プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

竹屋三郎

2015-07-16 21:45:36 | 日記
1961年

中日ドラゴンズは先に中日入りを意思表示した社会人野球協和酸酵防府のエース竹屋三郎投手(20)福山工高出=と七日正式契約したことを同日午後五時半中日スタジアム会議室で高田代表から発表した。同投手は身長1㍍78、体重75㌔で左投げ、左打ち。中日入りするまでは東映、南海、阪急、西鉄、巨人、阪神、広島の各球団からも勧誘されていた。中央球界には知られてないが、中国地方の社会人関係者の間では「竹屋のスピードはプロでも十分通用する。とくに大きく割れるドロップは社会人野球界の打者では打てなかった」といっている。なお背番号は59にきまった。
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間所宏全

2015-07-12 16:21:43 | 日記
1955年

桐生高校のスラッガー間所宏全外野手(18)=桐生市稲荷町出身=は来春卒業と同時にパ・リーグの阪急ブレーブスに入ることに決定した。同選手は五尺五寸七分、十七貫四百、右投右打の選手。今春の「センバツ」では各チームからマークされて振るわなかったが、昨春の「センバツ」では15打数6安打(二塁打4、三塁打1)の四割、夏の全国大会では8打数4安打(三塁打1)の五割という好打率を残しハワイ遠征の高校選抜チームの一員に選ばれた好選手でハワイでも中堅越の大ホームランを放った。自宅で羊毛加工業を営む厳父健司さん(58)は次のように語った。最初体が小さいので大学へ進めるつもりでいましたが、九月下旬阪急スカウトの丸尾さんがきて阪急へ来ないかという話があり、それに本人も元オーナー村上専務さんの人格を慕っていたのでとんとん拍子に話がまとまり、十一月上旬正式契約することになりました。練習参加は来年二月の学年末試験を終わってからにしますが、二軍でみっちり仕込んでいただくよう願っています。
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久保祥次

2015-07-12 16:06:47 | 日記
1961年

広島カープでは久保祥次(20)=広陵高出=(現在広大医学部勤務)の入団を発表した。同選手は先に行われた新人テストで採用されたもので、広陵時代は遊撃をつとめていたが現在は軟式で捕手。そしてその強肩、強打がテストで認められ入団となったもの。久保選手は九月一日に契約を完了。現在ファームで練習をつづけている。
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広瀬宰

2015-07-09 20:00:05 | 日記
1968年

東京オリオンズは二十五日午後二時から、東京南千住の東京スタジアム会議室でドラフト会議第二位に指名した東京農大の広瀬宰(おさむ)(21)=内野手、1㍍75、70㌔、右投右打=の入団を発表した。契約金八百万円、年棒百八十万円(推定)背番号「1」在学中の通算成績は三割三厘、4本塁打、今春のリーグ戦では三割四分三厘でベストテン第二位の好成績をあげており、東京が望んでいた打てる内野手である。すでに十七日大分県佐伯市の自宅で契約はすませているが、河瀬農大監督に付き添われて記者会見に現れた広瀬は、上気した顔で武田球団社長に紹介されると、ぴょこんと頭を下げた。「やる以上はプロでと思っていた。第二位に指名してくれたことは光栄に思っている。どこまでやれるかわからないが、プロの根性を早く身につけたい。ライバルはオリオンズにいる選手全部のつもり。武上(産経)のように体でむかっていく選手になりたい」顔はおとなしそうだが、なかなかのファイトを持っている。発表に立ち会った濃人監督も「守備は申し分ないと聞いているし、さきに入団した有藤との三遊間コンビに期待している」と早くも来シーズンの構想に入れているようだ。肩のよさでは東映に入団した大橋(東映)以上といわれ、守備には定評があり、打撃の方も四年になってからめきめき力をつけ4本塁打はいずれも秋季リーグ戦で放ったものである。
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田中勉

2015-07-09 18:56:04 | 日記
1960年

今夏の都市対抗大会で対日鉱日立戦に剛腕ぶりを発揮した東洋高圧大牟田のエース田中勉投手(21)=三池工出=はこのほど西鉄ライオンズ入りを決意。今大会終了後会社を退社。シーズン半ばから西鉄入りして第一線でマウンドをふむことになる。同投手には早くからプロ球団が一級品とねらいをつけ、地元の西鉄をはじめ中日、南海、広島、東映などの球団が勧誘を行ったが、九州大会第二次予選のころ、家族はパなら地元の西鉄、セなら濃人監督のいる中日と2球団にしぼって熟考していた。しかしその後中日が遠隔地という不利から、わずかに家族との接触をゆるめる間に、西鉄は城島スカウトが連日大牟田の田中家を訪れ本人と家族に接触、とくに父親昌一氏のくどきおとしに成功。内諾を得るにいたった。田中投手は右投げ、右打ち、身長1㍍77、体重69㌔と恵まれた本格派で、得意の球は外角低目をつく速球。それに大小二様のカーブをもっており、難のあったコントロールも最近ではすっかりなおってピッチングに成長のキザシさえみせている。新人王も狙える優秀な投手であるが、西鉄では優勝を目ざして後半戦の追い込みにさっそく同投手を登用する用意でいる。正式契約は十五日ごろ福岡で行われる。
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外木場義郎

2015-07-05 21:10:50 | 日記
1964年

広島カープ入りの決定していた外木場義郎投手(出水高、九州電電)の入団発表が、十一日同球団事務局で行われた。身長1㍍75、体重71㌔、右投右打、昭和二十年六月一日生まれ。同投手は速球を武器とする正統派で九州ノンプロ界では高く評価されていた。特に今春後楽園における選抜社会人大会では大昭和製紙をシャット・アウト、二回戦1-0で惜敗したが、富士重工戦で延長15回を投げ抜き一躍クローズアップされた。東京、近鉄、広島の3球団が激しい争奪戦を演じたが高校時代から同投手をマーク、熱心に勧誘を続けていた久野スカウトの誠意が実って獲得にこぎつけた。同投手はきょう十二日から練習に参加する。

外木場投手の話 これまでプロ野球は何回か見たことがあります。広島に入ったのは久野さんが熱心に誘ってくれたからです。課題といえばスピードをつけること。プロに入った以上ベストを尽くしてがん張りたい。

久野スカウトの話 同投手の特徴は非常にバネがよく、手首が柔かいことだ。それだけにスピードもある正統派だけにさきの楽しみなピッチャーだと思います。

白石監督の話 うちはやはり投手が手薄、来シーズンから戦列に入れるようがん張ってもらいたい。球も速いし、スタミナもあるので楽しみにしている。
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衣笠祥雄

2015-07-05 20:59:35 | 日記
1964年

今夏の選手権大会でナンバー・ワンの捕手とうたわれていた平安高衣笠祥雄捕手(17)=1㍍78、69㌔、右投右打=は、二、三の球団から誘われていたが、五日もっとも熱心だった広島入りに踏み切った。正式発表は近日中に広島で行われる予定。同選手は京都洛北中時代から捕手をつとめ、平安高では二年生の秋からレギュラーになった。このころから近畿高校球界では大型捕手として注目を集め、今春の選抜大会に出場して、スカウトの目にとまった。柔かい体とシュアーなバッティングは、高校生ばなれしている。選抜大会後スカウト連からマークされていた。今夏の選手権大会終了後、東京、阪急、阪神、広島などが交渉を行った。中でも広島が積極的で、早くからひそかに自宅攻勢をかけていた。最近になって東京がまきかえしにかかり、青木スカウトが東京から来阪して強硬に説得していたが、広島の熱意にほだされて、五日広島入りにふみきったもの。

衣笠捕手の話 進学にしようか、プロ入りしようかと迷っていましたが、プロ入りすることに決めました。交渉は両親がしてくれています。
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戸田善紀

2015-07-04 14:46:04 | 日記
1963年

阪急ブレーブスでは、すでに阪急入りが決まっていたPL学園高戸田善紀投手(18)=1㍍78、75㌔、右投右打=の正式入団発表を、三十日午後四時から大阪市内北区梅田の航空ビル九階レストラン「シルバー」で、母親富恵さん、岡野代表、木地球団顧問、藤井スカウト立ち会いのもとに行った。戸田投手は守口三中時代から大阪府下中学球界きっての好投手といわれ、高校進学のときにもかなり激しい争奪戦が演じられたほどでその素質は当時から高く評価されていた。そしてPL学園に進んでからも期待どおりの成長ぶりで、昨春の選抜大会には二年生ながらエース堀川をよくたすけ、PL学園の甲子園初出場の原動力となった。堀川が抜けたあとも、今春の選抜大会にエースとして出場、首里戦では快刀乱麻を断つピッチングで、奪三振21の新記録を樹立ネット裏につめかけたスカウト連の注目をあつめた。そして三年間に22勝5敗の好成績を収めた。選抜終了後富田林のPL教団本部や南区日本橋の自宅へ近鉄、大毎、阪神、大洋、巨人のスカウト連が連日足を運んだが、昨年からすでに戸田投手の素質を見込んで、下地を固めていた阪急藤井スカウトの熱意にひかれて阪急入りが決まったものである。

戸田投手の話 最初は進学も考えていたのですが、同じ野球をやるなら一度はプロで力を試してみたかった。それに阪急の地味ではあるが、内に秘めたファイトのあるチーム・カラーがボクにピッタリなので阪急へお世話になることにしました。目標は米田さん、梶本兄さんを上回ること。

岡野代表の話 速球を武器とする本格派投手なので大いに期待している。研修期間がなければすぐに第一線へ飛び出してくれる投手だ。
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牧勝彦

2015-07-04 14:30:47 | 日記
1960年

豊橋工高の牧勝彦投手(18)=1㍍77、71㌔、右投右打=はかねてからプロ入りがウワサされ、中日、巨人、国鉄、広島、近鉄などから勧誘を受けていたがこのほど阪神入りが内定した。同投手の力量は今春の甲子園大会当時からスカウト中間では高く評価され、春以来各球団とも豊橋にスカウトを送り積極的な勧誘につとめていた。一時は地元の利を生かした中日か、沢田スカウトがきわめて熱心に足を運んでいた巨人のどちらかと思われていたが、阪神佐川スカウトがこのほど両球団を出しぬいて同投手の後援者である牛田氏を介して交渉をすすめ、その獲得に成功したもの。当初有力視されていた巨人は浜崎、中尾両コーチの同投手に対する価値判断の意見の対立もあって後手を踏んだようだ。同投手は巨体を利した本格派力投型で、今夏の愛知県予選決勝で享栄商に敗れたが、相次ぐ好投をみせウワサに違わぬ好投手との評をとみに高めていたものである。なお同チームの右翼手である牧投手のリリーフをつとめていた鈴木宇成選手(17)=1㍍80、70㌔、左投左打=は早くから勧誘を受けていた広島入りに踏み切った模様である。
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池田純一

2015-07-01 22:40:25 | 日記
1964年

今夏の甲子園大会でいきなり十八回延長試合を演じ、しかもその試合と翌日の再試合を一人で投げ抜いて注目を集めた八代東のエース池田純一投手(17)=1㍍75、77㌔、右投左打=は、その後激しいスカウト合戦の渦中にあったが、このほど阪神入りに踏み切った。同投手は甲子園大会の一回戦で掛川西高に敗れたが、延長十八回の引き分け試合を投げ抜き、再試合では山崎左腕投手から左翼ラッキー・ゾーンに2ラン・ホーマーを放っている。投手としてより、むしろ打者として魅力があり、左打者でありながら、左投手に対する11打数5安打がにわかに注目を集めたものだった。大会前から巨人、東京、近鉄、西鉄などが注目していたが、大会後は阪神、南海も加わって争奪戦が展開された。中でももっとも熱心だったのは阪神で、佐川スカウトが熊本県八代市弥生町12の5の実家を再三訪ねて、実父秀雄氏(芦北郡地方事務所勤務)に入団がたを要請していた。巨人は熊本県出身の武宮二軍監督を派遣、南海は枝川スカウトが担当してしのぎをけずった。当初同投手は進学を希望し、早大野球部の夏季練習にも参加したが積極的なプロ攻勢に意を転じて、プロ入りに踏み切り、早期出場の可能性が強く、またもっとも熱心だった阪神入りに決めたものである。巨人は佐々木代表が「出遅れたから見通しは暗い。交渉は阪神が一番早く積極的だったようだ」といいながらも、七日再び武宮二軍監督を派遣しているが、もはや逆転の余地はなく、同投手が十二日の聖火リレーを終えしだい阪神との間に正式契約がかわされることになろう。
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