1990年
打てず守れずで広島は6連敗。フォークを多投する岡本透の術中にはまり、散発4安打。三塁も踏めない貧打。先発の北別府も立ち上がり高木、シーツに連続二塁打を浴び、二回も岡本透に適時打を喫したうえに守りのボーンヘッドで失点を重ねた。三回以降は立ち直ったが、通算199勝はまた足踏み。岡本は今季2度目の完封で3勝目。
広島に上昇の兆しが見えない。北別府が立ち上がり、微妙な制球を欠き、ストライクを取りに行って痛打されたうえ、打線は岡本透のボール気味のフォークを振り回すだけ。さらに記録に残らない守りのミスが頻発した。3点目は屋鋪の左中間安打を抜けたと勘違いした正田が二塁ベースをカバーしなかったために、捕球した西田が返球先を迷う間に生還を許したもの。ほかにも照明が目に入ったブラウンが平凡なゴロを捕れなかったり、併殺プレーが出来なかったり。「連鎖反応みたいになっとるな」と山本監督もため息。
1991年
「おい、あと一人だよ」「巨人には歴史的な屈辱の日だね」ネット裏で交わされる報道陣の無責任な声は、しかし、奇妙な熱気も帯びていた。九州シリーズでの巨人の完封負けは1951年以来。どうせ負けるなら派手に散ってくれ、の残酷な期待も原辰の意地の一発で夢と消えた。ちょっぴり悔しげな岡本透。とはいえ、味のある138球ではあった。四年目の左腕。昨年まで中継ぎ専門。別に球速抜群でもないが、巨人打線を赤子の手をひねるように抑えた。なぜか。早いカウントから打ってくれる打者が巨人に極めて少ないことを熟知していた。つまり、秋元と組んでの頭脳の勝利。例えば六回。緒方をカーブと直球で追い込んで2-1から二ゴロ。川相と篠塚はフルカウント後のスライダーと直球でともに見逃し三振に仕留めた。この間、バットを振らせていない。費やしたのは16球。1イニングの球数として少なくはないが、両サイドを丁寧に突いて打者をはぐらかした。「逃げない気持ちがよかったと思う」と岡本透。確かにその通り。八回、初めて先頭打者を許し、代打の井上を迎えた時も最後は内角直球で狙い通りの遊ゴロ併殺打に切ってとった。この度胸のよさが須藤監督に「あの気合だ」といわせた。自ら評して「だんだん味が出てくるスルメみたいなピッチング」。自分をよく知る人間はどの世界でも生き残る。
1994年
横浜の岡本透は左肩痛で出遅れ、この日出場登録されたばかりで昨年六月以来の先発。「立ち上がりはやっぱり緊張した。浮ついた感じだった」というが、一回二死一、三塁のピンチにメディーナをひざ元への直球で空振り三振に仕留め、波に乗った。六回まで低目への直球と内外角にカーブ、シュートで緩急をつける本来の投球で無得点に抑えた。1年ぶりの勝ち星に「自分のピッチングができたのがうれしい」と声を弾ませた。