プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

加倉一馬

2012-02-28 21:58:01 | 日記
1979年

・ジュニアオールスター戦、注目の「100万円選手」には今年も「伏兵」の加倉「西武」がさらった。加倉はスコア2-2で迎えた4回、左翼スタンドへ弾丸ライナーの勝ち越しホームランを放ち全ウエスタンの先発・登記「近鉄」をKO。2安打、1打点の活躍が認められた。「ボクに100万円だなんて。すぐに大牟田にいる両親に送ってやります」と表彰式で加倉は涙をこらえるのに必死。泣かせるセリフを吐いて関係者を感激させた。柳川商からドラフト4位で入団して4年目。その年のキャンプですぐ外野手へ転向した。しかし171センチ、70キロの小さな体で「パンチ力はあっても安定性に欠ける」ということで、高校の後輩・立花にも抜かれ、これといった実績も残せずじまいだった。2年前、本名の一馬を克馬と改名したのも、自分自身にもうひとつ奮起をうながしたかったからだ。今年の背番号も昨年までの「33」から「56」へ。イースタンでは首位・西武の不動のクリーンアップで、春のトーナメント大会では決勝戦でヤクルト
・永川から先制3ランして初優勝へ貢献するなど、大試合での勝負強さも存分に発揮している。打つだけではない。ジュニア・オールスター戦の試合前、アトラクションとして行われた遠投競争では、出場6選手中、断トツの117メートルを投げ、ファンの度肝を抜いた。「投手出身だし、肩では負けません。これからも強肩の加倉をアピールしますよ」と、舌をペロリと出して見せる茶目っ気も持っている。下積みからはい上がったハングリー・ヤングの台頭が楽しみである。

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佐々木重樹

2012-02-28 21:57:33 | 日記
・140キロ台の速球が魅力だが右ヒジ痛など故障に泣いた。1991年には頭がい骨・骨折でジュニア・オールスターを辞退している。

好きなタレント・・・佐野量子

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植原修平

2012-02-28 21:56:28 | 日記
1971年
・一軍オープン戦でサヨナラホーマー「近鉄戦」するなど、活躍を続けていたヤクルトのルーキー植原。後半は尻つぼみでとうとう打率も173で終わった。好調に打ちまくっていた頃「開幕が近づいて各チームの一流投手が出てきたら、そのうち壁にぶつかると思います」と謙虚にいっていたが、やはり予想通り「プロの水」は甘くはなかった。植原は日大からノンプロ日石で一年間、4番を打ち「どうせやるなら山内一弘さんのようなプロ野球人になりたい」とヤクルト入りした。ノンプロ時代は一年間で17ホーマーするなどパワーもあり、日大時代は佐藤道郎「南海」と共に、投打の柱として活躍している。根性もなかなかという評判もあり、このままへこたれるとは思えない。これからも大器らしい豪快なプレーを見せてくれるだろう。

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矢野俊一

2012-02-28 21:56:00 | 日記
1979年、ロッテ時代

・大洋時代から「左殺しの矢野」で売っていたその矢野が、ロッテの3番バッターに定着。夏場に来てグングン打率を上げ・314で首位打者に台頭「8月29日現在」首脳陣を喜ばせている。プロ入り7年目の移籍選手。「長打力はもう一つだが、足もあり、シャープな積極打法がいい。どちらかといえばチャンスメーカーのタイプだが、実戦向きの好選手」と、高木監督ら首脳陣の評価も、ここにきて一段と高くなってきた。三池工から三菱重工長崎を経て大洋入り。しかし一軍に定着できないままロッテに移籍してきた。ノンプロ時代から「左投手打ち」には定評があり、一軍戦、初ヒット、初ホーマーも左投手から、「左腕用の代打」として注目されたこともある。昨年はイースタンで3割6厘をマークしたが若手外野手の成長で、大洋をはみ出した格好でロッテ入りした。序盤戦は山内監督に買われて一軍要員でベンチ入りしたが7月26日から岩崎と入れ違いにファーム落ち。しかし気落ちすることなく8月中旬からの巨人との東北遠征では定岡、赤嶺、田村らを相手に打ちまくり6試合連続安打。猛打賞を2度記録し、25打数12安打の大当たり。首位打者躍進の「東北シリーズ男」となった。これをきっかけに再び一軍入りの機会を狙う。「ごつい顔に似合わず、気のやさしいヤツ」ロッテ・ナイン・・・という九州男児に7年目のトレードでようやくチャンスが訪れたといえそう。

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清水宏悦

2012-02-28 21:55:33 | 日記
1975年「イースタン」
・巨人の3連覇を阻もうと破竹の連勝を続ける2位大洋。半ゲーム差の競り合いは最後まで余断は許さないが「打の大洋」のけん引車としてハッスルしているのが、リードオフマン清水だ。前半はやや低調だったが、9月から俄然打ち出し、2ホーマーを含む、4割近いアベレージを残している。「攻走守の三拍子がそろっている清水は格好のトップバッター」引地監督・・・と今や首脳陣の信頼は厚い。ベース一周平均15秒の俊足も魅力。清水は富山県出身だが、東京の佼成学園に「野球留学」そのあとノンプロ河合楽器に4年間在籍というのがこれまでの野球歴だ。「プロ野球を選んだ以上、個性のあるプレイヤーになりたい。今の調子で一軍への足がかりをつかみたい」という。終盤戦の活躍が見ものだ。

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中司得三

2012-02-28 21:55:12 | 日記
1979年「イースタン」

終盤を迎えたペナントレースで着実に力をつけてきたのがルーキーながら巨人の4番打者に成長した中司。「最も実戦的なバッテイングをする。もちろん一軍の最短距離にいるよ」と岩本監督もベタボメだが、ベスト10の常連のうえ、目下リーグの打点王「9月13日現在」という活躍はルーキーだけに出色。肩あり足ありの典型的な中距離バッターだが、とくに左右に打ち分けのきく、しぶといバッティング技術は「末次二世」にぴったりだ。「近大ー日本生命と野球のキャリアがあるだけにプレーにソツがないし、野球をよく知っている。ボールのとらえ方はさすがにファーム一。性格的にも勝負強いところがあるし、楽しみな実戦的なプレーヤー」と、お目付け役の末次コーチも自分と同じタイプの中司をためらわずに推奨株の№1にあげている。

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金沢健一

2012-02-28 21:54:32 | 日記
投球フォーム・・・オーバースロー


球種・・・ストレートのMAXは138キロ程度。カーブ、決め球はフォーク。

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作山和英

2012-02-28 21:53:46 | 日記
投球フォーム・・・右スリークォーター「172センチと小柄ながら、ピッチングの組み立てが巧く、厳しい内角攻めをするなどマウンド度胸も十分である」


球種・・・ストレートはMAX144キロ程度。カーブ、スライダー、シンカー、シュート、フォーク、チェンジアップ、SFF「スプリット・フィンガー・ファーストボール」多彩な球種の中ではスライダー、カーブ、フォークのキレがよい。


1992年・春季キャンプ時
・「チャック」の愛称で、早くもチームに溶け込んでいる作山の評価が高い。ルーキーながらハワイ・キャンプにも大抜てきされ首脳陣の期待の高さが分る。その作山「あまり練習をしていなかったので・・・」と不安いっぱいで挑んだ初キャンプだったが、権藤投手コーチの特別メニューのせいもあって、なんとかクリア。それどころか「あの体で日本一の大学のエースだったのだから若田部以上かも」と権藤コーチを作山の潜在能力に一目置いている。172センチ、72キロの体型はまるで豆タンク。きれいな投球フォームとあいまって「作山は日ハムの武田タイプ」と権藤コーチはパのセーブ王、武田にオーバーラップさせている。一軍枠40人のうち、今年のダイエー首脳陣が考えている投手枠は18人。開幕一軍に目の色を変える作山に田淵監督が期待するのが、中継ぎのエース。本来、先発完投型の作山だが「どんな場面でもいいから、一軍でつかってもらえれば思い切り自分の力を出しますよ」と中継ぎ起用も大歓迎。そして口にこそしないが、チャンスさえあれば、若田部ら大物ルーキーらが展開する新人王レースに割って入る腹づもりだ。

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五十嵐明

2012-02-28 21:53:12 | 日記
投球フオーム・・・左スリークォーター


球種・・・140キロ台のストレート、カーブ、シュート

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乱橋幸仁

2012-02-28 21:52:30 | 日記
投球フォーム・・・・左サイドスロー「1989年シーズン途中に上手投げから改造。これまでの速球に頼る投球から緩急をつけた
投球術をマスター」


球種・・・ストレートのMAXは140キロ程度。スライダー、シンカー。得意球はタテの大きなカーブ、シュート。


1986年「乱橋ご機嫌!一軍昇格、J球宴出場」
・三重の喜びをイッキに味わったのが、ヤクルト・乱橋だ。この日、一軍に上がり、大阪から羽田を経由して旭川「広島戦」へ移動したナインに合流した。旭川大高出身の乱橋は「一軍に上がれただけでもうれしいのに、地元に帰れるなんて・・・」と声を弾ませた。さらにイースタンで3勝2敗、防御率1,54「1位」の好成績からジュニア・オールスターまで選ばれて「なんていっていいかわかりません。MVPで百万円?ボクには関係ないことですよ」一軍昇格、故郷に錦、ジュニア選出と、乱橋にとって最良の日ー。

1992年・5月20日・ヤクルトー大洋8回戦「神宮」観衆2万6千・試合時間・2時間50分
洋006000000・6
ヤ51030003・・12
勝ち・乱橋・・負け・盛田・・本塁打・高木2号、広沢9、10号、池山8号

乱橋投手・投球内容・2番手・7回・1安打・三振5・四死球1・自責0

「苦節8年、やっとつかんだウイニング・ボール」
・「やっと勝てたという感じですね。嬉しいというより、ホッとしたというか・・・。与えられた仕事をしっかりやろうという気持ちが、結果につながったんだと思います。」長かった。プロ8年目、通算78試合目で初めて味あう感激だった。先発・高野KOのあとを受け、乱橋が3回途中からマウンドへ。「2イニングか3イニングもてばいい」というベンチの期待を遥かに「裏切って」くれた。以後7回わずか1安打、5三振、無失点に抑えて最後まで投げ切ってしまったのだ。味方が逆転してくれてプロ初勝利。ようやく下積み時代の苦労が報われた。左腕投手には珍しい横手投げ。野村政権1年目の90年、プロ入り後、最多の32試合に登板。今年、開幕こそ二軍スタートだったが、4月下旬に一軍昇格。初勝利のあとも、中継ぎとして投げ続けた。「満足のいくシーズンが送れたら」といっていた婚約者の池田宣江さんとの挙式も、今オフは胸を張ってGOサインだ。

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吉沢克美

2012-02-28 21:51:56 | 日記
投球フォーム・・・オーバースローの本格派投手として入団したが、2年目のオフには小林繁を思わせるような

サイドスローにフォームを改造。


球種・・・ストレート、落差の大きなカーブ、シンカー


1977年・春季キャンプ時
・ルーキー吉沢の評価が高まっている。「上半身だけの藤城に比べて、フォームが大きく、全体のバネがいい。伸びのある速球に落差のあるカーブがまた素晴らしい」と首脳陣にベタ惚れされている。177センチ、68キロとスリムな体つきだが、強いリストとムチのようにしなる柔軟な体は抜群だ。多摩川の合同自主トレで、遠投で120メートルの鉄砲肩を披露してナインを驚かせたが「吉沢のタマを受けるときはしっかり見てないと危ない。なにしろ2段式ロケットのようにタマがグーンと伸びてくるからな」と捕手陣も一目置いている。昭和40年の堀内以来、ドラフト投手が台頭しない巨人だが、今年は楽しみがいっぱいというところだ。

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中井康之

2012-02-27 20:02:23 | 日記
投球フォーム・・・右の本格派「入団時は堀内二世の異名をいわれ、高校時代は1試合平均、11奪三振」


球種・・・ストレート、カーブ、スライダー


・1974年
ここ数年「巨人のドラフト1位はまるで育たない」といわれ続けているが、昨年のドラフト1位、中井が叙所ながら「本格派投手」の片リンを見せ始めている。180センチ、70キロ。体もいいが、スピードも、目下若手の中では№1の速さだ。「とにかくあの速さとカーブだけで小細工などいらない。堀内のような本格派に育てたい」・・・中村コーチ・・・と首脳陣の肩入れもなかなか。右肩痛で一度も登板できなかった昨年と違って、今年はすでに1勝をマークしたが、課題はコントロール。「昨日はよかったけど、今日は悪かったり」で、調子の方まで何やら「堀内二世」にふさわしい。高校時代、ビッグ3といわれた中根「近鉄」、鈴木「中日」が依然伸び悩み状態だけに、同期のライバルとしてせめて中井にはぐんぐん成長して欲しいものである。
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宮下昌巳

2012-02-27 20:01:56 | 日記
投球フォーム・・・・186センチの長身から投げ下ろしてくる


球種・・・ストレートのMAXは好調期で150キロ「平均145キロ」カーブ、フォーク、スライダー


1986年・5月5日・中日ー広島5回戦「ナゴヤ」観衆3万5千・試合時間・3時間2分
広島000000030・3
中日20200010・・5
勝ち・宮下・・セーブ・牛島・・負け・高木・・本塁打・鈴木康2号

宮下投手・投球内容・7回・3安打・三振3・四死球6・・自責2

・中日の先発・宮下がうれしいプロ初勝利。二度目の先発となったこの日は、140キロ台の速球で押した。加えて6四球を出した荒れ球も効果的で的をしぼらせなかった。


宮下の談話「やっと勝てました。ここまでくるのに長かった。もうファームに戻るのはいやです」
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門田富昭

2012-02-27 20:01:21 | 日記
投球フォーム・・・右オーバースロー「腕がながく、かっての300勝投手・小山正明に似たタイプ。タテの変化で両コーナーを揺さぶる型の組み立てをする」


球種・・・技巧派だがコントロールはズバ抜けてよいわけではない。ストレートのMAXは135キロ程度でナチュラル気味にシュートする。外角スライダー、カーブ、シンカー。


1983年・9月15日・大洋ー中日26回戦「横浜」観衆1万8千・試合時間・2時間21分
中日000000000・0
大洋00200200・・4
勝ち・門田・・負け・三沢・・本塁打・田代24号

門田投手・投球内容・9回・5安打・三振2・自責0

門田、初完封・・・気迫の投球、初の無四球試合
・あまり闘志を表面に出さない門田が、この日は珍しく立ち上がりから気合を入れて投げる。「ブルペンでも調子がよかったですからね。ボクはブルペンでいいと乗れるんですよ」プロ入り初めての中三日の登板だったが、門田は自己暗示にかけて、初回から飛ばした。巨人に次いでリーグ2位の得点力を持ち、チーム本塁打数トップの攻撃野球が看板の中日打線は、手も足も出ない。「大体、自分の狙ったコースに投げられました。最終回のモッカへの3球目だけですかね、手元が狂ったのは・・・」と余裕たっぷりに振り返った。プロ入り二度目の完封勝ちに初体験の無四球試合のおまけがついた。「いつもあれくらい気合を入れて積極的に投げてくれるといいのにね」と関根監督。学生結婚をし、生後まもない純クンを連れて、ドラフト1位の記者会見にのぞんだのは1977年のオフだった。クセのある独特のフォームで、新人時代は巨人キラーの異名をとった。だが、肩や足を痛めて二年目から低迷。やっと、「らしさ」を取り戻したのは昨シーズンから。「子供にみっともない姿は見せられませんからね。オールスター後に、フォームを変えて、少し投げるときのタイミングを工夫してから、ピッチングも安定、自信がつかめました」回り道をした門田だったけれど、独力で投手としてのコツをつかんだようだ。ちょっと気は早いが、来シーズンが楽しみー。

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三井雅晴

2012-02-26 20:25:36 | 日記
フォーム・・・オーバースロー「ワインドアップ」


球種・・・ストレート、スライダー、フォーク、チェンジアップ、決め球はカーブ。


・1974年といえば、金田監督が就任2年目で日本一になった年。その時に、華々しく新人王を掌中にしたのが19歳の三井投手だった。6勝5敗・4セーブ。入団2年目にしてビッグタイトルを手にした三井の前途は、すばらしく開けていたものだ。1975年、10勝投手となる。押しも押されぬ中堅級にのし上がった。木樽、成田、村田らにまじり、本格派投手として注目を浴びはじめた。順調に育てば、村田に次ぐ柱として、投手陣の軸にのしあがれる逸材であった。しかし、1978年、致命的なヒジ痛を起こしてしまう。「しまった」と思った時は、取り返しのつかない「病魔」に取りつかれていた。この年は1勝して3敗・2セーブだけ。ここから転落の一途をたどる。1979年、米国に渡り、右ヒジ軟骨の除去手術を受け再起をはかった。しかし、投手としてヒジにメスを入れたという危惧感から、三井はふさぎ込む日が多くなった。「もう投手生命は燃え尽きたのだろうか・・・」1979年、1勝2敗、1980年は全休。1981年に1セーブだけが記録に残っている。そして10年目の今秋、とうとう引退を決意した。「もう自分にはマウンドに登る度胸も情熱も消え失せてしまいました。ユニフォームを脱ぎます」腰痛も併発しての引退発表は寂しいものとなった。第二の人生は、故郷の愛知県で実家のスーパーマーケットを手伝うことでスタートする。

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