プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

伊藤隆偉

2019-11-28 11:36:05 | 日記
1992年

スピード、球のキレ、フォークボール、どれも一級品。あとは安定度を増すのみ。そのためには、ホンの少しのコントロール取得と、コンディショニングが必要。その点が解消されれば、投手陣にとって、不可欠な実力派。

1994年

場内アナウンスでコールされ、ブルペンからうつむきかげんに小走りでマウンドに向かう姿が昨年は33回。スライダーによって投球に幅ができ、シーズンが進むにつれてその姿には自信さえうかがえるようになった。今シーズンも右のストッパーとして、頼れる存在になりそうだ。
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五十嵐明

2019-11-28 11:21:55 | 日記
1988年

昨年春の福島県大会、対白河戦で延長11回を投げ抜き、22三振を奪って期待された。夏の予選でもベスト8まで進出しtが平工のエース。長身、左腕からくり出すストレートは角度、のびとも十分。そしてフォークボール、鋭いカーブをあやつる本格派だ。肩、ヒジを一度も痛めてたことがない。という頑健な体、性格も負けん気が強く、いかにもピッチャータイプ。将来が楽しみだ。
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渡辺博敏

2019-11-28 11:20:39 | 日記
1974年

日大時代は佐藤道(現南海)の控え投手。目立たないが横手からのシュートに威力を秘めている。正確なコントロールをつけることが今季の課題でひそかにローテーション入りをねらっている。
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高橋功一

2019-11-28 11:20:11 | 日記
1984年

ドラフト6位。58年夏の県予選では1回戦の対大宮高戦でノーヒットノーラン試合を達成している。7回終了、9-0のコールド勝ちで参考記録にとどまったが、大、小2つのカーブをあやつり、大宮打線を2四球だけで完封したものだ。4回戦で、強豪川口工に敗れはしたが、打撃でも5番を打ち、チームの大黒柱だった。シュート、スライダーも投げわけるテクニシャンだが、ストレートにさらに磨きをかけた。

1987年

6月7日の阪急戦(後楽園)にたった一度の一軍初登板。山森に一発かまされたが、その前の無死満塁で弓岡を遊ゴロ併殺にきってとったタマ、そらにブーマーをカウント2-1から三振に切り捨てた内角シュートには力があった。そういえば一昨年、プロ初三振を奪った相手もブーマーだった。強打者にひるむことなくたち向かっていく度胸の良さは、投手にとってもっとも必要な条件だ。今季の活躍が待たれる。
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崎山嗣盛

2019-11-27 12:47:42 | 日記
1975年

エース・崎山は5試合に完投、被安打29、奪三振27、防御率0.40と安定しており、カーブの切れがいい。

どちらかといえば、投手力のチーム。主戦崎山は地方大会五試合で3失点。速球と切れのよいカーブが武器。配球もうまい。
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井上勝巳

2019-11-27 12:46:38 | 日記
1960年

十六日、対南海戦の試合前、練習する大毎選手にまじって、眼鏡をかけた背番号「30」の見なれぬ選手が、練習にはげんでいた。兵庫県育英高を中退して、大毎に入団した井上勝巳投手である。野口コーチの話によると、「すぐ戦力にプラスするとは思えないが、左の少ない大毎で小野、荒巻、三平に次ぐ投手として育てたい。若いし、体もあるし、期待の持てる投手だ」とのこと。「大毎が好きだから入りました。まだ何もわかりません。得意とする球ですが、別にありません。まだ、あったとしても、プロの選手に通じるはずもありません。ただガムシャラに練習するだけです。小野さん、荒巻さんを目標に頑張ります」と記者の質問に、学生服の彼は、直立不動の姿勢で答えていた。球団の発表によると、身長1・79メートル、体重75㌔。

1960年

打線のあげ潮に乗っているがどうも大毎の投手陣はサッパリ。そんなとき、宇野を喜ばせる明るいニュースが二軍にある。その人物は、ことし育英高から入った井上勝巳投手。野口ピッチング・コーチは「球速の速いことはナイターにもってこいだ。スピードの点だけなら小野より速い。しかしコントロールと、打者のかけ引きはまだまだ、だから、夏場ごろから一軍に上がるようにしたいと思っている。しかし、一軍からSOSがくれば、いつでも送れるよ。井上だけでなく、長谷川もいいしね。だが、一軍にやってもバッティング・ピッチャーや、ベンチばかりおかれては、調子が狂うから、この辺がむつかしいよ。ぼくの考えからすれば、もっと練習させ、勉強してからやらせたい」と、眼鏡の奥の瞳を輝かせながら語っていた。さらにいまの大毎にもっとも必要なのは、「エースを作ることが、第一だよ」と力説していた。「エースを作るのはわれわれの仕事さ」と、いった野口コーチの胸中には、一軍にかんじんのエースがいない不安が、つねに心の中にあるのだろう。
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倉高新始

2019-11-27 12:45:44 | 日記
1960年

「坂井は別として、長谷川、佐々木、それにこんど入団した倉高がいいですよ」二軍の本堂監督は、倉高投手をかっている。去る二十七日、入団を発表された倉高新始投手(21)は、平安高から同大に入ったが、家庭の事情でことし五月に中退、ノンプロ辻和商店を経て、この度、大毎と契約したものである。「入団するまでの約三か月ボールを握らなかったので、いまはランニングと体操を主にやっています。まだなにもわかりませんが、大毎はすぐれた左投手が多いので、その人たちを手本に頑張ります」という倉高投手を評して、本堂二軍監督は、「まだ六分くらいのできだが、一週間もすれば、カーブも投げられるようになろう。まずゲームになれることが先決問題だが、順調にいけば、秋ごろには一軍に登用されるかもしれない体はあるし、期待できるピッチャーだ」と語っている。
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バール・スノー

2019-11-25 13:46:10 | 日記
1974年

バッキー二世が誕生する。二十日からテストを受けていたヘンナ外人投手、バール・スノー投手(29)=183㌢、85㌔、右投げ、右打ち=の入団が二十六日決まった。二十日、東都初登場のオープン戦(対ヤクルト)の試合前、メッツのウインドブレーカーを着込んだ外人選手がブラリとあらわれ「秘密裏に現役大リーガー獲得か?」と騒がせたのがスノー投手だった。メッツはメッツでもファーム1Aの、アウバーンで8年前に投げたことがあるというだけ。1967年でプロに見切りをつけ、昨年はユタ工大のピッチング・コーチをやっていたという経歴。もっとも、こんな経歴を語ったのは二十三日、大宮市営球場での試合前、フリーバッティングに投げたあと、それまでは何を聞いてもノーコメント。二月、多摩川の自主トレでも英語教師がテスト参加して話題をまきながら不採用になった例もあるし「まったく変な外人」と周囲はアテにしていなかったが、首脳陣は初めから大変な熱の入れよう。「速球が低めにビシビシ集まっている。ろくに練習をしないであれだけ投げられるなんてたいしたもの」と中西監督。バッティングで打った張本も「いいねえ、まあ8割方、決まりでしょう」というほどだから案外、掘り出し物の秘密兵器。輸出入関係のプロモーション社員として来日したついでもテスト参加だったが「日本のプロ野球はかなりレベルが高いが、15勝できればボスも喜んでくれるだろう」と相当な自信。投手陣には、不安な首脳陣の期待ももちろん大きい。
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後藤修

2019-11-24 19:57:10 | 日記
1964年

昨年暮れ西鉄ライオンズから自由契約をいい渡され、去就が注目されていた後藤修投手(30)は、このほど阪急との話し合いがまとまり、十五日から西宮球場で行われるトレーニングにテスト生として参加することになった。

昨年十一月三十日、球団から自由契約の宣告をうけた後藤は「中日と広島に紹介してくれ」と申し出たが、中日、広島ともに今シーズンは大物トレードを希望していたので、後藤クラスの投手では交渉がまとまらなかった。たまたま阪急は牧田を中日に出し、左投手は梶本ひとり。さいわい西本監督と若林コーチは毎日オリオンズ時代同じカマのメシを食った間柄で話はとんとん拍子に進んだ。後藤投手が阪急のテストに合格すれば、これで十三年間に八球団を渡り歩くことになる。

阪急・西本監督の話「若林さんから話があったので、さっそく検討してみたが、いちおう十五日からの練習に参加してもらうことにしている。採用するかどうかは練習を見なければわからないが、コンディションのぐあいもあろうから、ある程度の期間を与えてみたい。ワンポイント用とか、人情的なものでテストするのではなく、あくまでピッチングが通用するかどうかだ。ことしの成績を見ると投球イニングのわりに四球が多いが、ボクの見る限りではスピードも死んでいないし、ナックルのコントロールもいい。練習でじっくり見きわめたいと思っている」

後藤投手の話「ボクが左の本格派でありながら大成できなかったのはどんな人の意見でもすぐにピッチングに取り入れてみたからです。その結果、いつまでたっても自分のフォームをつかめなかった。野球には向いていないから他の職業に変えたらといってくれる人もいますが、ボクはいつまでも野球をやりたい。遠投やスピードではまだまだ自信はあります。野球はボクの天職と思っています」
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中前健児

2019-11-24 15:49:31 | 日記
1964年

大毎オリオンズは六日午後一時から大阪・堂島の大映関西支社で中前健児(18)=投手、県立尼崎高定時制ー日本熱学、身長1㍍72、体重64㌔、左投げ左打ち=の入団を発表した。球団からは青木、倉橋(関西駐在)両スカウトが立ち会った。中前投手はノンプロチーム、日本熱学の投手として活躍するかたわら、夜は県立尼崎高定時制に通い、三年間、同校野球部の主柱として活躍していた。左からのストレートのよさが身上。昨夏の高校野球兵庫県予選では準々決勝まで進んだが、県代表になった市立西宮に惜敗した。県尼崎では投手で4番を打ち、40勝3敗、打率3割8分、日本熱学では3勝1敗で、強チーム住友金属を破るなどかなりの実績をあげた。なお同投手は九日大阪をたち、十日から大毎の練習に参加する。

大毎・青木スカウトの話 「中前君は昼は会社、夜は高校に通うという変わりダネだが、左投手としてよい素質をもっている。打撃もいいが、ウチは投手としてやってもらうつもりだ。これで左投手の新人が、竜、江口、中前と三人そろったので新人補強の目標は達したと思う」

中前投手の話「自分の力をためしてみたい。武器はストレートとコントロールです。バッティングも好きなので魅力だが、大毎では投手でがんばりたい」
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堺崇展

2019-11-24 14:05:49 | 日記

1964年

東映の藤村打撃コーチが「あんな大きな体格をしおって、四年間どうしとったんや。なんとか一人前にせなアカン」と伊東キャンプで目をつけている選手。それは入団五年目をむかえた1㍍81、57㌔の内野手、堺崇展だ。一日まで東映を指導したドジャースのリーザーコーチは根性を強調して帰った。いまの堺は、なにかというとニヤニヤしている。安藤順、張本などから「こら、笑うな、しゃんとやれ」としかられる。本人が、つい無意識で顔にだすクセも、周囲からみるとタルんでいるようにみえるらしい。成長を願う先輩のきついことばのなかで、堺は日一日と進歩している。「ほら、スタンスがもとどおりになっとる。ちょっと目をはなすと、すぐ悪いくせをだしおる。そうだ、そのいまの調子。忘れるなヨ」バックネット前のティーバッティングの練習で藤村コーチは、堺につきっきりだ。手をとり、足をとるように教える藤村コーチ。すなおにうなずき、スイングをくりかえす堺。この師弟風景は、いまや伊東キャンプで欠くことのできないものになっている。「藤村さんから、打つときに左足の踏みだしを注意されました。これまでボクは、スタンスを広くして、ほとんどそのままで打っていたんです。いまはせまくして前に体重を移すことと、そのときのバットとボールのミートポイントをつかむのに懸命です」堺は、このひるの練習を終えると、こんどはよるの練習をはじめる。宿舎の「伊東スタジアムホテル」の玄関前の広場は、ときおり聞こえる自動車のエンジンの音以外はシンと静まりかえっている。夕食後、堺は同僚の是久、白と三人、バットを片手にこの静かな広場にでる。くらやみから「ピュッピュッ」と聞こえるから振りの音。「ボクは入団してから素振りの練習などしたことがなkったんです。藤村さんにいわれてはじめたことですが、いまでは、なぜ前からやらなかったんだろうと後悔しているくらいです。ほら、マメもこんなにできたのは、はじめてですヨ」堺の手は、左といわず、右といわずマメだらけ。ユビの関節すべてにできているようだ。堺はことし、旧名の一也を崇展(むねのり)に改めた。「べつに意味はない」というが、心機一転を期す九州男児の意気込みのあらわれではなかろうか。大分県佐伯市の「大入島中学」時代は水泳をやっていたという。島は小舟で五分くらいのところだが、よく同級生と泳いで渡ったそうだ。このころの堺は万能選手だった。NHKの全国中学校放送陸上では三段とびで12㍍いくらかをとんで県下第二位。そして平泳ぎのオリンピック候補選手松本健次郎選手の出身校、水泳の名門、佐伯鶴城高校へ。ここで水泳部の勧誘を断って野球部入り。三塁手、四番打者として活躍した。「あのころの方が、ボールを前で当てていただけですが、よく打てていたようです。考えてみれば、もう東映にはいって五年目でしょう。一軍のベンチにはいれたのは入団した年に二度だけ。公式戦にはいちども出場していないんですからネ。今シーズンはなんとかしなくちゃあ」練習のときは、やかましくいわれる笑顔も、このときだけは文句のないものだった。
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原田秀行

2019-11-24 13:47:08 | 日記
1964年

南海の原田投手(柳井商)は新人のなかで一番の変わり種。一家そろって新興宗教の熱心な信者。高校時代、肩が痛むと学校のマウンドで正座、神に祈ったところぴたりとなおったという。五日のピッチング練習でも各投手が60球ぐらいしか投げないのに原田の投げた球は300球。「神さまからもういいというお告げがあるまで投げる」といった調子。投げ終わった原田が顔をしかめて右肩をもんでいるのを見た柚木コーチが「肩が痛かったら医者に診てもらえ、神さんは肩をなおしてくれないぞ」というと、同投手は「ぼくは神を信じています」
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平野克明

2019-11-24 13:23:01 | 日記
1963年

プロ野球大洋ホエールズから入団を勧誘されていた全電化のエース平野克明投手(21)の大洋入りが本決まりとなり、今月中旬ごろ契約する運びとなった。県内からのプロ野球選手には過去に高頭(阪急)馬場(巨人)鈴木(同)杉本(同)それに大毎の長谷川らがいるが、全電化からのプロ入りはこれが初めてである。平野投手は中頚柿崎町柿崎の出身で三十五年県立柏崎工業高校卒業後ただちに電化青海工場に入社、全電化野球部の投手として昨年あたりからめきめき腕を上げている。ことしの都市対抗ではエースとして県予選でノーヒットノーランを演じたほか、六試合連続無失点の記録を立て、富山市で開かれた第二次予選で大洋湊谷スカウトの目にとまった。その後同球団保井スカウト部長、入谷ピッチングコーチらが電化を再三訪れて勧誘、十一月二十六日と二十九日の両日森代表が東京で電化野球部長の水野副社長らと会って正式に決まった。平野投手は身長1㍍75、体重66㌔、右投げ右打ちの本格派投手で外角の速球とシュートが武器。

全電化野村監督の話 うちとしては惜しい選手を失うので痛いが、来年の補強は着々と進んでいる。平野君には全電化出身の選手として力いっぱいの活躍をしてほしいと期待している。
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ボブ・マクドナルド

2019-11-23 22:59:05 | 日記
1997年

わずか7試合の出場で退団してしまったグリーンウェル。阪神に限らず日本の球団は、すぐに新戦力を外国人選手に求めようとするが、どうも最近の阪神は外国人選手運が悪いようだ。入団テストを受けるためにやってきたボブ・マクドナルド投手(元メッツ)も、満場一致で採用されるには、かなりの力不足であるのは否めない。12日に初練習を行ったマクドナルドは、時差ボケもあって午前5時に起床テスト生という気負いも手伝って、西宮市の鳴尾浜球場には予定の正午より30分も早く姿を見せた。早速、ダッシュやキャッチボールで体をほぐすと迷わずブルペンに足を向けた。マクドナルドは左腕のスリークォーター。しかし190㌢の長身から投げ下ろすため、角度はなかなか鋭く、ナチュラルに変化するストレートに加え、カーブ、落ちるスライダー、さらにチェンジアップと多彩な球種を披露した。メジャー通算6年で8勝9敗3セーブという実績はさほどではないが、2度プレーオフを経験しているなど、日本での活躍を期待できるキャリアは持っている。「時差ボケはある。でも調子は悪くないし、初日にしては思ったより投げられた」と本人もまずまずの手応えを感じていた。そして、吉田監督らのチーム首脳が立ち会ってのテストは15、16日に行われた。「なんとか投手陣を強化したい」と祈るような気持ちの首脳陣の前で、マクドナルドは58球を投じた。本人の意欲はわかるのだが、下半身をあまり使わない、上体だけのいかにも外国人らしいフォームから繰り出されたボールのMAXスピードはわずかに135㌔。「140㌔は出ると聞いていたのに…。抑えじゃ厳しいかな」と一枝ヘッドコーチも期待外れの表情は隠せない。翌日のテストでも、MAVスピードを2㌔上乗せしてみたが、それでも137㌔では説得力に欠けている。ヒジの使い方に独特のものがあり、コントロールはよく、打者がタイミングが取りにくそうだが、迫力に欠けるのは確か。吉田監督も「現場だけで(採否を)決められる問題ではない」と言葉をにごし、気乗り薄の様子。「合格」となっても、G砲のように高額な年棒は必要ないが、「活躍もそれほど期待できない」というのが首脳陣の正直な評価だろう。
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笠原栄一

2019-11-12 20:46:48 | 日記
1984年

ロッテが1位指名した佐波農・笠原栄一投手(18)=185㌢、74㌔、右投右打=の入団が二十一日、内定した。三宅スカウト部長、得津スカウトは同日、群馬・伊勢崎市の佐波農を訪れ、指名のあいさつをしたのち、市内田中町の笠原家で第一回目の入団交渉を行った。父親・昭義さん(48)、母親・睦子さん(45)が同席し、約一時間の話し合いで笠原は入団を快諾、次回交渉(26日)で仮契約することになった。荒馬と評判をとったピッチングから想像もつかない、185㌢もある大きな体を縮めて細々とロッテ笠原の第一声だ。「ピッチャーだし、すぐに一軍というわけには…。一年くらいは二軍で頑張るつもり…」将来のエースにしては少々物足りない気がしないでもないが、佐波農の大須賀監督が言う。「冬の練習は半分近く欠席するし、目を離したらすぐさぼる。これまで指導らしい指導は何もしていないので、野球を一から教えてやってほしい」とロッテ側に頼み込んだ。素材だけでノーヒットノーランを三回記録。バレーのボールさえ包み込んでしまいそうな21.5㌢もある手のひらを見て、三宅スカウト部長はその期待を「プロでちゃんと鍛えたら、どんなすごい投手になるやら恐ろしいくらい」と表現した。おとなしかった笠原が初めて生き生きとした表情を見せたのは、あこがれ神様・稲尾の名を聞いたときだ。「フォークを覚えて、ピッチングのかけひきを教わりたい」。稲尾監督もまた「ヒジの柔らかさ、球の速さ、それに江本(元阪神)のように、球の出どころがわかりにくいという好投手の条件を備えている」と対面を心待ちにしている。
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