体罰に思う

2013年01月31日 | 健康・病気

大阪市立桜宮高校の男子生徒が自殺したことや、
女子柔道暴力告発問題などで、体罰が問題になっている。
私が高校生のときの話をします。

私は、吹奏楽部に所属していた。
運動部のようなキツイ体罰はなかったが、
私が2年のときの吹奏楽部では、何かというと先輩に正座をさせられた。
練習を休む者が多いときとか、練習の始まる時間に遅れた者がいたときとか、
3年生以外全員が正座をさせたられた。
3年生にも練習に来ない人もいたのに…。
私は正座させられながら、はらわたが煮えくりかえっていた。
3年、2年、1年が話すときの言葉遣いにもうるさかった。
気楽に話すと怒られた。
そんな3年生が3学期、吹奏楽部を卒業していった。
そのあとみんなの推薦で私が部長にさせられた。
私は部長なんてやりたくなかったが、断れなくやるしかなかった。
私が部長になってまず最初にやったことは、
1年も2年も3年もない、みんな同じ吹奏楽部の仲間だということでした。
私のことを後輩も「キューさん」と呼ぶようになった。
私の本名が「久」でみんながそう呼んでいたからです。
練習時間には遅れない、練習は休まない、などルールは守るようにはいっていた。
だけどそれをやぶったからといって正座などはさせなかった。
遅れてくる人には一対一で話して納得してもらった。

私が3年になったときに新しい顧問の先生が来てくれた。
大学を卒業したばかりの先生だった。
大学では吹奏楽部でフルートを吹いていて、茨城交響楽団にも所属していた。
先生の指導は魅力的だった。
中学生から吹奏楽部をやってきた私にとって、画期的な指導をしてくれた。
合宿には、先生の大学の後輩が4・5人指導に来てくれた。
練習は厳しかったが、休憩時間の話が面白かった。
エッチな話も人生論もしてくれた。
吹奏楽部の雰囲気は最高に楽しくなった。
そんなこともあり、高校になって初めて出場した夏の吹奏楽コンクールには銅賞に選ばれた。
私は中学のときにコンクールに出ていたが、それが初めての受賞だった。

私は体罰は絶対してはいけないと思う。
体罰で悪い行いを直そうとか、技術を向上させようというのは間違っている。
吹奏楽部の雰囲気が良くなれば、練習を休まないし、遅れない。
部員同士が仲良くなれば、一所懸命練習に励むし、互いに切磋琢磨して技術も向上する。
その結果、素晴らしいハーモニーが生まれ、いい演奏が出来る。
私が高校3年のときがそうだった。
ところが、私たちが卒業して1つ下の後輩たちが3年になったときに、
また何かあると正座をさせるようになったらしい。
私たちと楽しい1年間を過ごしたのに、なぜあいつらは戻ってしまったのだろう?
もう一度書きます。
体罰は絶対してはいけない。

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1月の九想話

1/1   迎春
1/3   筑波山
1/4   久しぶりのウォーキング              雪道や浅間を連れてウォーキング
1/5   同窓会                        それぞれの心の高さ同窓会
1/6   えいちゃん
1/7   えいちゃん 2                    年明くる一杯呑んでばかになる
1/8   えいちゃん 3
1/9  えいちゃん 4
1/10  夕暮れの湯
1/11  とんぼ
1/13  ウォーキングの途中
1/14  雪道4時間
1/15  12月の句会の結果                     生き下手を直し切れずに年暮るる
1/16  女房がいる休日           
1/17  雪ふとん
1/18  芥川賞・直木賞
1/19  水に流して
1/20  カメラ青年J
1/21  メモリーカード
1/23  ライブ前練習
1/24  ウルバンバの流れ
1/24  万里の河
1/24  ひまわり
1/25  タブレット端末 1
1/26  ライブ・イン・パンカーラ
1/27  第12回わいわいがやがやコンサート
1/28  冬の一日
1/29  タブレット端末 2
1/30  レ・ミゼラブル                   寒つづくこの町に来て老いてゆく
1/31  体罰に思う                              それなりに燃やしつづけた夢凍る

コメント (2)
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