忘れ物

2006年02月27日 | 健康・病気
 Aくんが真っ赤になり今にも泣きそうな顔をしている。
「送迎が出るよ。Aくん早くしな」
 そう私がいったばかりだ。作業所の時計は4時を回っていた。今日は久しぶ
りに早く作業が終わっていた。
「緑の手帳と財布の入ったバッグがないんです」
 緑の手帳とは、知的障害者手帳だ。ちなみに身体障害者は赤の手帳です。
 私はケース記録を書く手を止めて、Aくんのリュックの中を見た。失禁した
ときのための下着、ズボン、シャツにタオルが2、3枚、ジャンバーやお茶と
コーヒーのペットボトルが3本、缶コーヒー1本が入っていた。
「バッグはどこに置いたの?」
しばらく考えていたAくん。
「そうだ、朝、送迎の中に忘れてきたんだ」
(これだけいうのに彼の場合、3分ほどかかります。「そ・う・だーあさ…、
そう、げ、い~、のー、 な、な、な・なかに~、わす、れ、てーき…たんだ」
こういう感じです)
 といって嬉しそうに出て行った。
 私は送迎車の運転手のSさんに目で挨拶して送迎車を見送った。

 1日の活動日誌を書いているとき電話が鳴った。所沢駅の西武バス営業所か
らだった。
「そちらに**Aさんという人は働いていますか?」
 あ、また何かあったんだ、と私は思った。
「財布を作業所に忘れてバスに乗れないといっているんです」
 電話を本人に替わってもらった。
 結局、バッグは送迎車の中にはなかったらしい。Aくんは、バッグがないと
バスに乗れないし作業所に戻って探したいという。
「作業所にどうやって来るの?」
「Oさんに迎えに来て欲しいんです」
 私はまいった。今日はなんとしても、これまで忙しくて書けなかったケース
記録をちゃんと書こうと決めていたのだ。そして、先週忙しくて行けなかった
整形外科にどうしても行こうと考えていた。腰が痛くて我慢できないのです。
 自宅に電話をした。お母さんがいたら迎えに行ってもらおうと思った。しか
し、3回かけたが出てくれなかった。
 とりあえず施設長に電話をした。このことを報告しておかなくてはいけない。
ところが1メートル先から呼び出し音がする。なんと施設長の携帯電話があっ
た。携帯電話は携帯していてもらわないと携帯電話じゃない。

 私は車を走らせた。40分ほどして所沢駅に着くとバス停にAくんがいた。
ダウン症独特の丸く太った彼の姿を見て、私は胸が熱くなった。なんといって
も今現在、この地球上でおれを待っているのはこいつだけなんだ、と思った。
息子でも女房でもない。駅前の雑踏の中、心細い気持ちで私を待ち続けてくれ
るのは37歳になるAくんだけなんです。
 私は車を停め、ハザードをつけバス停まで駆けていった。

 バッグは無事、作業所で見つかった。
 私はそれから彼の自宅まで送って行きました。
 ケース記録も書けなかった。整形外科にも行けなかった(19時までしかや
ってない)。腰痛がつらい。
 でも、こういう苦労をAくんのお母さんはずーとしてきているはずだ。そう
想像すると気が遠くなる思いがした。
コメント
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