今、「俳句的生活」(長谷川櫂著 中公新書)読んでいる。
「第二章 生かす」で下記の俳句が出てきた。
「第二章 生かす」で下記の俳句が出てきた。
わせの香や分け入る右は有そ海 芭 蕉
この句は、私がこの夏に富山に行ったときに、出会った句碑に書いてあった句です。
この句を最初に見たときにはそれほどいい句とは思わなかった。
しかし、長谷川櫂の文章を読んで考えが変わった。
しかし、長谷川櫂の文章を読んで考えが変わった。
この句は「わせの香に分け入る右は有そ海」といっているのと同じに聞こえるかもしれな
いが、「わせの香や」と「わせの香に」とでは「わせの香」という言葉の働きが異なる。
「わせの香に」というと、「わせの香」という言葉は「わせの香に分け入るその右には有そ
海が見える」という散文の部品の一つにすぎない。早稲の香りを示す記号として使われてい
る。これに対して「わせの香や」としてここでいったん切ると、この「わせの香」という言
葉は「分け入る右は有そ海」と切り離され、早稲の香りを示す単なる記号であることをやめ
て早稲の香りそのものを表わす生きた言葉に生まれ変わる。
(略)
「や」という切れ字で「わせの香に分け入る右は有そ海」という散文を二つに切り意味の連
鎖を断ち切ることによって、早稲の香りを示す記号にすぎなかった「わせの香」という言葉
が血も肉もある言葉に変わる。言葉の中身が意味からまさに風味へと変容しているわけであ
る。
(「俳句的生活」 第二章 生かす )
いが、「わせの香や」と「わせの香に」とでは「わせの香」という言葉の働きが異なる。
「わせの香に」というと、「わせの香」という言葉は「わせの香に分け入るその右には有そ
海が見える」という散文の部品の一つにすぎない。早稲の香りを示す記号として使われてい
る。これに対して「わせの香や」としてここでいったん切ると、この「わせの香」という言
葉は「分け入る右は有そ海」と切り離され、早稲の香りを示す単なる記号であることをやめ
て早稲の香りそのものを表わす生きた言葉に生まれ変わる。
(略)
「や」という切れ字で「わせの香に分け入る右は有そ海」という散文を二つに切り意味の連
鎖を断ち切ることによって、早稲の香りを示す記号にすぎなかった「わせの香」という言葉
が血も肉もある言葉に変わる。言葉の中身が意味からまさに風味へと変容しているわけであ
る。
(「俳句的生活」 第二章 生かす )
正直なところ、私は俳句の「切れ」ということをあまりよくわかっていなかった。
そんな私が俳句を作ってきたのですから恥ずかしいです。
もっと俳句のことを勉強しなくてはと反省しています。
そんな私が俳句を作ってきたのですから恥ずかしいです。
もっと俳句のことを勉強しなくてはと反省しています。