1961年
中日ドラゴンズは先に中日入りを意思表示した社会人野球協和酸酵防府のエース竹屋三郎投手(20)福山工高出=と七日正式契約したことを同日午後五時半中日スタジアム会議室で高田代表から発表した。同投手は身長1㍍78、体重75㌔で左投げ、左打ち。中日入りするまでは東映、南海、阪急、西鉄、巨人、阪神、広島の各球団からも勧誘されていた。中央球界には知られてないが、中国地方の社会人関係者の間では「竹屋のスピードはプロでも十分通用する。とくに大きく割れるドロップは社会人野球界の打者では打てなかった」といっている。なお背番号は59にきまった。
中日ドラゴンズは先に中日入りを意思表示した社会人野球協和酸酵防府のエース竹屋三郎投手(20)福山工高出=と七日正式契約したことを同日午後五時半中日スタジアム会議室で高田代表から発表した。同投手は身長1㍍78、体重75㌔で左投げ、左打ち。中日入りするまでは東映、南海、阪急、西鉄、巨人、阪神、広島の各球団からも勧誘されていた。中央球界には知られてないが、中国地方の社会人関係者の間では「竹屋のスピードはプロでも十分通用する。とくに大きく割れるドロップは社会人野球界の打者では打てなかった」といっている。なお背番号は59にきまった。