プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

菅原紀元

2014-03-31 21:08:41 | 日記
1962年

大毎投手陣の中でエース格の働きをしているのは坂井だが、それについで最近フルに活躍しているのが菅原だ。二十日現在31試合に登板して7勝5敗、若生とともに、坂井につぐ勝ち星をあげている。キャンプでの宇野監督の構想は3勝だったし、菅原自身、「初勝ち星をあげれば本望」といっていただけに、今シーズン大毎最大の収穫といえる。菅原は四年前片岡スカウトに目をつけられて東洋商からオリオンズ入りしたが、二年前の島原キャンプで肩をこわし、一時はプロ生活を断念しようと考えたこともあった。昨シーズン終盤やっと一軍にくり上がったのだが、ことしのキャンプでは徹底的に鍛えられた。一番よく走らされたのが、この菅原。これ以上腹が出ると投げれないといわれて懸命に走った。そしていままでやや狭くクロス・ステップしていたのを大きく真っすぐステップするようにコーチされてから、ストレートにノビが出たし、コントロールもよくなった。ダイナミックなフォームからくりだすシュートとドロップが武器だが、五月二十二日平和台での対西鉄9回戦で、九回からリリーフ、十三回まで投げて安打1本に押えて4勝目をあげてから、自信を持ったという。もっとも左打者には弱く、東映の張本、毒島は苦手という坂井と同じような欠点を持っているが・・。ところで菅原はここ一カ月近く勝ち星が出ていない。いままでのペースだと、もう10勝は楽にしていることになる。「最近になってやっとピッチングのむずかしさがわかってきました。最初はド真ん中めがけて無我夢中で投げていましたが、最近はコーナーを狙うようになった。それできわどいところがはずれて四球が多くなった。するととたんに勝てなくなったんですよ」菅原は、いま一つのカベにぶち当っているわけだが、これを打破してこそ、はじめて一人前の投手に成長するのである。果たして菅原はこのカベをいつ打ち破るだろうか。
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松崎秀昭

2014-03-28 23:21:16 | 日記
投球フォーム・・・アンダースロー「下手投げ独特の高低の揺さぶりが見事である。特に低目の球が浮き上がり気味に入り、内角に食い込む球にも威力がある。状況に応じクイックモーションを用いるなど、クレーバーな投球術が光る」

球種・ストレート、スライダー、カーブ、シュート

年俸・1987年「340万」、1988年「370万」、1989年「440万」

1986年・ファーム
・2年目を迎えてジュニア・オールスターに選ばれた松崎「南海」、井上「巨人」はお互いに「負けられません」の言葉が口を突いて出る。松崎は鎮西のエースで井上は熊本工の4番。宿命のライバル校のゆえ何度も対戦してきたが、その決着のときは1984年、夏の県予選決勝に巡ってきた。井上はこの試合1安打で、スコアは4-2。松崎が甲子園へ。「それにしても、高校時代から井上のパワーは素晴らしかった。通算では五分五分かな。あいつも力をつけただろうけど、ボクだって・・・」松崎。「同じ、下手投げの杉浦さんが監督だから、松崎も成長しているでしょう。でも、負けられません」井上。
五分と五分の対決。2年ぶりの決着をつけるときがきた。
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山口統一

2014-03-26 20:20:40 | 日記
1979年
・1人のテスト生が自主トレに加わって頑張っている。山口統一投手。2年前、高校球界の名門・浪商「大阪」を卒業後、
2年間、働いていたが、どうしてもプロのユニフォームを着たいと、昨年、阪急のテストを受け合格。自主トレ、キャンプの結果で晴れて勇者の一員になれるテスト生だ。180センチを超える長身。真っ向から投げ下ろすストレートが武器で、スカウト陣の評価も高い。「即戦力とまではいかないが2,3年ファームで鍛えれば佐藤義クラスのいいピッチャーに育つはず」
「藤井編成部長」と、将来性を高く買われている。まだ20歳。ヤング勇者の1人になる日は、そう遠くはないはずだ。
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山崎修二

2014-03-24 21:03:09 | 日記
・高校3年時「奈良・郡山高校」の夏の県予選、準決勝で天理に0-6で敗退。山崎は3番手で登板。三塁打を1本放つ。

1981年ファーム成績
2試合、0勝0敗・3分の1イニング・防御率54,00

「1980年」
・「母の墓前に1勝を」この言葉を胸に秘めた頑張り屋がいる。中日のルーキー山崎修二投手。プロの門出、1月12日の自主トレ初日に母・継子さん「43歳」が病気で他界。何か運命の糸にあやつられたような衝撃的なプロ入りだった。あれから4ヶ月余、母の死の悲しみを乗り越えた山崎は以前の明るさをすっかり取り戻した。「ええ、練習の辛さは当然のことですが、プロの生活にはもう慣れました。毎日が有意義で楽しいです」メガネの奥がギラギラ輝いている。こんがり焼けたホッぺタがファームで汗にまみれた努力のあとを無言のうちに語っている。山崎がチームの人気者になったのは入団早々の串間キャンプのとき。「140キロの快速球野郎」のふれ込みどおり球はめっぽう速い。ところが行き先はボールに聞いてくれの、口。なにしろ山崎がピッチングをはじめると、とてつもない高投ありワンバウンドありで、囲い板がドスン、ドスンと大きな音を響かせ、キャッチャーは怖さに悲鳴をあげ続けたのだから相当なもの。チームメイトは驚くやら吹き出すやら。快速球の秘密は
92キロの脅威的な握力。ジュースの空きカンを右手に持たせればグイとひねりつぶしてグニャグニャ。さすがに腕自慢そろいの周囲もビックリ。「今までに星野さん、堂上さんら先輩と腕相撲をやりました。もちろん勝ちました。ボクの自慢できるものといったら腕の力くらいですからね」もちろん腕力だけで即通用するほどプロは甘くない。とにかくすべての面で粗けずり。やたら力を入れ過ぎて、つい最近まで肩を痛め、まだファームでも投げていない。「よくいえば自己流、悪くいえば勝手流。ムチャクチャなヤツだ。ピッチングの基本から、叩き込まなければいけないので時間はかかるが、山崎みたいに若さの特権をフルに発揮しているヤツには、とてつもない魅力を感じるんだ」権藤コーチの山崎診断だ。山崎の人生哲学はピッチング同様、何事にも真正面からぶつかってゆく事。グラウンドではキビキビした動きを見せ、合宿生活でも礼儀正しく、言葉使いもハキハキしている。そんなところにも両親のしつけの良さが伺えるが、プロ入りを最も喜んでくれた母はもうこの世にいない。亡き母のためにも山崎には挫折は許されない。「肩に力が入り過ぎる。一からフォームを矯正中です。今はすべてが勉強の時期。ボクの目標は3年後の一軍入り。そのときはきっと母の墓前に1勝を報告します」山崎のデッカイ声が、きょうもグラウンドに響く。
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安田尚弘

2014-03-24 00:00:15 | 日記
1977年

高校時代は、コントロールが悪く、これといった実績は残していないが、球の速さは兵庫県でも№1との声が高かった。平山スカウト部長は「体が柔らかだし、バネもある本格派。2~3年先きにはー」とほれ込んでいる。
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定岡徹久

2014-03-23 14:34:05 | 日記
1983年
・広島は大量4人ものルーキーを開幕一軍に引き上げた。その中にドラフト3位・定岡の名前もある。「うれしい」という言葉はあったものの、定岡は、いかにも現代っ子らしく、クールに「一軍切符」を受けとめていた。広島にとって、定岡の実兄・定岡正二は天敵である。昨シーズンだけでも、カープ戦で7勝も稼ぎ通算勝ち星も、半数以上は広島戦という
「赤ヘル・キラー」もし、弟が在籍することで妙に意識してくれれば、攻略の糸口もつかめるというものだ。広島が末弟を獲得したのは、そんな計算があったともいわれている。しかし、こんな思惑とは別に定岡は戦力として計算されている。オープン戦では衣笠と並んでチームのホームラン王。守りと肩がセールスポイントのはずだったが、バッティングにすばらしい進境を見せたのである。プロ1年目のシーズンに挑む定岡の決意は「そりゃあ、最初から1軍でやってみたいと思ってたけど、まさかそうなるとは。合格した以上、カープのために一生懸命やります。兄貴は絶対に打ち込んでみせます」とキッパリ。兄貴に追いつけ追い越せ!赤ヘルの定岡は、さっそうと出陣した。
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川口孝秀

2014-03-23 09:27:42 | 日記
1969年

PL学園から入団が決まった川口投手が、学校の許可をもらって、さる一日から一週間、秋季練習に特別参加した。「ほとんど練習をやっていなかったそうで、相当きつそうだったが、そこは負けん気の新人らしく、懸命に激しい練習に耐え抜いている。これを見た本多コーチらは「なかなか見どころがあるいい新人じゃないか」とたのもしそうだった。ところが、練習の三日目に内海海岸(愛知県知多郡)に遠出した砂浜でのランニングにはとうとうダウン。青い顔してトレーナーに介抱された。「プロの練習は、やはりきついですね」これが新人川口の実感。練習もまだ序の口といったところ、せいぜい落伍せぬようじっくり取り組んでほしいものだ。
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立野清広

2014-03-23 08:32:31 | 日記
1976年

32年6月5日生 1㍍85、75㌔ 右投右打

投手になって一年半と日は浅いが、恵まれた身長からのスピードに将来性がある。「長身選手特有の下半身の弱さを克服し制球か、変化球の習得に専念させたい」と、球団では村田二世に期待している。
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大慈弥功

2014-03-23 07:58:18 | 日記

・テスト入団。はじめは内野手だったが、体つきから捕手に転向した。

1977年・年俸160万、1978年・年俸180万

ファーム成績
1976年・打率250、本塁打0
1977年・打率143、本塁打0
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三好真一

2014-03-23 07:57:42 | 日記
・試合後半の守備固めには欠かせない。堅守でチームを支える。

年俸「1977年・280万」「78年・320万」「79年・340万」

ファーム成績
1976年・打率188・本塁打1
1977年・打率116・本塁打2
1978年・打率205・本塁打11
1979年・打率221・本塁打3

「1977年」
・梅田が長期欠場。頼みの正岡が右ヒジを痛めて、遊撃のポジションにポッカリ大穴があいた。新人・宇野「銚子商業」を一軍へ上げたりして、そのアナうめに懸命だったところへ三好が「こんなチャンスは二度とこない。なんとしても生かすんだ」とばかり後半戦から遊撃に入り、攻守にハツラツとしたプレーを見せている。ことしで入団9年目。「キミは来シーズンは外野手をやれ」と、昨年末の更改で球団からいわれた。それを聞いたとき、「ことしが最後の年。それでダメなら・・・」と決意した。そして7月末の後半戦が始まった前日、結婚式を挙げたばかり。そんな矢先に考えてもみなかった遊撃手のおハチが回ってきた。人生はどう転ぶか解らないものだ。
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坂本義雄

2014-03-23 07:56:46 | 日記
1967年

外角への速球、打者の胸元をえぐるようなシュート。その上制球力があり、まとまったピッチャーだ。大会では一回戦で松商学園に敗れたが将来性もあり。好投手のひとりにかぞえられる。1㍍76、67㌔。
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佐藤玖光

2014-03-21 19:19:57 | 日記
1971年

昨年、特別のテストで入団。社会人野球があきたらずライオンズに飛びこんだ。左腕なだけに貴重な投手だが、いま一つスピードがない。まずは球威をつけること。
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市原稔

2014-03-20 21:59:15 | 日記
1969年

市原は昨年夏早大からテスト生として入団した変わりダネ。「自分の限界を試してみる」とあえて教職を断っててプロ野球の世界へ飛び込み、ハッスルぶりが注目されていた。小池の代わり遊撃を守った市原は一塁へ悪投の失策一、それが初登板前田の足を引っ張る結果ともなかった。ファームへ舞い戻った市原は、二番遊撃で4打数三安打無失策(二十九日、近鉄戦)とまた生気を取り戻したが「一軍戦の熱気のようなものに日ごろの自分を見失って・・・」とこれまた緊張度の相違をあげていた。
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鴨川清

2014-03-18 21:25:32 | 日記
1973年

23年1月24日生 1㍍68 70㌔ 右投右打

強肩でコントロールのいいスローイングは抜群。パンチのある打撃を買われ将来有望。

妻 光子 長女 亜紀
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松村正晴

2014-03-18 21:19:36 | 日記
1967年

堀内株が下降線をたどっている中でこのところぐんぐん株を上げてきたのが内野の松村。四日の東映三回戦(東映・多摩川)では延長十回、左腕の山崎から左翼ライナーの決勝2ラン3号ホーマー。この試合、三打数三安打をとばし、守ってもスピーディーなプレーを見せ実力派の面目をいかんなく発揮している。中尾二軍監督は「最近の松村は特に冴えている。いつもこれ位やれれば一軍でも十分通用するだろう。だがファームなら打率は四割ぐらい行かなければ本物とはいえない」となかなかきびしい採点だ。この松村、駒大から巨人入りして今年でもう四年目。中距離打者としても定評があり、足もダイヤモンド一周十四秒台で巨人の中では指折りの俊足ランナー。これまで足の故障などで一軍入りを果たせなかったが、その実力は関係者の間では高く評価されている。昨年は南海の鶴岡監督が御指名で松村のトレードを申し入れており、最近は西鉄、東映あたりが松村譲渡を巨人に申し入れたという噂もあるが、どうなることか・・。
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