないか」と再登板。日本野球に慣れたのか、「昨年の背番号は3、だから3勝、ことしは17勝だ」背番号も17にかわって大ハッスル。ひょっとしたら17勝するかもね。

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柳田将利

2024-12-28 10:13:06 | 日記
2006年
青森山田高では、エースとして3季連続で甲子園出場。左腕から繰り出すスピードボールは、MAX148㌔を超える。打者としても高校通算36本塁打を誇るパワフルな打撃が認められ、異例の二刀流挑戦が決定した。春季キャンプでは新人選手の中でただ一人一軍に帯同、高い野球センスに英才教育が始まった。まだ愛嬌ある丸っこい体系とユニークなキャラクターも魅力十分で、早くも大物感が漂う。底知れない可能性を秘めるビッグルーキーは要注目だ。

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バルガス

2024-12-28 10:09:26 | 日記
2003年
昨季は、シーズン途中から加入。1軍初登板初先発となった広島戦で、いきなり8回途中まで1安打無失点に抑えて世間の度肝を抜いた。まだ粗削りだが、球持ちがよく、打者にとってタイミングが取りにくいフォームは魅力。ただ、終盤は尻すぼみで、家族の事情でシーズン終了を待たずに日本を後にしたのが誤算だった。オフは母国ドミニカで休暇返上のトレーニングを敢行。万全の態勢で異国での開幕を迎える。


2004年


将来性を買われたドミニカンだが、昨季は登板数も6試合にとどまった。来日3年目の今季は、結果を残さなければならない。自慢はその長いリーチ。打者は腕が伸びてくるような錯覚に陥る。そして体重ののったストレートがコーナーを射抜く。「日本にも慣れた。やるしかない」ニックネーム「黒蛇」に恥じぬ投球で、飛躍を目指す。

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酒井弘樹

2024-12-28 10:06:51 | 日記
1994年
打倒西武を心に秘めた若者が、バファローズのユニフォームに袖を通した。「近鉄から声がかかってラッキーと思いました。新人王を目指して頑張ります」これがハツラルたるプロの第一声だった。国語の教師が多い国学院大から26年ぶりに出たドラフト戦士が酒井だ。何と卒業論文のテーマは森鴎外。MAX147㌔の直球に多彩な変化球を持っている。マウンドに上がると自分でも「性格が変わります」というほど、闘争心が前に出る。学生時代から、「アンチ西武」だった。正義感の強い23歳は強いものを倒すことに生きがいを感じている。背負う背番号は18。言うまでもなく、プロ球界はエースナンバーだ。野茂、小池に次ぐ契約金が酒井への期待の大きさを物語っている。


1997年


プロ入り3年目だった昨年は、先発ローテーションの一角として完全に定着、最高の1年を送った。しかし、同時に課題も見えてきた。8勝を挙げながら、負け数は、それを大きく上回る15敗。突然乱れる制球と、安定感のなさを克服することが、今後、さらに大きく成長するための課題となる。魅力は三振を取れる、抜群のスピードボール。昨シーズン見せた、1試合17奪三振は、まぎれもなく、酒井の真骨頂だ。不安のあった右ひざも昨年オフに手術した。次の目標は、近鉄のエースになることだ。

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ミラッキ

2024-12-28 10:02:17 | 日記
1997年
メジャー通算39勝の右腕。192㌢の長身から投げ込む145㌔の速球とスクリューボールは威力十分だ。メジャーでは名誉ある開幕投手も務めるなど、実績は申し分なし。33歳と年齢的にも脂が乗っているところだ。昨年のアキーノ以上の成績を期待しても、裏切られることはないだろう。

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デニス・パウエル

2024-12-27 21:34:01 | 日記
1995年
昨秋の日向キャンプでテストを受け、合格した助っ人左腕。低めにコントロールされた速球と、コーナーに投げ分ける変化球は日本球界で通用することまちがいなしだ。鈴木監督もこの貴重な左腕に「左の先発としてがんばってほしい」と期待する。まずは日本の水に慣れることが先決。日向ですでにハシの使い方をマスターするなど、パウエル自身もやる気十分だ。ノルマは2ケタ勝利。助っ人左腕が活躍すれば、牛投の未来は明るい。


近鉄の新外国人、デニス・パウエル投手(31)が21日、先発適正試験に合格した。紅白戦に初登板したパウエルは、先発で4回を投げて安打4、失点1。無難な結果に鈴木監督も「合格や。自滅するタイプでもないし、これからもどんどんようなっていくはずや」と合格点だ。野茂の抜けた後、先発候補として期待されている助っ人左腕。首脳陣が目を光らせた実戦初登板は、尻上がりに持ち味を発揮した。走者を背負っても、多彩な変化球で後続をピシャリ。「2回から集中できた。いつも通り緩急の差をつけることを心掛けたんだ」と、パウエルは満足そうに顔をほころばせた。圧巻は主砲・石井に投げたチェンジアップ。3回2死三塁、2ストライクからの3球目。いきなりサイドハンドから投げた落差大きいチェンジアップに、石井のバットは空を切った。「惑わされた。嫌なタイプのピッチャーですよ」と主砲も脱帽だ。上から横から自在に変化球を操るパウエル。「日本で長くプレーできるよう頑張るよ」新天地を日本に求めた助っ人左腕が、まずは第一関門を突破した。


スピードは130㌔後半ながら、変幻自在なフォームと変化球で2ケタ勝利をねらう。制球に難があるが、キャンプでの評価は上々。


年棒3500万円の無印良品近鉄の新外国人パウエルが、またまた好投した。スライダー、シュート、カーブを左右に散らして予定の6回を4安打無失点。これで3試合に投げて15イニングで自責点ゼロ。オープン戦での成績は、猛牛投手陣の中でダントツのトップだ。


1球1球に感情がこもる。ときには白い歯を見せたり、奇声を発したり。そんなパウエルが最後に勝利のガッツポーズだ。だれもが驚いた127球の完投劇。「自分でも驚いている。91年のマイナー時代に完投して以来だよ。」テスト入団の3500万円の格安助っ人が、完投一番乗りとは恐れ入った。なんと近鉄の外国人投手としては32年ぶりの勝利。野茂が抜けて手薄になった先発投手陣の穴埋め役。オープン戦から好投を続けていたが、「6、7回まで持てば…」が首脳陣の一致した見方だった。「あいつに聞いてやってくれ。心配していたんだが、本当に大したものや」鈴木監督もうれしい誤算にほめ言葉が見つからない。「本当にうれしい。完投なんて自分には考えられないから」緊張から解放されたパウエルに近鉄の帽子をかぶった息子のクリストファーちゃん(1つ)が抱きついた。

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クリーク

2024-12-27 21:29:48 | 日記
1999年
3Aフェニックスでは、ローテーション投手として8勝6敗。130回を投げて、137奪三振。カーブ、チェンジアップ、そして左腕特有のスクリューボールで、緩急と縦の変化を駆使して三振をとるテクニシャン。ストレートは、149㌔と虎投待望の左の先発投手として首脳陣の視線も熱い。

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丸尾英司

2024-12-27 21:26:58 | 日記
1995年
伸びのあるストレートと切れの良いスライダーが武器のサイドハンド投手。大学通算25勝1敗、全日本ではキューバチーム相手に好投するなど注目度も高い。即戦力としてブルーウェーブの投手陣に加わる日が期待されている。


1996年


細めの身体から繰り出すスライダーが武器。1年目から一軍出場を果たし、今季への期待は高まるばかりだ。


1998年


実力がすでにファームの域を脱していることは、ウエスタンでの成績を見れば明らかだ。昨年は一軍初勝利も記録し、第一関門を突破。ウエスタンのタイトルはもう要らない!1試合でも多く一軍で登板し、勝利を重ねてほしい。


2000年


オリックスを自由契約になり、ワラをもすがる思いで挑戦した近鉄の入団テストに合格。獲得を決めたのはほかでもない梨田監督だった。右横手投げから繰り出すクセ球と切れ味鋭いスライダーは、監督が二軍監督時代から印象的だったという。アマ時代は全日本の主戦として活躍したが、オリックスでは97年の1勝のみ。プロ6年目となる今季に、野球人生のすべてを賭けるつもりだ。

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榎本直樹

2024-12-26 08:35:43 | 日記
1973年
昨年の榎本はたったの1勝しかできなかったが、遠征先の宿舎で支払う酒代の方は、いつもベスト・スリーにランクされていた。今年のキャンプでも、若手連中が連想ゲームをやっていて、榎本のところにくると、すかさず出た答えが一升ビン。これには榎本自身も「うまい」と腹を抱えて笑い出す始末だった。ところが、シーズンに突入すると、酒代の請求書の額がグーンと減った。いまではベストテンにも顔を出していない。試合前も「オレ、もうちょっとしたら、酒と勝ち星は反比例する…なんていう本でも書こうかな」と、ニヤニヤしていたかと思うと、「きょうは朝の雨で下(グラウンド)が悪くなっていそうだ。大学(中京大)時代からこういう状態だと、足に力がはいらずついつい腕だけで投げてへばってしまった。気をつけないくちゃいかん」エース松岡弘につぐ信頼を首脳陣に受けている今シーズン。会話ひとつにしても、どこか余裕が出てきた。七回まで散発の5安打。が、プロ入り初完封を目前にしながら、八回途中でダウンして浅野と交代。「いかん、いかん。あんなに点を取ってもらいながら完投できんなんて、投手じゃない。それに三振したとき(六回)監督にバットを振らにゃ、ボールは前に飛ばんとおこられるし…」と、まるで敗戦投手のような口調だった。二十六日の都城で、6連敗と負け続けの中日に一矢をむくいたとき、ヒジを痛め、それが完治していない。八回、3連打を浴びたのも、ヒジの痛みが出たからだろう。「いや、そんなことはないですヨ。そんなの理由になりませんよ。とにかく打たれたぼくが悪い」なんだかんだと理由をつけ、逃げを打つプレーヤーの多いなかで、榎本はそんなことはひとかけらも口にしない。一升ビンは、裏のエースをめざしている。「ぴたりとやめたわけじゃないんですヨ。やめたら、酒造組合からクレームがつくからネ。一合ぐらいは…」この日でウイニングボールが三つになった。それをサカナに、この夜はチビチビやったことだろう。

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榎本直樹

2024-12-25 16:37:24 | 日記
1973年
九回、望月を三振に仕止め。初白星(プロ入り2勝目)をマークしたのにヤクルト・榎本の開口一番は「長いんだもんねえ」だった。一回二死一、二塁からのロングリリーフにちょっぴりクレームをつけた。初勝利ともなれば、どんな投手でもオーバーに喜ぶのに、榎本にはそんなかけらもみられない。昨年練習中に40万円を盗まれたときもそうだった。あわてるどころか「盗ったヤツが利口なんだ。しょうがないや」シャアシャアいってのけて先輩連をあ然とさせたことがある。とにかく神経が太く、プロ入り前はれっきとした銀行マン(拓殖銀行)だったが、性格は正反対で物事を計算しない。これが欲のないピッチングに現われ、昨年はたったの1勝に終わった。しかし、阪神にだけは自信をもっていた。昨年の白星がこのカードである。ことしは四回戦(四月二十八日)で野田に打たれ、早々と降板したため、この日西井が初回に崩れても「てっきり二番手は安田さん」とブルペンでも力を入れてなかった。それが突然のお声がかりで、あわててマウンドへ。が、なにが幸いするかわからない。用意が万端でなかったため、かえって慎重にならざるを得なかった。いつもと違って大矢とのサインも時間をかけた。その結果が2安打の好投で、松岡弘につぐチームで二人目の勝利投手につながってしまった。ヤクルトでは花の22年組がもてはやされている。昭和二十二年生まれの荒川・大矢・松岡弘、安田、若松らの主力グループだ。ところがこれに頭にきた?23年組の榎本、浅野、大木、井上らは「ヤクルトは22年ばかりじゃない」とライバル意識を燃やして結成したのが名づけてイモの23年組。飲みにつけ遊ぶにつけすこぶる仲がいい。最近はこれをうらやんだ大矢がPTAとして割り込んでおり、榎本もツーといえばカーと答える間柄。登板4試合目の早い初白星もイキの合ったバッテリーの勝利だった。防御率も1・89で一躍五位に浮上した。「欠点のボールが先行することもなく、落ち着いたピッチングをしてくれました。これが他の投手のカンフル剤になってくれればいうことなしですよ」三原監督も満足げにいっていた。


こどものころ、落語家を夢みたというだけあって、榎本の周辺には、いつも笑いがうずまいている。仲のいい大矢や浅野は「あいつと話をするとハラの皮がよじれる」と試合前は逃げ出すことにしているほどである。この日はたまたま、浅野が逃げ遅れた。つかまえた榎本は「困っちゃう。また白がふえる」と一席やりはじめた。昨年、プロ入り初勝利を阪神からものにしており、このカードにはめっぽう自信をもっている。「田淵はノーヒットに押えているし」と自慢しようとしたのだが、浅野に「そんなこと、気にしないで染めたらいいだろう」と、榎本がいちばん気にしている若シラガを指さされた。浅野と榎本は防御率を僅差で争っており、負けた方がシーズンオフにひと晩おごるカケをしている。そのけん制球?もまじえて白星をわざとシラガに置きかえたのである。ところが、榎本は怒るどころか「うまいねえ。これはうまい」とハラをかかえて大笑い。浅野の方が「オレ、お前のことをいったんだよ」と拍子抜けしてしまった。そんな榎本だったが、マウンドに立つと鬼ガワラのような顔になる。阪神打線から四回まで6三振を奪ってスイスイ。五回の一死一、二塁のピンチにも、藤田平、田淵をフォークボールでかんたんに料理して、4勝目の基礎づくり。六回、和田、カークランドに連打されたところで、浅野にバトンを渡した。九回、最後の打者、藤井を中飛にしとめたところでベンチをとび出した榎本。「白が…」といいわけ、浅野にニヤリとされるとあわてて「勝つ星がふえちゃった」ここでも、榎本のペースにはまった浅野。「お前は欲ばりだな。頭にそんなに白いのがあるのに、また白をふやして」とやり込めたが返ってきた返事がふるっている。「そんな話はよそうよ。白でもなんにもないよりまし。そうでしょう浅野さん」最近、とみに退化の激しい浅野が、カリカリしたのはいうまでもない。


六回、一死一、三塁で浅野の救援を受けたとはいえ、ヤクルトの先発榎本の変化球はよかった。四回を除き毎回走者を出しながら勝負どころでカーブや落ちるタマを使ってホームを踏ませない。


ヤクルトの先発榎本の変化球はさえた。二種類あるカーブとシュートを低めに決め、八回まで散発の2安打と広島の打者をほんろうした。九回一死から山本浩の右翼線二塁打、衣笠の内野安打と失策で二、三塁とされマグガイアの中犠飛で1点をとられ、完封はできなかったが、5勝目をプロ入り初完投で飾った。

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レイ

2024-12-25 15:57:06 | 日記
1974年
日本ハムのレイが来日初勝利を挙げた。レイは四回まで毎回6四球と相変わらずの無制球ぶりだったが、太平洋の貧打に助けられ失点は四回の1点だけで切り抜けた。五ー七回は左腕から繰り出すシュート気味の速球を右打者の外角いっぱいに決めてカウントをかせぎ勝負球にカーブ、チェンジアップを使って立ち直った。八回二塁打と四球で一死一、二塁で降板したがやっと本領発揮というところだ。


来日初勝利が転がり込んだ瞬間レイは奇声を上げてはしゃぎ回った。それもそのはず、八回途中でマウンドを譲った皆川が九回打ち込まれて1点差。最後の基の遊ゴロもイレギュラーするきわどい当たりで、ハッとする場面があり、ベンチのレイは居ても立ってもいられなかった。「ありがとうございます」「サンキュー」と愛きょうをふりまき「みんながよく守ってくれたから勝てたんだ」とナインへ感謝。「無論完投したかったけど疲れていたからね。とにかくラッキーだった」と手を合わせて神に祈るようなゼスチャアだった。


一部で今年限りで整理か?とうわさされていた日ハムのレイが、みごとに完投勝利で2勝目をあげた。内外角へうまく投げわけた変化球は、捨てたものではない。ところで、中西監督にその真相を聞いてみると「来日後、日本式のトレーニング方法に切り替えさせてきたが、やっと投手らしくなってきた。来年のことはまだ結論をだしていないが、あと2、3試合投げさせたうえで決めるつもりだ」と説明。そして久々の快勝には「最下位だし、試合の方はやぶれかぶれの戦法や」とにが笑い。


太平洋はレイの荒れ球に悩まされ4回まで一人の走者も出せない。やっと5回竹之内、藤井栄の連続四死球から伊原が左翼線安打して1点を返した。二番手田中がハムの攻撃を抑えても打線がさっぱりでは太平洋も追いつけない。レイは後半もピッチングが衰えず、伸びのある速球が低目によく決まってカーブとチェンジアップでタイミングをはずす。スライダーも右打者の手元によく食込み、太平洋のつけ入るスキは全くなかった。「ワンヒット・ピッチング」で二度目の完投勝ち。


あわやノーヒット・ノーラン。伊原のヒット1本で、太平洋は不名誉な記録から逃れた。ノーワインドアップからくり出すレイの快速球とカーブにキリキリ舞いの太平洋は、四回まで三人ずつ。この間、アルー、ビュフォード、福富、藤井栄と、主力打者が次々に三振に倒れた。


日ハムのレイは内外角へ速球とカーブをうまく使い分け、四回までパーフェクト。五回竹之内に死球、藤井栄に四球とコントロールを乱し、無死一、二塁から伊原に左翼線を抜かれて1点を失ったが、乱れたのはこの回だけ。六回以後立ち直り、全く走者を許さず、わずか1安打。2四死球に抑えるすばらしいピッチングを披露した。日ハムは三回、一死後、八重沢が高い内野フライ、これをビュフォードが落球する幸運に恵まれ、島津が四球で歩いた一、二塁から末永が左中間を破る走者一掃の三塁打。続く千藤も三遊間を抜いて3点を先取した。レイはこれで3勝目。来季が楽しめる。

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リベラ(阪神)

2024-12-24 09:14:49 | 日記
1998年
やっぱり怪人だった。来日初投球ながらウォームアップは3球だけ。曇り空で風が舞うという、決していい条件ではなかったが、リベラは捕手を座らせ、自慢の剛球を次から次へと投げ込んだ。その姿は巨人のガルベスそっくり。今冬、ドミニカ・リーグは登録だけで一度も登板しなかった男のパフォーマンスに、ブルペンが揺れた。あるときは球が上ずり大暴投。ホームベース前でワンバウンドすることもあった。だが、スピードはピカ一。捕手役を務めた定詰が「ほかの投手のボールの縫い目が見えたくらいだよ」と、その速さに驚くほど。スピードガンこそ持ち込まれていなかったが、140㌔以上の剛球だったのは間違いない。直球だけでなく、変化球を惜しげもなく披露。本人が「スライダー」と言った球は、定詰によれば「シュート回転していた」というナゾの魔球。日本人の常識では計り知れない球を、この助っ人は連発したわけだ。しかしリベラは「ブルペンでいい球を投げても仕方ない。感触をつかむだけなんだよ」とそっけない。そんな快投劇のあと、今度は思いもよらない弱点をさらけ出した。「僕はこれだけの報道陣に囲まれることなかったから、大変気を使っているんだ…」女の子のような、か細い声で、超神経質な性格を暴露したのだ。身長2㍍の大男は、実は気が小さかった。大勢の報道陣に取り囲まれると、ただですら聞こえにくい声が時間とともに、さらに小さくなっていった。「たぶん明日も投げる。でも分からない…。」大柄な体格に似合わない声は生まれついてのものにしろ、ハッキリしない態度はどうも気に掛かる。前夜(二日)に行われた吉田監督との食事会でも、一枝ヘッドから「ビールでも飲めや」と声を掛けられたが、一番端に座ったリベラは「いや、コーラでいい…」と小声で答えたとか。オフを過ごしたマイアミでは、ほとんどキャッチボールもせず来日。五分にも満たない力で見せた力強い投球には期待が膨らむが、内気な性格がどう影響するか。他球団と対戦するオープン戦で、本当のリベラがみられる。それまでは怪人の正体はだれにも分からない。


身長2㍍の怪人が悠然とマウンドに上がった瞬間、スタンドのざわめきがひときわ大きくなって、甲子園全体を揺るがせた。オープン戦初登板。いや、キャンプを通じて実戦初登板だった。スタンドの虎投も、ネット裏の他球団スコアラー陣も「動く怪人」をナマで見るのは初めて。異様な緊張感が漂った六回表、リベラは遠慮がちに、実力のほんの一部を披露した。先頭・清水への初球。内角胸元を通過した速球が捕手・矢野輝のミットにドスンという音とともに収まると、三塁側ベンチのミスターが思わず口を開けた。145㌔底冷えの天候も関係ない。巨体から投げ下ろした速球は、まるで凶器のようなもの。清水は131㌔のスライダーで二ゴロに倒れ、リベラの怪人伝説の幕が鮮烈に上がった。「最初の登板とすれば良かったよ。巨人打線?日本に来たばかりだから、だれがいい打者か分からないんだ」こんな調子だから、長嶋監督自慢の強打線も関係ない。渡辺には右中間二塁打を許したが、四番清原をスライダーで三ゴロ、代打・広沢も空振り三振に仕留めた。猛者二人を簡単に料理し、お披露目式を無難に終えた。手がかじかむような寒さの中で、リベラの速球はMAX146㌔を計時した。」怪人を除けば、この試合のMAXは巨人・趙の144㌔。「コリアン・エクスプレス」と呼ばれる男を、初登板であっさり上回った。

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丸尾英司

2024-12-22 13:24:05 | 日記
1994年


横手から140㌔を超える速球とシンカーが武器。キューバ戦で好投した。174㌢、68㌔。


1996年
佛教大3、4年時には全日本のメンバーに選ばれ、キューバとのナショナルチーム相手に好投するなど、大学屈指のサイドハンド投手だった。95年にドラフト2位でオリックスに入団。174㌢と小柄だが、キレのいいストレートとスライダー、そして今シーズンから身に付けたシュートで、相手打者のタイミングをうまくはずすクレバーな投球術は、首脳陣から高く評価されている。


1998年


4年目のオリックス・丸尾が粘り強い投球でローテーション入りをアピールした。「内野ゴロを打たせるのがぼくの持ち味」の言葉通り、四回まで毎回走者を背負ったものの、シュート、スライダーを低めに決めて3併殺。四回にフォークで三振を取るなど収穫は多かった。


2001年


94年秋のドラフト会議で2位でオリックスに入団した。京都・佛教大時代に京滋リーグで通算25勝した右腕も、すぐに壁にぶつかった。自信を持って投げたボールが簡単に打ち返される。最初は抑えたはずの打者も2度目の打席で簡単に打たれる。入団当初の球種は直球にスライダーとカーブだけ。3年目にはシュートを、5年目にはフォークをマスターしたが、殻は破れなかった。

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山崎健

2024-12-20 15:43:09 | 日記
1994年
昨季の一軍での成績は4試合に登板して0勝2敗、防御率は12.00と決して自信につながる成績ではない。それでも「最高の経験でした」と山崎が言うのは、投手というものは、ただ投げるいるだけでは通用しないことが分かったからだ。打たれだしたら止まらなくなり、なんでこんなに打たれるのだろうと後で考えてみた。行き着いた結論は「余裕のなさ」だった。打たれれば焦ってしまい、プレートを外したりロージンに手をやったりなど、間合いを一つ変えることもできず、相手のリズムに合わせて投げてしまっていた。この点が分かっただけでも一軍経験は山崎の財産となっている。この反省を糧に現在は、配球の勉強中。山崎は「北別府さんみたいに意識してボールを投げられる投球術と相手に嫌がられるような間合いを覚えたい」と言う。山崎の長所は飲み込みが早く、教えられたことがすぐにこなせること。守備、バント、けん制などは一軍投手と比べてもトップクラス。四種類(直球、カーブ、スライダー、フォーク)の持ち球も、ある程度のレベルにあるという。こうした器用さがある半面、もう一つ足りないのが体の力。いわゆるパワーだ。「投げ込んでいく中でパワーを着けていきたい」との方針を持っている。

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