プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

芝正

2012-03-31 13:25:15 | 日記
投球フォーム・・・185センチの長身を利かせて真っ向から投げ込むフォームはダイナミックで迫力充分である。



球種・・・長身からの角度のある速球。シンカー気味に落ちるカーブと、タテの大きく割れるカーブ。フォークボール。



1981年
・四国は愛媛県・北宇和高の出身。日ハムの首脳陣は口を揃えて、「ウチの屋台骨を背負っていく投手」と期待している。宮田コーチは「久々に出現したストレート1本で勝負できるピッチャー」と。欠点は、体がひ弱ということだ。まだ高校生にちょっと毛が生えた程度。ジャンプ力がないし、筋力もいまひとつ。今季はまず体力づくりに専念ということになりそうだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松井満

2012-03-31 12:36:07 | 日記
1982年
・松井満が自動車事故を起こしてまる1年になる。昨年1月5日の夜遅く、彼は甲子園口の自宅近くのガレージに突っ込んで、そこに入れてあった車2台とガレージの扉をぶち壊してしまった。悪いことに、酒も少し入っていた。非は全面的に松井側にあり、弁解の余地は全くなかった。「ガレージの中を見てビックリした。こんなにひどくぶつかったのかと思った。しかしボクの車はほとんど壊れていなかったし、ボク自身も無傷だった」ぶつかったタイミングが悪かった、ということにもなる。このことは翌日の新聞にも出た。ただちに球団から呼び出しがかかって減俸処分に・・・。自主トレの参加も1ヶ月禁止された。謹慎処分だ。ファーム生活5年目にして、ようやく調子の波に乗り出していた松井にとっては、自業自得とはいえ泣くに泣けない思いだった。案の定、昨シーズンの松井の成績はもう一つだった。打率267の1ホーマー。事故を起こした事への悔いや、自主トレで出遅れたことなどが心の重荷になって、あれほど夢にみていた一軍定着の思いも無残に吹っ飛んでしまった。そして今季にかける松井に一つの転機が訪れた。持ち味の打力を生かすための外野への再コンバートだ。神経をあまりに使いすぎた内野守備から解放され、自慢の強肩を守備面でも魅せることになる。「ベテラン福本さんも小林選手も共に左打ち。それだけに右打ちのボクには一軍で力を発揮するチャンスもめぐってくるはず」松井は今後の巻き返しを誓った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寒川浩司

2012-03-31 12:35:36 | 日記
1977年
・「あの体は魅力十分。近い将来、きっとウチの主力投手になるんじゃないかな。湯之元キャンプが今から楽しみだよ」新任の堀内・投手コーチにほれぼれとした目を向けられているのが、ヤクルトの二年生投手、寒川だ。スケールの大きなピッチングと恵まれた体「183センチ、80キロ」は「時折、金田正一の入団時を思わせる」と、いわれるほどの隠れた逸材だ。ルーキーの昨年は5月初め、武山球場での練習中、打撃投手をやっていて、打球を左手に受けて親指を骨折。終盤、敗戦処理で5試合に登板しただけで、シーズンを棒に振ってしまった。「あの時はショックでした。何しろ骨折なんて初体験でしたから・・・。でも秋の教育リーグ頃からフォームが固まってきたし、いまは体力づくりが大事なんだ、焦ることはないと自分にいいきかせてきましたから・・・」と寒川。それだけに今季に賭ける気構えは人一倍だ。1月6日から自主トレに取り組み、すでに一日、200球の投げ込みをやっている。不運な出遅れに泣いた「金田二世」の左腕に注目したい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

渡部司

2012-03-31 12:35:11 | 日記
投球フォーム・・・右オーバースロー


球種・・・ストレート、スライダー、カーブ、得意球は胸元を突くシュート。



1971年
・後半戦に入ってから一軍入りしていた二年生の渡部投手が、二度目の登板でプロ初勝利を手にした。ヤクルト17回戦「8月8日・神宮」で延長戦に入ると四番手で登板。二イニングを三人ずつで片づけ、11回に味方の決勝点で思わぬ初勝利が転がり込んできた。「不思議なものですね。初先発の試合では、コチコチになって、ボクはやっぱり一軍ではダメなのかな・・・、と思ったのに、勝ち星というのは意外なところで貰えるものですね」と、しきりに感心して同僚の選手ばかりか、報道陣にまで頭を下げ「ありがとうございました」を連発していたあたり、初勝利の感激も、またひとしおといったところだ。これから投手陣の新戦力として首脳陣は大いに期待している。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上水流洋

2012-03-31 12:34:39 | 日記
投球フォーム・・・オーバースロー「プロ入り後、ノーワインド・アップに改造」



球種・・・・ストレート、カーブ、シュート、チェンジアップ、フォーク。



・1974年
新生・日ハムを中心に「ぜひ獲得したい投手」とマークされ始めたのが、ヤクルトの上水流。一年目の昨シーズンはイースタンで7勝6敗、防御率3,43を記録して注目を集めたが、今年は故障もあって伸び悩み、巨人最終戦でラッキーな1勝をあげただけ。しかし、その好素質は関係者の間ではなかなかの評判。一年間、上水流を手塩にかけたことのある中西監督「日ハム」などは「できればウチでじっくり育ててみたい」と、大変な惚れ込みようだとか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中川明仁

2012-03-31 12:34:09 | 日記
投球フォーム・・・右オーバースロー「長い腕を目一杯使っての投球。好調時のストレートのMAXは140キロを超える」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

関本四十四

2012-03-31 12:33:06 | 日記
投球フォーム・・・・右オーバースローの本格派


球種・・・ストレート、カーブ、スライダー、シンカー。決め球はシュート。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岡本一光

2012-03-28 12:40:33 | 日記
投手時代「1974年」
・阪急の岡本一光投手が来シーズンから野手として再出発することになった。といってもこの岡本、プロに入ってから投手になったという変り種。45年、阪急入りしたが、当時の首脳陣に目をつけられたのがその体つき。左投げ左打ち、179センチ、76キロの長身選手。とくに左腕不足に悩む阪急では「うまく育ってくれれば」の期待を持って、プロ入り早々、投手転向に踏み切らせた。しかし急造投手の悲しさ。速い球はなげるのだが、コントロールがどうしても身につかない。打者との駆け引き、けん制動作、球種・・・難しいことばかり。すでに5年が経過したが、現状のままなら再び野手に戻った方が「本人のため」ということで今度の決定になった。


野手時代「1979年」
・3試合で連続で3本のアーチ。そのすべてが勝利に直結。すごいヒーローぶり・・・。その男が昨年まで9年間もファームでくすぶっていた岡本一光外野手。プロ5年目に一塁手に転向。だが、いかんせんファーストベースには脂の乗りきった加藤英、大隅がデンと構えている。当然のように岡本はファーム暮らしが続く。野手転向後、ファームの通算成績は247安打、20ホーマー、117打点、打率272.。これが他の球団なら2,3年前に「一軍の選手」になっているところ。「日陰の生活」が続いた岡本に二度目の転機は去年、秋の外野手転向だ。福本、蓑田、ウィリアムス。勇者の外野陣は鉄壁である。しかし梶本・新監督の構想に「左の代打者づくり」も併せ含まれていた。「これがボクに与えられた最後のチャンス、この機会を逃すと、もう二度とボクに晴れの舞台に立てる日はこないと・・・」シーズンオフも私設のトレーニングセンターで体を鍛え上げた。そのイキイキとした姿勢が、3試合連続アーチという「離れ業」を生んだ。歯を食いしばって、耐えに耐えてきた積み重ねの結果の快打だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

藤本昌治

2012-03-28 12:39:50 | 日記
1977年
・「ウエスタンリーグ」
4月8日の阪神ー阪急戦のこと。藤本はなんと4打数4安打の大当たり。初先発で意気込む青雲に対し一人で打ちまくった。まず一打席目の2回に左前打すると、4回には同じく左前に2点タイムリー。そして6回には左越え二塁打と当たりは続き、8回にも中前にたたいて4の4.両軍ベンチをビックリさせた。藤本はテスト入団して今年が6年目。スタートは投手だったが、2年目に内野手に転向し、そのままファームで鍛えられている。その藤本に今年、大きな刺激剤となるルーキーが入団した。外野から遊撃へコンバートされた吉沢俊幸である。二遊間コンビを組むと、いやでも相手を意識しないわけにはいかない。「先輩として負けられんのですわ。この世界で何年もメシを食ってきた者として意地があります」昨年後半あたりから打撃の方も野手のそれらしいものになってきている。バッティング・コーチから「もっとワキを締めて腰で打つ要領を覚えろ」と、くどいほどいわれ続けた効果が、やっと表れてきたようだ。課題は守備、それもスローイングをマスターすることだろう。投手出身だけに併殺プレーなどのモーションが大きく、首脳陣から注意されている。これを克服できれば一軍の道が開けてくる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

玄岡正充

2012-03-28 12:39:27 | 日記
1982年
・異色の二ユーパワーの台頭だ。2年生、まだ19歳の玄岡正充。168センチ、71キロ、右投げ左打ちで主砲・若松そっくりの体つきだ。このチッビ子・二年生が、いま激烈な外野のポジション争いに名乗りを挙げてきた。紅白戦ではレギュラー組で一番・センター。終盤にはバテが出たものの、18試合で50打数13安打。西井投手から右翼へ120メートルを超えるホームランも打った。キャンプ中、若手野手たちは夕食後、きまって宿舎裏手の駐車場にバットを持って集まった。玄岡も、この素振りの特訓にフル参加だった。下がコンクリートだけに運動靴は底が擦り切れてしまう。10日間で玄岡は4足も靴を買い替えた。「アイツに、ボクの持っているものを少しでも伝えてやりたい」若松も、彼のひたむきな「プロ根性」に注目している。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

米谷延夫

2012-03-27 21:54:26 | 日記
1975年
・南海の無名の新人、米谷がオープン戦で初めてマスクをかぶった。3月18日の広島戦「大阪球場」のことである。捕手といえば最大のキーポイント。サインプレーは驚くほど複雑だ。この日、バッテリーを組んだ西岡、上田両投手には「サインが気に入らなければ、首を横に振ってください。お願いします」と米谷はこう言ってマスクをかぶったが、西岡、上田は一度も首を振らずに投げてきた。「とてもスムーズにリードなんてできませんでした。あれこれ迷いっぱなしだった。投手のリズムが狂わないか心配で・・・」とくに6回、上田が
シェーンに本塁打されたあと連続四球を与えた場面では「自分のリードが悪いのか・・・」と悩みはつきないようだ。ベンチで米谷の動きを見守っていた野村監督も「新人に欲を言えばキリがないんだが、もう少し球の配球を考えないといかんな」と、やや厳しい採点。紅白試合では打撃でもいい当たりを飛ばし注目されていたが、やはりオープン戦も中盤を過ぎるとキャンプのようなわけにはいかない。それでも米谷は「いい経験をさせてもらいました。投手に信頼されるように・・・がんばります」決意も新ただ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中田良弘

2012-03-27 21:53:49 | 日記
投球フォーム・・・右オーバースロー「ノーワインド・アップ」本来ならエース級だが、故障が多かった。


球種・・・ストレートは平均140キロ。スライダー、シュート、カーブ、フォーク。


1981年・3月22日・オープン戦・阪神ー巨人「甲子園」
巨人000000010・1
阪神21110000・・5
勝ち・中田・・負け・・江川・・本塁打・・掛布2号、若菜1号

中田投手・投球内容・7回・・2安打・・自責0

・阪神・先発ルーキー中田の直球の威力は、この日に限れば江川以上で、コースもすべて低目。「きょうは、好不調に関係なく、絶対抑えるつもりだった。とくに2時過ぎからテレビ放送があったので、それまでは点をやらない覚悟で投げた」と、新人らしかぬプロ根性で立ち向かった。本番を間近に控え頼もしい戦力が一枚加わりそうだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊藤文隆

2012-03-27 21:53:23 | 日記
投球フォーム・・・右オーバースロー「ノーワインド・アップ投法」制球力が乱れ早い回でのKOがある。


球種・・・ストレートの平均138キロ程度。シンカー、スライダー、カーブ。


1988年・4月21日・阪神ー中日3回戦「甲子園」観衆2万2千・
中日000000000・0
阪神01100100・・3
勝ち・伊藤・・負け・近藤・・本塁打・バース1号

伊藤投手・投球内容・9回・4安打・三振12・四死球4・・自責0

・中五日で登板の阪神・伊藤は直球とスライダーが冴え、5回まで1安打を許しただけ。8回に二死満塁のピンチを迎えたが落合を打ち取り、九回も無得点に封じ、伊藤は2試合連続の完封で2勝目。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

和田博盛

2012-03-27 21:52:23 | 日記
1982年「イースタン」
・急造一塁手が大当たり。5月21日のロッテ戦「青梅」で一塁手・津末が二塁ベース近くで右足をねん挫。その津末に代わって翌日から3年目の和田が外野から一塁にコンバート。初体験の内野守備とは思えないほど器用にこなし、182センチの長身も一塁手にはうってつけ。そのうえ、打順も三番に定着し打率も上昇している。昨秋は日本シリーズ要員に名を連ねたものの、今春のキャンプで不振に陥っていた。それが守備位置変更で打撃も開眼。一軍入りを狙う勢いだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小松崎善久

2012-03-27 21:51:48 | 日記
1980年
・小松崎喜久捕手・・・ドラフト2位指名の新人、土浦三高出。180センチ、78キロ。関東では「浪商の香川以上の大型捕手」という定評があった。人気者の牛島投手のカゲで、あまり目立たない存在だが、初めて自主トレに参加した小松崎にコーチ陣は「ウーン、こいつは大物だ。いますぐ一軍でつかえそうな、いい投げ方をしおる。木俣の有力な後継者だ」と思わず目を止めた。とにかく、捕手としてのスローイングは、万事ツボにはまっていて、新人としては抜群の素質の持ち主というわけだ。早くも「この分では先輩の大河原や中原も、ウカウカしてたら追い抜かれてしまう」という声すら、あがった。その顔つきが、いま二軍の広野打撃コーチとウリふたつ・・・とナインの間で評判。「ボクに似てるなら、打撃の方も期待通りのスラッガーだろう」こういう広野コーチはいまから「弟分」の育成を楽しみにしている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする