ジャズギター

2008年02月11日 | 健康・病気
昨夜のラジオ深夜便の2時台〔ロマンチックコンサート〕は、
「エンジョイ・ジャズ:ジャズ・ギターで聴くスタンダード」だった。
私は、外に立って聴いていた。
寒かった。

ジョー・パス、ジャンゴ・ラインハルト、ジム・ホール、
ケニー・バレル etc
世間は寝静まっていて、人っ子一人も通らない。
そんな中、粗末なイヤフォーンから流れてくるジャズギター。

明石勇アンカーの解説がいい。
ジャズに対する想いが伝わる。
この人は、ほんとうにジャズを愛しているんだなと思う。
大学時代、名門ビッグバンド
「慶應ライトミュージックソサエティ」に所属していた。

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読書のこと

2008年02月10日 | 健康・病気
昨日、20歳ぐらいまで
読書習慣がないと書きましたが、
まったく本を読まなかったわけではないです。
子どものとき家に本はなく、
1日10円の小遣いでは本は買えなかった。
それで小学校の図書館で本を借りて読んだ。

覚えているのは確か
「ターザン物語」とか「ジャングルブック」という本です。
「シートン動物記」と「ファーブル昆虫記」は
全巻読んだ。

中学生のときは、
夏休みの宿題の読書感想文を書くために、
「伊豆の踊り子」「車輪の下」を読みました。

高校生のときは、
読書感想文のコンクールがあり、
それを書くために、
立原正秋の「冬の旅」を読んだ。
兄が買って読んでいたのを借りて読んだんです。
テレビドラマでやっていた原作でした。
この感想文は、コンクールに優勝して
賞状をいただいた。

読んだ本は、こんなもんかな。
あと2、3冊はあったとは思うけど、少ないですね。
もっと読んでおけばよかったな。
読書量の少ないことも、私の劣等感になってます。
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父のこと

2008年02月09日 | 健康・病気
今夜は私の父のことを書こうと思う。
ところが私はあまり父のことを知らない。
高校生まで一緒に暮らしていた父のことは、
それなりに知っているが、
父が生まれてからのことが分からない。
母と結婚してからのことなどを知らない。

今、手元に「荻原家の家系概要」という小冊子がある。
これは父の弟である私の叔父が作ったものだ。
この小冊子のことはまた別に九想話に書きたいと思う。
これによると父は、
1909年(明治42年)3月20日生まれとなっている。
(私は、父が2月生まれと思っていたが、間違っていた)
小冊子に、戸籍謄本のコピーが添付してあるので間違いない。
父は、男が4人、女が8人の12人きょうだいの長男だ。
このうち男2人と女1人が亡くなっている。
父がもし生きていたなら、3月で99歳なんだなと思った。
私は父が42歳のときに生まれたのか、
なんて今ごろしみじみ考えている。
ちなみに私は、6人きょうだいの末っ子です。

戸籍を見ていたら、祖父と祖母の婚姻届けが明治43年になっている。
父は、祖父母の結婚する1年前に生まれている。
これはどういうことなのかな。

私は、父の若い頃のことを何も知らない。
1つだけ聞いているのは、
父が20代の頃、東京の浅草で
タクシーの運転手をしていたということです。
よく吉原あたりで女性を乗せていたと、
子どものときに父から聞いたことがある。
あるときタクシーで事故を起こし田舎に帰ってきたという。
それから茨城で百姓をしてきた。

父は、歌や落語、浪曲、漫才などの芸能が好きだった。
相撲も好きだったな。
私が幼い頃、ラジオからは、いつもそれらが流れていた。
(私の家にテレビがやってきたのは小学4年のときだった)
私が、音楽や落語が好きなのは、この父に似ているからですね。

地域(部○といっていたが、この言葉は使いづらい)で、
父は太鼓を叩いていた。
ギョン(祇園だと思う)では、
てんのん様(御神輿)の後ろで太鼓を叩いて、
地域の所定の場所を巡り回っていた。
旧盆の盆踊りではスターだった。
やぐらの上でいつも唄をうたっていた。
うたうのは、八木節と日光和楽音頭でした。
それに合わせて地域の人々は、「石投げ踊り」や「和楽踊り」を踊った。

このぐらいしか、父のことは知らない。
あとは田や畑や山で仕事をしている父の姿ぐらいしか知らない。
家族で旅行などはしたことはない。

地域で何かの集まり事があったりすると酒を飲んで家に帰ってきた。
飲んで帰ってくると、いつも母をいじめていた。
酒飲みは父ゆずりですが、私は女房をいじめません。
逆に、女房にいじめられている(オオキナ声デハ イエマセンガ)。

父は本などはまったく読まない人でした。
家に本はほとんどなかったな。
私は、そのせいか20歳まで読書の習慣はなかった。

あと、子どものときによく殴られた。
何か私が、父に気にくわないことをするとゲンコツで殴られた。
あれは痛かった。
でも、小学校の5、6年になってからは怒られたことはない。
ほとんど口をきいたこともなかった。
高校3年のブラスバンドの定期演奏会のとき、父が来ていた。
客席の父の姿を印象的に覚えている。

私が初めて双子の息子たちを田舎に連れて行ったとき、
父はうれしそうだった。

父は花が好きだった。
晩年、菊を沢山育てていた。
近所の人に褒められることをよろこんでいた。

父について私が書けることはこれぐらいです。
生きているときに、もっといろんな話を訊いておけばよかった。
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入籍記念日

2008年02月08日 | 健康・病気
昨日、2月7日は私たち夫婦が入籍した日です。
私が26、女房が21歳のときだから、
29年夫婦をやっていることになる。

昨晩、食事のとき義母にそのことを話した。
「だったらもっとごちそうにすればよかったのに」
という。
女房は「これでいいのよ」という。

そうです。
私たち夫婦が今日まで
健康に暮らしてこられただけでいい。
これからも明るくあっけらかんと、
毎日過ごしてゆければいいです。
ありがたいことだと思っています。
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血と骨

2008年02月07日 | 健康・病気
「血と骨」梁石日 (ヤン・ソギル)著 幻冬舎刊 を読み終えた。
朝鮮から大阪に来た凶暴で自分本位な男の話だ。
この小説は、ビートたけし主演で
映画になっていることだけは知っていた。
それ以外のことは何も知らないで、買った本です。
定価2000円だったのが古本市で450円だった。

1368枚の小説は読みごたえのある本だった。
いや~、すさまじい男がいたもんだ。
極道とも平気で喧嘩をし、好きな女は犯し自分のものにする。
戦後、女房の金をもとでに蒲鉾工場を経営し、
貯めた金で金貸しをはじめ、
家族の住む家の近所で妾と一緒に暮らす金俊平。

なんでこんな男の小説を梁石日は書いたのか、と考えながら読んでいた。
そのうちに金俊平は作者の父親なのではないか、と思った。
息子の成漢が東京でタクシーの運転手をしていると書いてあり、
それがわかった。
私は、著者の「タクシードライバー日誌」を読んでいた。
そんなことは、本の腰巻きに書いてあるではないか。
読み終わって今、気がついた。

こんな父親もいる。
「無名」を書いた沢木耕太郎の父親とは天と地ほどの差がある。
おれの親父は…。
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母べえ

2008年02月06日 | 健康・病気
今日は、24時間勤務明けだ。そして水曜日です。
水曜日というのは、パルコの映画館がなぜか1000円だ。
悩みました。「母べえ(かあべえ)」の映画がパルコでやっている。
なにしろ昨日は(って、昨日と今日の区別がつかない)寝ていない。
今日だって寝ていない(いや、6時から8時まで寝てます)。
今朝0時から9時間仕事をして帰ってきたのです。

やっぱり観たかった。
「母べえ」が観たかった。
家に帰り、風呂に入ってから行きました。
駅からの帰りにパルコの横を通って、時間を見てきたのです。
1回目は10時40分開演だった。

でも、正直きつかった。
映画を観ていて眠ってしまったらアホだなと思った。
水曜日なのに、水曜日だからか、観客が多かった。
両側の通路に挟まれた客席はほぼ満席(前列、3列空いていた)、
おれはしょうがない、通路の右側に坐りました。
観客はほとんど、60歳前後という感じでした。

眠たかったのですが、眠くなかった。
すばらしい映画でした。
こういう映画を山田洋次が作るということはすごいことだと考えた。
ストーリーとしては、それほどのことはない。
昭和15年、治安維持法で“父べえ(とうべえ)”が捕まる。
それから、昭和16年12月8日に戦争が始まり、
広島、長崎に原爆が落とされ、昭和20年の8月15日に戦争が終わった。
そして、現在…。

簡単にいってしまうと、これだけだ。
でも、観ている人によっていろいろ心で思い描くことがある映画だ。
空襲とかいろんな悲惨な戦争シーンを映すことはない。
想像豊かな観客は、そんなものがなくても頭に思い描ける。
いつものように映画の詳しいことは書きません。
ぜひ、観て下さい。

檀れいがよかった。
個人的に、ああいう女性好きなんです。


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雪だるま

2008年02月05日 | 健康・病気

立哨しているところに雪だるまがあった。
可愛いお地蔵様のようで、思わず手を合わせてしまった。
マンションに住む小学生の女の子が作ったらしい。
今日は、春のような暖かい日差しで、
夕方にはかなり小さくなってしまったが、
がんばって立っていた。
明日まであるかな。
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サボテンの花

2008年02月04日 | 健康・病気

サボテンの花が咲きました。
年末に女房が、葉っぱの先にある紅い小さな蕾を見つけた。
それを2人で喜んだ。
それがとうとう咲きました。

♪ ほんの小さな出来事に
♪ 愛は傷ついて
♪ 君は部屋を飛び出した
♪ 真冬の空の下に
(詞、曲 財津和夫)

財津和夫が歌にしたサボテンの花はどんな花だったんだろう。
おれが25歳に失恋したとき、この曲を何度も聴いた。

♪ たえまなくふりそそぐ
♪ この雪のように
♪ 君を愛せばよかった

この曲は、1974年に発表された。
おれが22歳のときです。
チューリップは好きなグループだった。


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2008年02月03日 | 健康・病気

今日は、朝から雪が降っている。
先日も少し降ったが、今日のは本降りだ。
何年ぶりだろう。
かなり積もっている。

日曜日なので電車は空いていた。
けっこう通勤の人もいるようだった。

明日は、立春です。
こよみでは春ですね。

写真は、新所沢駅です。
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プロ野球キャンプイン

2008年02月02日 | 健康・病気
プロ野球の春季キャンプが1日、始まりました。
こうやって少しづつプロ野球のことが、
ニュースに出てくると嬉しいです。

テレビに、阪神からオリックスに移籍した
濱中の練習している姿が映った。
私は、阪神の中で濱中が一番好きでした。
さびしいですが、濱中にはオリックスで活躍して欲しい。
清原もいるんですね。
オリックスを応援しようかな。
でも、やっぱり地元のライオンズには勝って欲しいし、
誕生日の同じ今年で最後の王監督のソフトバンクにも肩入れしたい。

ま、12球団、いい試合をして下さい。

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