プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

大川章

2024-10-31 20:57:48 | 日記
1985年
昨シーズンはチームで最も多い65試合に登板、5勝3敗4セーブという成績だった。登板した試合の内訳は、先発8試合、救援57試合と、リリーフに起用される場面が多かった。もちろん今シーズンも、中本と抑えの2枚看板だが、それだけでなく先発要員としても貴重な左腕である。昭和32年9月27日生まれで、シーズン中に28歳の誕生日を迎える。「昨シーズン後半、先発としてどしどし使ってもらったおかげで、長いイニングの配球術もわかったような気がします。プロ野球選手として、年齢的に今がピーク。先発でも抑えでも、「行け」といわれればいつでもマウンドに上がります。そして、なんとかして優勝に貢献したいと思いますね」チームが優勝争いに加わるためには、ぜひとも活躍が望まれる投手である。

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森口益光

2024-10-31 20:37:13 | 日記
1979年
大洋の斎藤明より高い評判でプロ入りしたものの一年目はファーム暮らし。だがどんな厳しい練習にも音を上げずがん張り通した。その甲斐あって三年目のローテーション入り。伸びのある速球を武器に思い切りのいいピッチングを披露、首脳陣を喜ばせた。9勝のうち4勝は対日ハム戦であげており、さしづめ日ハム・キラー。「今年は相手も研究してくるに違いない。それをハネ返すには努力以外にない」とオフの間は下半身の鍛錬に精を出した。また大学時代のライバル田村の加入もあり公使ともに張り切らざる得ない。

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松本豊

2024-10-31 19:47:38 | 日記
1986年
ルーキーの松本豊投手が2月26日の紅白戦で5回を2安打の完封した。特筆は2回、ローマンを2-1と追い込んで、覚えたてのフォークボールで空振りの三振に切った。フォークは1週間ほど前に、小谷投手コーチから「落ちる球を覚えろ」と指示があり、あたふたと覚えた。それがバッチリだった。17日に1回、20日に3回、23日に4回、そしてのこの日の5回を合わせてトータル13回の無失点記録。近藤監督も「松本は新人王を取る」と豪語した。

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松本豊

2024-10-31 19:41:59 | 日記
1985年
松本は五十六年の春と夏の甲子園で快速球を披露。みちのくの江川と騒がれた本格派である。松本は五十六年のセンバツに秋田経法大付高のエースとして甲子園に出場。最高145㌔を記録した速球を武器に、チームをベスト8に進出させた。続く夏の選手権にも出場。惜しくも3回戦で志度商に延長十回、サヨナラ負けを喫したものの、その球威でみちのくの江川と話題をまいた。同年秋住友金属入りの意思が固く、ドラフトにこそかからなかったが、あえて西武がアタック。異例の契約金六千五百万円を提示して引き抜こうとしたが、関係者のブロックは固く、住金入りした経緯を持つ。しかし、住金では、五十八年西武入りした石井(箕島高)、昨年の社会人ベストナイン投手・高橋(高知高)の陰に隠れて二番手投手の座。鳴かず飛ばずの四年間だった。「でも、和歌山(住金)での生活は決して遠回りだったとは思わない。友達もできたし、人間関係など学ぶところも多かった」と松本。「高校時代の自分の力は十分じゃないから、甲子園で負けたんです、そのままでプロで通じるはずがなかったと思う」と振りかえる。プロ入りを拒んできた松本が翻意をしたのは、今年ヤクルトにドラフト1位指名された伊東(本田技研や、既にプロ入りしている槇原(巨人)や工藤(西武)ら同期生への対抗意識があったかららしい。「今年のドラフトで指名されなかったのはショックだった」と唇をかみしめる。「伊東とは特に同じ年にプロ入り。負けたくない」と早くも、闘志をのぞかせる。「松本君というと高校時代のイメージが強いが…」と言う大洋・湊谷スカウト部長は「今春の社会人東京大会では終束135㌔の球を投げている。住金でも片りんはのぞかせているんですよ」と長い間、松本を注目していた口ぶり。制球力は練習だが、速さは本人の素質、と言われる。「もともと140㌔以上出ていたのだから、環境が変われば出るはず」と速球復活に期待を寄せる。大洋はドラフト1位投手のほとんどが芽を出し切れない状態だけに、それに代わってドラフト外の松本の速球がさえるか、楽しみだ。




1987年


好調の中日相手の完投勝ちがプロ初勝利ー。最後の打者川又の打球が力なく屋舗のグラブに収まり、二年目の松本はマウンドで喜びのガッツポーズだ。
ーやっと勝てたね。
「信じられない。まさか完投できるとは…。その瞬間、泣きたいような気持だった」
ーきょうは何がよかったのか。
「自分でもストレートが走り、スライダーがキレていたと思う。思い切って攻めました」
ー落合を4打席とも抑えたのが大きかったのでは。
「一発だけに気をつけた。スライダーでカウントを稼ぎ直球で勝負した。もちろん怖かったけど、逃げなかったのが結果的によかった」
この日が四度目の先発。これまですべて五回までにKOされており、三度目ならぬ、四度目の正直でもあった。
ー五回は意識した?
「はい。長かった。六回からは斎藤さんもいるし、いつ降りてもいい気持ちで投げた」
ー忘れられない一日になるね。
「ここは高校時代(秋田経法大付高)の東北大会で優勝したこともあるし、きょうは両親が秋田からわざわざ見にきてくれた。いろんな意味でうれしい」
ウイニングボールを大事そうに抱える松本に、古葉監督が「よくやったぞ」と手を差しのべた。今年十二月に結婚予定の好漢は「早速、彼女にも電話しなくちゃ」と小走りに球場を後にした。


1988年


オープン戦でも勝ちぐせをつけるという大洋が3連勝。松本は、昨年決め球として威力を発揮したスラーブ(カーブのように曲がるスライダー)がよく決まって、調整は順調のようだ。

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岡本透

2024-10-31 17:13:54 | 日記
1987年
岡本は今夏の都市対抗で三菱重工神戸に補強されて出場。直球の伸びに加えて変化球の制球力は光っていた。「来季は中継ぎで十分、使える力がある」と古葉監督。新浦に続く左腕として期待できそうだ。


1989年


プロ入り初先発の左腕・岡本透が八回途中まで1失点の好投。欠端を予想した広島ベンチの裏をかいて先発に使った古葉監督の期待に見事こたえた。新人だった昨季は中継ぎで6回2/3を無失点に封じたことがあるが、今シーズンはこれまで2回2/3が最長だった。「立ち上がりはいつも悪い」と言う通り、一回に3安打を浴びて1点を失い。なお一死一、三塁のピンチ。だが、西田を併殺打に仕留めると、二回以降は落ち着いた投球で広島につけ入るスキを与えなかった。「プロに入った以上は一度は先発で投げてみたかった」と言う岡本透は「5回2失点が目標だった。しり上がりにリズムよく投げられた」自ら合格点を付け、ウイニングボールを大事そうにバッグにしまい込んだ。4連敗を免れた古葉監督はしてやったり、の表情だった。左投手に弱い広島相手に、プロ初先発の岡本透をぶつけてまんまと成功。表面上は「ある程度投げてくれる、と思ってないと使わないよ」と言うものの、予想外の力投に笑みが自然とこぼれた。


1990年


昨年、ほとんど130㌔台だったストレートが、今は140㌔を超え、内外角に決まっている。これが、シュート、カーブ、シンカーの変化球を生かしているが、「それもキャンプでの走り込みの効果。腰回りがふた回り大きくなったよ」と須藤監督は岡本透の変身ぶりを見ている。


1991年


岡本透が左腕から繰り出す大きなカーブとストレートをコーナーに決め好投。三回暴投と九回彦野に本塁打され2点を失ったが、プロ入り四年目で初の完投勝利を挙げた。


岡本透がプロ入り四年目で、初の完投勝利を手にした。プロ入り初打点が初勝利打点になるおまけまで付いた。「完投よりも、五回まで何とか投げようと思い、速球中心でいけるところまで押した」と岡本透。伸びのある速球にスライダー、今季から使いだしたパームボールで中日打線を暴投と本塁打の2失点に抑えた。「今日はよけいなことは考えず、いい意味で忘れて投げた。暴投の失点は前にもあるし、動揺はなかった。免疫があるのかな」と岡本透は投球同様、淡々と153球を振り返った。四回の勝利打点を挙げた場面は「狙っていたわけではないけれど。打点を挙げたのも、野手が打って塁に出たおかげですからね」と岡本透は実にうれしそうな表情。須藤監督も「これでローテーションに根をはやしてくれるだろう」と投手陣のコマがそろったことを喜んだ。


1992年


間断なく降った雨と裏腹に、雲間からの陽光を体中に浴びた気分。今季初の連勝、それも一番内容のいい勝ち方だった。須藤監督も「今日は気分がいいよ」と自画自賛。功労者はプロ入り初完封勝利を果たした岡本透。「全般にどの球もコース良く決まった」(岡本透)投球で3安打、3併殺の好投。開幕第二戦、そして十二日の巨人戦では序盤に点を取られるなど大乱調。本人も「前の晩は寝る前にも考えたし、もう後がない気持ちでマウンドに登った」と背水の陣で臨んだ。しかし前回までと違うのは余裕を持てたところ。投球テンポを速くして自分のリズムをつかんだし、精神的に優位に立てたことで「打者の動きなどで相手の狙いが分かった」という。十八日の試合後、バッテリーだけでミーティングを行った。そこで一人の失敗で、みんなが悪いことをした気になっていた悪循環が指摘された。「こんなものではないはず。おれたちは絶対、もっとやれるはずなんだ」とお互いを励ましあった。これが自分をもう一度信じることになり実力を取り戻すきっかけとなった。気がつけば5位の巨人とは0.5ゲーム差。とりあえず「ひとつ上」を目指せる立場になった。自信を確信にまで高めて、反撃に取り掛かってもらいたい。


1993年


横浜の先発、岡本透はスライダー、シュートを武器にした変化球投手。昨年まで横浜の監督を務めていた須藤豊ヘッドコーチが中心になって考えたベンチの岡本攻略法は「変化球に逆らわず、ボールを見極めるのがポイント」だった。

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田中由郎

2024-10-28 21:36:24 | 日記
1980年
人呼んで人切り由郎といったのはもう過去のことだ。50年度のドラフトでロッテ・濃人スカウト部長(当時)が自分のクビを賭けた男も、プロいい4年目の昨シーズンようやくその大器ぶりを発揮した。「半信半疑だったんですが、山根コーチの忠告で落ちるボールを投げてみたんです」以来、迷いからさめて先発に救援に45試合登板、5勝1Sをマークしたのは見事だ。規定投球回数を突破した141回1/3はチームで4番目。「ことしこそは先発ローテーションに入って10勝」という目標も期待十分。マウンドでの風格も出て、遠藤、門田と先陣を争う。

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根本隆

2024-10-28 21:34:57 | 日記
1977年
どんなに厳しい強化練習にも、一度も音をあげたことがないガンバリ屋。入団一年目は肩の故障という不運に見舞われたが、それでも泣き言一ついわず、黙々と走り続けてきた。その努力が実り、昨年は伸びのある速球を武器に、思い切りのいいピッチングで後半戦は、先発、中継ぎ、締めくくりとフル回転で気を吐いた。176センチ、投手としては小柄だが、きんせいのとれた体、太いマユとキリリとした顔立ち。さらに引くことを知らない、強気のピッチングは、スターになる要素を十分に含んでいる。「去年は先発しても、7,8回ごろになると息切れしてスピード、コントロールが極端に悪くなっていた。今年は延長戦に入っても乗り切れる充分なスタミナをつけたい、むろん、どんな場面で声がかかっても動じない精神力も…」という言葉とキャンプでの自信に満ちた練習に新しいスターの誕生を期待したい。

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星野秀孝(修孝)

2024-10-28 20:46:28 | 日記
1977年
中日から移ってきた星野は野村整備工場でオーバーホールされ生き返った。プロ入り4年間に投げた124イニング2/3に対し昨シーズンは完投をふくめて80イニング近いピッチング。つまり従来にない投球回数とインニングは初体験。それだけにスタミナ配分を誤って後期はやや肘痛も加えてバテ気味。しかし貴重な左腕として貢献した。対阪急12回戦に先発して6回1/3を投げて1回福本を歩かせスチール、バント、犠飛で一点を失ったが、ウイリアムスに打たれたヒット1本のみで山口に投げ勝った。昨シーズンの体験を基礎として長丁場に耐える体力づくりが、今シーズンの課題だろう。


1978年


前期3勝5敗1分と勝率こそよくなかたが「左打者の多いロッテ、近鉄」には好投して防御率は2.33と優秀な成績をおさめ、日ハム、クラウンにはよくなかった。上位に通用する左腕は希少価値が大である。しかし体力的にいまひとつ恵まれず後半バテてしまった。下半身の十分な鍛錬によって年間、最低150インニングは投げられる体力と相手バッターをのんでしまうぐらいの気迫と、ピンチになったとき運を天にまかして自分なりのピッチングをする度胸を身につけ、江夏が去ったあとの左腕の切り札として一本立ちできるピッチャーへの成長を祈りたい。

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奥江英幸

2024-10-28 20:43:49 | 日記
1977年
昨年、心技両面でもっとも成長した。それまで、いい素材を持ちながら、どこかチャランポランなところがあり、首脳陣にとって今一つ頼りきれなかった。ところが昨年は、まるで人が変わったようにチームの中心の男になった。連投で疲れ切っていても、チームがピンチとみれば「僕が行きます」と救援を買って出るほど。「上の人が信頼してくれたからね。投げていてメリハリがありました」5月24日の巨人9回戦では完封、巨人の15連勝にストップをかけ、6月22日、14回戦では敗戦投手になったが、張本の30試合連続安打を阻止している。この内容豊富なピッチングが、大きな自信にもなった。「今年の目標は15勝。体の状態もいいし、第一気持ちの上で、チームでは5本の指に入るといわれた酒豪だが、それもキャンプインと同時にピタリとやめ、野球一筋の今年、投手陣再建の立役者になってくれるはずだ。

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田中幸雄

2024-10-28 20:42:03 | 日記
1984年
キャンプで右ヒジを痛め、張り切って臨んだプロ2年目のスタートは最悪のファーム落ちだった。持ち前の明るさで「イチからやり直しです」と表面はとりすましたものの、さぞ苦しい心境だっただろう。8月4日のロッテ戦に勝っていらいの6連勝で見事復活を証明してくれた。2点台の防御率をひっさげ、制球力に自信をつけたジャンボ君が、三年目でエースの座に挑戦する。


1986年


人一倍のスタミナを十分に見せてくれた昨年だった。先発に、中継ぎに、チーム最多の47試合に登板。ただひたすら「投げる」ことに専念している感さえあった。6月9日、近鉄戦でのノーヒットノーラン試合は、そんなユキオ君の力投に球神がほほえんだものだろう。天性のスピードに加えて、制球力がぐーんとアップ。ベンチもどうやらことしもその「フル回転」は計算ずみのようだ。


1987年


あれよ、あれよという間に10連続セーブ。当たるを幸い、なぎ倒した4,5月の活躍はどうだ。勢いに乗ったときのユキオ君の力強さ、たくましさを見せつけてくれたものだ。中盤、勝負どころで打たれ、チームも、急にカゲをひそめたその右腕とともに沈んだ。いかにその好、不調が勝敗のカギを握っているか、自他ともにはっきりと認めたことだろう。名火消しあるところに覇権あり。ことしこそ、ひと皮むけたピッチングを見せてくれるはずだ。

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工藤幹夫

2024-10-28 14:10:38 | 日記
1983年
リーグ唯一人の20勝をマークし、勝率第一位と2冠を獲得した若きエース。西武のプレーオフ決戦でも、骨折した右手小指の痛みをおして完投した姿にプロの根性を見た。後期MVP、そしてベストナインと、第一人者にのし上がっての今季、美智代夫人との愛の巣も構えていよいよやる気十分。その右腕にV奪回がかかっている。

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小川邦和

2024-10-28 12:45:30 | 日記
1975年
1㍍71、63㌔とチーム一の小柄だが、負けん気は人一倍強い。自分の力が十分発揮できないと社会人野球の名門、日本鋼管を飛び出した根性の持ち主。下手投げ、くねくねとした人を食ったピッチングで度胸よく勝負する。シピン(大洋)に対してめっぽう強く、得意の揺さぶり投法が生き生きと真価を発揮する。体力不足によるスタミナ切れが問題だが、ここ一番という時の救援にはとっておきの存在。

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松原明夫

2024-10-28 12:44:07 | 日記
1976年
新婚のジンクスに負けては…と松原はキャンプ・インから並々ならぬ決意をみせシーズンを迎えた。果たせるかな5、6月はなんと8勝を11試合であげたのだから驚きである。この好調さを持続していけば15勝は軽いと思われたのが好事魔多しのたとえのごとく6月末の対阪急11回戦6-5のリード9回を迎え二死から加藤を一塁において佐藤のリリーフで長池に2ランを喫したのがケチのつきはじめで同じカードの14回戦で延長10回で再び長池に2ランを浴び泣くにも泣けぬ敗戦。7連敗のきっかけは長池の2発にあった。松原にとっては憎っくき奴長池ということだろう。それでも不運にもひるまずプロ初の10勝をマーク。着々と地力をいせはじめ第二世誕生にさらに意慾を燃やし阪急戦の借りを返すことに執念をかけることだろう。と同時に後期に備えるスタミナの配分も考慮されるべきだと思われる。

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佐藤秀明

2024-10-28 11:53:05 | 日記
1990年
どのような場面でも、ポーカーフェイスでいれる。物事に動じないタフな精神力が、決して大柄でない身体の奥に潜んでいる。人呼んで福の神。勝ちパターンのときは必ずといっていいほど、マウンドに立っていた。「吉井投手へつなぐのがボクの仕事。白星もセーブもいらない。それがボクの存在価値なんですから」タテ前でなく本音で勝負する。阪神から移籍1年目で、Vを語るには欠かせぬ活躍を円いた中継ぎの雄。ウイニングショットのスクリューボールがあるかぎり、怖いものはない。静かなる情熱家は、何事もないかのように今季もマウンドに向かう。

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欠端光則

2024-10-28 11:49:41 | 日記
1989年
古葉監督が「欠端が一人立ちしてくれたら」と語ったのは一昨年オフだ。それに応えプロ入り初の2ケタ白星11勝をマークした。欠端は何かが変わった。1月の自主トレスタートから気合いの入り方が違う。周囲も「カケは何も言わなくても大丈夫」と一人前の評価。今年も仕事は試合の鍵を握る「中継ぎ」重い球質、持ち前のスタミナでフル回転だ。

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