1972年
太平洋クラブ・ライオンズは二十日午後三時、福岡市中央区天神の同球団仮事務所でドラフト第九位に指名していた日大三・待井昇外野手(18)=身長180㌢、体重71㌔、右投げ右打ち=の入団を正式発表した。昨年春の選抜大会で日大三高は大阪代表大鉄を破り、甲子園優勝の栄光に輝いた。待井選手はそのときの三番打者。足が速いのと、打つポイントのつかみ方がうまく、チーム最高の打率で優勝に大きく貢献した。もともと打者としての好素質を持つ選手だが、連続出場となった今春の選抜大会ではマウンドにも立った。主戦は下手投げの小曽根だったが、待井は本格派ということから三試合に先発した戸畑商、諫早らを押さえ込んでいる。この大会は決勝戦でジャンボ仲根(近鉄入り)の日大桜丘高に屈したが、プロ野球スカウト連は、一段とたくましくなった待井の好打に二重丸をつけてマークしたほどだ。この待井に目をつけていたのは東京駐在の渡辺スカウト。「足が速いほかに、肩がめっぽう強い。もちろん投手の素質もあるが、打力を生かしたほうが得策のよう」と外野手としての大成を期待している。ドラフト会議は第九位だったが「ほんとうは、それまでにほかの球団から指名されないかとヒヤヒヤした」そうだ。太平洋クラブが契約金六百万円、年棒百二十万円(推定)の好条件を提示したのは、第九位指名はともかくとして待井の実力を高く評価しだからだろう。この日の入団発表に同席した日大三の鈴木康夫監督は「指名順位など問題でない。待井のよさは足、肩のほかに、けたはずれの馬力があること。将来性という点では抜群の素質を備えている。それに性格的にも冷静さの中に激しい一面を持ち、それがここ一番の勝負強さにつながっている。頼みがいのある選手だ」と評している。待井は「小学生のころからプロ入りを目指していた」そうで、日大三に進学したのも徹底的にきたわれたかったからだ。この待井について稲尾監督は「来春のキャンプで投手としての素質をもう一度見てみたい」という構想を持っている。ライオンズは池永(下関商)いらいの甲子園優勝投手である。
待井外野手の話 仲根君とのライバル意識を燃やして、早く一軍で活躍できる打者になりたい。ベース一周は14秒7ですが、打者としての大成が目標です。