1964年
安芸高野球部のエースとして活躍、ことし春の選抜野球大会にも出場した同校三年生、門谷昭投手(17)=高知市天神町=は、セ・リーグ広島カープから入団交渉があっていたが、このほどほぼ内定したもよう。高石安芸高校長に広島球団からさきごろ「十一月から十二月の間の適当な時期に一週間ばかり練習にこい」との連絡があった。同校長は就職試験を受けに行くという名目で許可したという。なお門谷の広島入りについて、広島球団では「大体決まっているが、正式発表は八日ごろにしたい」と話している。門谷昭君は今後、安芸高が甲子園へ出場したときの主戦投手として活躍した。身長171㌢、体重70㌔とからだは大きくないが、左腕からの角度の大きく落ちるカーブには定評があった。また打者としても三番を打ち、得点源になっていた。日ごろの同君はいたっておとなしく無口の方だ。成績もよくいったんプレートに上ると無類のファイトを燃やし、投げまくる。昨秋の四国大会では海南の尾崎と延長十四回を投げ合い、とうとう投げ勝った。この強い精神力はプロ生活にも通用するだろう。家は高知市天神町にあり、野球をするため安芸高へ入学し、現在安芸市内で下宿している。
門谷昭君の話 大学へ進学したいと思っていたが、恩人の溝渕さん(現高知高監督)や小谷監督らに相談してみた。だが結局自分の将来のことなので、いま大阪へ行っている母が帰ってきてからよく話し合い、最終的にはっきり決めたいと思っている。
高石安芸高校長の話 二、三週間前「広島から話があるので入団したい」と門谷君から直接相談を受けた。このとき門谷君は体が小さいという自分のハンディもじゅうぶん自覚し、根性でこの欠点をカバーし、プロ球界で活躍したい、と、堅い決意をみせていたので、「その覚悟でいるなら、初心を貫け」と激励しておいた。
小谷監督の話 門谷君は進学希望ということだった。十月初めごろ退部届がでたので、理由を聞くと「プロにでも行こうかと思っている。学校の方へこのために迷惑をかけてもいけないので」ということだった。本人の意思だから承認した。広島カープの話も相談を受けたが、私は全然タッチしていない。自分の将来のことだから自分でよく考えるようにと話しておいた。
安芸高野球部のエースとして活躍、ことし春の選抜野球大会にも出場した同校三年生、門谷昭投手(17)=高知市天神町=は、セ・リーグ広島カープから入団交渉があっていたが、このほどほぼ内定したもよう。高石安芸高校長に広島球団からさきごろ「十一月から十二月の間の適当な時期に一週間ばかり練習にこい」との連絡があった。同校長は就職試験を受けに行くという名目で許可したという。なお門谷の広島入りについて、広島球団では「大体決まっているが、正式発表は八日ごろにしたい」と話している。門谷昭君は今後、安芸高が甲子園へ出場したときの主戦投手として活躍した。身長171㌢、体重70㌔とからだは大きくないが、左腕からの角度の大きく落ちるカーブには定評があった。また打者としても三番を打ち、得点源になっていた。日ごろの同君はいたっておとなしく無口の方だ。成績もよくいったんプレートに上ると無類のファイトを燃やし、投げまくる。昨秋の四国大会では海南の尾崎と延長十四回を投げ合い、とうとう投げ勝った。この強い精神力はプロ生活にも通用するだろう。家は高知市天神町にあり、野球をするため安芸高へ入学し、現在安芸市内で下宿している。
門谷昭君の話 大学へ進学したいと思っていたが、恩人の溝渕さん(現高知高監督)や小谷監督らに相談してみた。だが結局自分の将来のことなので、いま大阪へ行っている母が帰ってきてからよく話し合い、最終的にはっきり決めたいと思っている。
高石安芸高校長の話 二、三週間前「広島から話があるので入団したい」と門谷君から直接相談を受けた。このとき門谷君は体が小さいという自分のハンディもじゅうぶん自覚し、根性でこの欠点をカバーし、プロ球界で活躍したい、と、堅い決意をみせていたので、「その覚悟でいるなら、初心を貫け」と激励しておいた。
小谷監督の話 門谷君は進学希望ということだった。十月初めごろ退部届がでたので、理由を聞くと「プロにでも行こうかと思っている。学校の方へこのために迷惑をかけてもいけないので」ということだった。本人の意思だから承認した。広島カープの話も相談を受けたが、私は全然タッチしていない。自分の将来のことだから自分でよく考えるようにと話しておいた。