プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

今関勝

2021-07-17 23:35:44 | 日記

1996年

最後の打者を直球で空振り三振に仕留めると、激しくガッツポーズをした。三塁を踏ませぬ好投で、プロ入り初完封を決めた。一回、イチローに中前安打を打たれ、すかさず盗塁を決められた。浮足立つ場面だが、「まだ初回だ」と気持ちを入れ替える。切れのある直球で、後続を三連続空振り三振に打ち取った。今年から覚えたチェンジアップと緩いカーブを見せ球に使い、勝負球は直球で押した。球速は137、8㌔とさほど速くはないが、球離れが遅く、タイミングが取りにくい。球質も重く、ことごとくつまらせた。ローテーション入りが期待されていたが、9試合目の十三日のロッテ戦まで、登板機会がなかった。首脳陣が、昨年、防御率2点台と相性が良かったロッテとオリックス戦から投げさせて調子付かせようと考えたからだ。その、思いやりの起用法に、2連勝という結果でこたえた。「今年は、気持ちの揺れとフォームの両方の安定に心掛けている」昨年からトレードマークとなっていたスキンヘッドはやめ、髪の毛を伸ばし始めた。外見で目立つのではなく、成績で目立つように、だ。

首位攻防戦の第1ラウンドを、その右腕で制して見せた。プロ二度目の無四球完封試合でもある。「後ろの投手がしっかりしているし、自分が行けるところまで行くことしか考えていない」ツキもあった。一回二死一塁。クラークの右中間を破った打球が、ワンバウンドしてフェンスを越えた。エンタイトル二塁打に救われて、同店を免れている。しかし、ひやりとさせたのはその回だけだ。「例えばスライダーを狙われていても打たれない。ぐっと曲がったり、大きく曲がったり、切れ味の違う二種類の変化球があるようだった」と捕手の野口が目を丸くした。球数わずか96球。一昨年は自己最多の11勝を稼いだが、昨季は1勝どまり。今季も開幕一軍に漏れた。プロ六年目の二十七歳。慢心がなかったとはいえない。「今関を変えたのは危機感だろう」そう上田監督は見ている。初の無四球完封試合は一昨年の65試合目だった。そしてこの夜も今季65試合目。「偶然でしょう」と、かすかに笑った今関の復活で、日本ハムは手薄だった先発陣のコマがそろった。

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望月一

2021-07-15 23:48:54 | 日記

1986年

4位指名の望月一投手(静岡高)は親子そろっての広島ファン。小学生のころ、父親の麗二朗さん(49)=タクシー運転手=に連れられてカープの試合をよく見に出かけたという。意中の球団とあって、「とてもうれしい。指名順位にも満足している」と、素直に喜んだ。NTT東海へ就職が内定しているためか、「プロ入りは五分五分」としながらも、144㌔(本人の話)の速球に、「プロでもやれる」と、自信をほのめかせた。「周囲に迷惑をかけてもいけないので今週中には自分で決めます」と、歯切れよく話した。

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斉藤学

2021-07-07 14:21:43 | 日記

1985年

青学大、大学球界を代表する下手投げ。伸びのある速球に加え、両サイドを突くシンカーに威力がある。東部大学リーグで通算15勝10敗。丁寧な投球と、タフネスぶりは定評がある。下妻一高出、176㌢、73㌔、右投げ、右打ち。22歳。

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花島寛己

2021-07-05 13:51:06 | 日記
 
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アキラ

2021-07-04 15:45:08 | 日記

1997年

同じ調布リトルの出身、憧れのアラキ(荒木大輔氏)の「1」を背負うアキラ。高2夏甲子園2回戦、3年夏1回戦「ストレート(MAX144キロ)とカーブで三振を取れる投手に」

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橋口敏英

2021-07-04 13:55:34 | 日記

1980年

ドラフト外、契約金2000万、長身から投げおろす速球と、シュートが武器。九州の高校球界では、一、二を争う好投手といわれた。29センチのスパイクをはく。広島、西武と三つ巴の獲得競争だった。2、3年先の一軍入りが目標。

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中条善伸

2021-07-04 12:55:14 | 日記

1981年

4度の甲子園出場を果たした東北の星。ノーコン病に泣いたが、最後の三年夏に真価をみせた。ややスリークォーター気味にでる腕からの速球にはナチュラル・シュートがかかる。「おもしろい球を投げる。まず中継ぎで使いたい」と国松二軍監督。 最近の投手には珍しく小柄。本人もカラダのないことを知っており、「速球よりも変化球。打者心理の勉強が必要」と頭脳派宣言。粘り強い性格。貴重な左腕。活躍の機会は意外と早いだろう。

1982年

昨年のルーキーでは一番速く試合に出場。敗戦処理、中継ぎという使われ方をされながらゲームに慣らし、待望のプロ初勝利もマーク。小柄で、スピードボールこそないが、ナチュラルシュートする球はなかなか打ちづらい。高校時代、甲子園のヒノキ舞台を何度も経験しており、マウンド度胸はなかなか。カーブにキレが出始め、課題とされているコントロールが身につけば勝ち星も増える。今季は貴重な左腕として、先発にもまわる。

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渡辺政仁

2021-07-04 12:51:59 | 日記

1986年

大型左腕の渡辺政仁投手(18)は、数年後には巨人のマウンドを背負って立つ一人と期待の大きなルーキーである。大阪・北陽高出身のドラフト三位。1㍍84㌢の長身から投げおろす快速球で、高校球界有数の左腕投手と評判だった。一試合のうち、7割近くは真っすぐで押す本格派。三年生のとき、完投した17試合のうち、二ケタ三振を奪ったのが十二度もあった。担当の伊藤菊雄スカウトは「左腕で、スピードボールが何より魅力。高校出にしては、体もできている方だし、コントロールさえよくなれば、簡単に2ケタ勝利を挙げられる素材」とホレ込んでいる。「同じ左腕で、高校の先輩でもある広島の高木さんのように、キレのある球を投げるピッチャーになりたい」という渡辺。一軍入りの目標はズバリ「三年目」今年は、下半身を鍛える為、「徹底して走り込む」考えだ。

ドラフト3位、契約金3000万。北陽高先輩の高木(広島)に似たタイプ。昨年めきめき頭角を現し、伊都高戦では21奪三振をマークした。昨年は2ケタ奪三振が12度もあった。左腕なので、なんとか早く一人前にしたい投手だ。打力もよい。

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山岡勝

2021-07-04 09:48:07 | 日記

1991年

出どころがわかりにくい変則フォーム、そして独特のカーブが身上だ。若手の台頭はあるものの、ベテランの味を発揮して今年こそ、一軍復帰したい。12月で三十路へ突入するが、まだまだ老け込む年齢ではない。

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西尾亨

2021-07-04 09:24:17 | 日記

1980年

一昨年秋の明治神宮大会の準優勝投手。68㌔の軽量でオリーブと呼ばれ、腹筋、背筋がまだまだ弱い。だが、いったんボールを握れば素質は抜群、切れのいい球に「筋力トレーニングでバタバタやってる西尾と同一人物とは思えない」と伊藤コーチが笑う。高校(市神港高)時代の通算は練習試合を含め80勝。三年時の防御率は0.91。基礎体力をつけて、二、三年後に一軍を。

ドラフト外、契約金1500万、速球を武器とする本格派、カーブの切れもよく、高校時代に80勝もしている。

1981年

ひょろり細長い体。どこかのワルい担当記者のつけたあだ名が「オリーブ」そう、ポパイの愛人オリーブ・オイル。だがこのオリーブ、いまや北野と並びファームのエース格。ストレートにみがきがかかり、低めへのコントロールもバッチリ。「ものにしたい」といっていたカーブも、どうにか曲がるようになり、ストレートが生きるようになった。バックの援護があれば、目標の5勝も夢ではない。あとはただ、下半身に肉がほしい。

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広政秀之

2021-07-04 09:03:35 | 日記

1989年

草野球からプロの世界へ飛び込んだ変わり種。プロ入りのため、元巨人・松田清さんの野球塾へも通った。努力家が軟球を硬球に持ち変え、勝負を賭ける。「真っすぐで押す!」

ドラフト外、契約金1200万。中学時代はバスケット部、高校入学後、野球部入り、大学2年のときに中退、会社勤めをしながら、草野球のエースとして楽しんだ。昨秋近鉄のテストを受けて合格。150キロの速球というが。

1990年

草野球のエースからプロのマウンドを目指したが、その壁の厚さに跳ね返されてしまった。しかし「変わり種を売り物にしたくない」と言い切る根性はなかなかのもの。自慢のストレートに磨きをかけて一軍だ。

1991年

マウンド度胸は誰にも負けない自負がある。草野球からプロを目指した男には夢がある。下半身を強化して速球勝負!コツコツ地固めしてきた。もうファームはこれまで、一軍あるのみ。草魂男が豪快に跳ぶ!!

1992年

これまではのんびりした性格が災いしてきた感がある。昨年12月に結婚して、今年は公私ともに心機一転。年齢的にも勝負の年になりそうだ。まずはしっかり走り込んで下半身のパワーアップを。

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在原昭彦

2021-07-04 08:38:31 | 日記

1980年

伯父さんの在原兵次氏が、元外野手で大洋に在籍したことがある血統の持ち主。今シーズンはファーム投手陣の調整役としてブルペンで努力し、目標は練習生から支配下選手登録だ。「早く投手陣のクセをマスターしてがんばりたい」と胸を張る。

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北戸忠

2021-07-04 08:36:17 | 日記

1979年

長崎の後輩にあたる名門北陽(大阪)の出身。大阪地区ではちょっと知られた左腕。関西地区担当の高松スカウトが「今すぐとはいかないが、3年間じっくり育てたら面白い存在になる」と熱心に大洋入りを勧め、くどきおとした。3年後の左腕エースを狙う。

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亮寛

2021-07-04 08:33:36 | 日記

2002年

プロ入りから4年、ようやく自分の目指すスタイルをつかみ取った。切れのあるストレートとスライダー、さらにはシュートを駆使して低めへのコントロールで勝負する。助走期間はそろそろ終了。今季は一軍デビューも視野に入れたい。

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黒沢修

2021-07-03 21:48:33 | 日記

1980年

山形県の農協職員からプロ入りした異色選手。愛車(セリカ)を買ってドライブを楽しむ半面、竹久夢二の絵を鑑賞する趣味の持ち主。顔が長いことでメガネ黒馬のニックネームを頂戴。「3年間で一軍に上がること」が目標だが、東北人特有の粘りは楽しみ。

1981年

山形商時代は硬式。その後、山形県農協経済連で軟式を四年間やり、テストで入団した変わり種。なかなか切れのいいボールを投げるが、一軍となるとまだまだ。大洋には松原(巨人へ移籍)高木嘉とテスト生からレギュラーをつかんだ選手が多く、黒沢にとっても励みになっているはずだ。昨年の11試合を上回るゲーム登板を目指す。

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