1983年
ドラフト外、プロ2年目で売り出した木村外野手の実弟。189センチの長身もウリふたつ。ちがっているのはポジションだけだ。大学3年の終わりごろ、近大・松田監督のすすめで投手から一度、野手に転向し、リーグ戦の実績はほとんどないが、やはり投手への未練は捨てきれなかった。「どこまでやれるかわかりませんが、早く兄貴に追いつき、追いこせの気持ちでがんばる」という弟。長身、左腕、そして地肩の強さが武器だ。
1984年
一軍の打撃投手でみっちり投げ込んだ努力が実ってフォームがまとまってきた。手首と肩の強さだけでぶっきらぼうに投げていたのがうまくヒジをつかえるようになった。下半身を強化し、さらに投球に威力をつけたい。多摩川でも後楽園でもギャルの声が一段と高いハンサムボーイだ。
1985年
マイクを持った時の堂々たる態度、チーム№1の美声の持ち主が、いざ先発、を言われるとなかなか寝つけない。まだまだ経験不足だが、たとえワンポイントでも、プロの修羅場をくぐりぬけていくいがいに度胸をつける手段はない。貴重な長身の左腕。マイクを握ったつもりでドーンといこう。
ドラフト外、プロ2年目で売り出した木村外野手の実弟。189センチの長身もウリふたつ。ちがっているのはポジションだけだ。大学3年の終わりごろ、近大・松田監督のすすめで投手から一度、野手に転向し、リーグ戦の実績はほとんどないが、やはり投手への未練は捨てきれなかった。「どこまでやれるかわかりませんが、早く兄貴に追いつき、追いこせの気持ちでがんばる」という弟。長身、左腕、そして地肩の強さが武器だ。
1984年
一軍の打撃投手でみっちり投げ込んだ努力が実ってフォームがまとまってきた。手首と肩の強さだけでぶっきらぼうに投げていたのがうまくヒジをつかえるようになった。下半身を強化し、さらに投球に威力をつけたい。多摩川でも後楽園でもギャルの声が一段と高いハンサムボーイだ。
1985年
マイクを持った時の堂々たる態度、チーム№1の美声の持ち主が、いざ先発、を言われるとなかなか寝つけない。まだまだ経験不足だが、たとえワンポイントでも、プロの修羅場をくぐりぬけていくいがいに度胸をつける手段はない。貴重な長身の左腕。マイクを握ったつもりでドーンといこう。