北軽井沢の夜

2010年06月06日 | 健康・病気
昨夜は、第7回わいわいがやがやコンサートでした。
私は、仕事を終え中軽井沢の家に戻った。
家には女房が待っていた。昨夜高速バスで来ていた。
昨日は、昼休みも休めないほど忙しく、
疲れてしまったので家に帰ってコタツで30分ほど寝た。
できたら昼休みにケーナの練習をしようと考えていたのだが、
それもできなかった。
最終的な演奏をどうしょうというのをやれなかった。
心の中は不安で一杯でした。
家を出たのが6時過ぎ、パンカーラに着いたのが6時50分だった。
群馬県に入ったあたりでデジカメを忘れてきたことに気づいた。
そのことが私はものすごいショックだった。
一日中仕事が忙しく、心をどこかに忘れてしまったようです。
(今回の写真は、携帯電話です。スミマセン )

そんなことをウジウジ思い悩んでいてもしかたないので、
心を切り替えた。
パンカーラの中にはもうすでにみんな揃っているようでした。
私と女房が一番遅かった。
私たちは、冬のときと同じく、六里ヶ原のはぐれ鳥&Hacha Mechaさんご夫婦と
同じテーブルに坐った。
隣のテーブルには、パンつの会の会長さんがいた。
SAY1さんは、私の隣だった。
7時になり、マスターの挨拶でコンサートは始まった。



最初は、OJO DE GATA というグループだった。
三姉妹のバンドということでした。
姉妹で音楽をやれるということは羨ましいなと思った。曲は、
1 FLY ME TO THE MOON
2 WHEN YOU WISH UPON A STAR
3 空も飛べるはず



2番目は、グルーポ・デ・ルスカ。
学校の先生たちのグループだそうです。
素敵な演奏でした。曲は、
1 CONDOR KANKI(コンドル カンキ)
2 DOLOR INDIO(インディオの嘆き)
3 CANTO DE ESPERANZA(希望の歌)
4 MARIPOZITA(小さな蝶々)
最後の曲は、冬のときもそうでしたが、
みんなで大合唱しました。



3番目は、六里ヶ原のはぐれ鳥&Hacha Mechaさんご夫婦。
このようなご夫婦になりたいと思う。曲は、
1 恋心
2 通りゃんせ
1曲目は、ご主人のハーモニカの伴奏で奥様がうたいました。
2曲目は、ご主人のハーモニカソロでした。
ハーモニカを2本持って演奏した。素晴らしかったです。



4番目が、私です。
昨日は、まともに練習していないので吹くことが怖かった。
でも、大きな間違いもなく終わりました。曲は、
1 カチャルパリ
2 花



休憩があって、5番目は、NANBASADAさん、パンつの会の会長です。
ケーナの音がよかったです。曲は、
1 忘却
2 オリャンタイ
3 素焼きの瓶
とプログラムには書いてありますが、演奏したのは2曲のようだったような…。
私も酔っているのでよく覚えていません。



6番目は、アール・クルーという2人組のバンド。
私にとって懐かしい日本のフォークソングをうたった。
曲は、プログラムに書いてあるのとは2曲違っていた。
1 風
2 君の瞳は100万ボルト
3 神田川



7番目は、ARAN SAY1さん。
今回は、主にサンポーニャを吹いてくれた。
ギター・チャランゴの伴奏はマスター。
1 スカボロフェア
2 ベニの浜辺にて
3 カナルバル グランデ



最後は、Mt.BLUE。
ギターと歌の2人組。曲は、
1 トモリ
2 パンカーラ

これで1部が終わり、2部「飛び入り演奏」が始まった。
アール・クルーが、かぐや姫の歌をうたったので私もうたうと、
「こっちにこい」という仕草をしたので私は行ってうたいました。



そのあと私は、ギターを借りて「プカプカ」をうたった。
そしていくつかの飛び入りの人がうたった。
なんと女房が「フラメンコを踊っていいですか?」なんていう。
そして自分でカンテを歌って踊り始めた。
私は、とてもうれしくなった。
楽しい北軽井沢の夜だな、と酔った頭で思った。




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わいわいがやがやコンサート

2010年06月05日 | 健康・病気
みなさんが想像していたように、私は酒に酔いダメです。
午後11時前には家に着きましたが、私も女房も眠たい。
現在、女房はすでに蒲団の中です。
私も、もうそろそろ体を横にしたい。
大変申し訳ありませんが、今日は寝させていただきます。
パンカーラの「わいわいがやがやコンサート」のことは、明日書きます。
おやすみなさい。
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また君に恋してる

2010年06月04日 | 健康・病気



去年のいつごろだろう?
何回となくこの歌をラジオで聴いた。
いい歌だな、と思った。
今はかなり売れているとか。

CDが売れるというより、若い人がダウンロードしているらしい。
時代が変わりましたね。
でも、いい曲がヒットするということは喜ばしい。
最近、こういうことが少なくなっていた。

作詞が松井五郎というので、オォーっと思った。
その昔、安全地帯の作詞をしていた人だ。
そういえば、今年、安全地帯が再結成して活動してるとか。
今週の「SONGS」(水曜日11時からやっているNHKの歌番組)でやっていた。

作曲の森正明という人を知らない。
どういう人なんだろう?
ビリーバンバンと坂本冬美がうたっている動画で、
ギターを弾いている。

やっぱりこの曲は、坂本冬美ですね。
坂本冬美のほうが歌が前に出てくる。
しっとりとした色気がいい。
ビリーバンバンは、BGMにいい、という感じです。

5月に誕生日を迎えた職場の女性に、
私は、坂本冬美のこの歌が入ったアルバムのCDを贈った。
いつもお世話になっているので彼女の喜ぶものは何がいいかなと、
悩み続けてこれに決めた。
「私、このCD買おうと思っていたの」と喜んでくれた。

こんどこの歌を覚えてカラオケでうたいたい。
その前にギターで練習しよう。






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新免許証

2010年06月03日 | 健康・病気
7月17日から新免許証、裏側に臓器移植欄(読売新聞) - goo ニュース

7月17日から新免許証になるようです。
裏側に「臓器移植欄」が印刷されるという。

この記事を読んで、
「悪いことではないな」と思った。
私は現在、臓器提供意思表示カードを
免許証ケースに免許証と一緒に入れている。
今、カードの裏側を見たら、
1999年5月20日(私の誕生日)の日付になっていた。
女房のサインもある。

来年、私は免許証の更新をしなくてはならない。
ということは、免許証と
この臓器提供意思表示カードが1枚になるということか。

でも、引っ越したときはどうするんだろう?
現在、私の免許証の裏は引っ越ししたための住所変更が
4カ所も書いてある。
免許証の裏の半分ほどに記入してある。
臓器提供意思表示が印刷されていたら、
新しい住所を書くことができるのだろうか?
心配だな。
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鳩山辞任

2010年06月02日 | 健康・病気
もっと早い時期に辞任するべきだった。
少なくとも、普天間基地の移転先を
県外にできないと判断したときに辞めるべきでした。
いや、母親からのお金もらっていることを追求されていたときに、
彼の総理大臣としての存在はなくなっていた。

やはり、人間は権力を手に入れると、
なかなか簡単に手放そうとはしないようですね。
そんな自分をみっともないと思わないのでしょうか?
鳩山さんもつまんない人間になっちゃいましたね。
いやいや、もともとそういう人間だったのですね。
(けっこう私は、応援していたんですけどね…)

私は、総理大臣にはなれませんが、
他人(ひと)から批判されるような生き方はしたくない。
いや、どんなに必死にがんばって生きていても批判はあるでしょう。
でもその批判が納得できるような生き方をしたい。
いや、やはり自分への批判は認められないかな。
(私も小さい人間ですから)

ここでずーっとレベルを下げまして、
少なくとも、家族(女房、息子たち、嫁、孫)から
私の生き方を否定されたくない。
そうならないように、一所懸命“いい加減”に生きよう。

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ヤマハ銀座店

2010年06月01日 | 健康・病気
5時10分ほど前、ヤマハ銀座店の前を通り過ぎた。
店の前で黒のスーツを着た男女が、
大きな声で呼び込みをしていたから、
それで、通り過ぎてしまった。
なにやってんだ。私は、ヤマハに行ったのに…。
心を入れ替え、戻って店内に入った。
コンサートが始まるという。
何でもいいや聴いてやれ、と思って、
10ほど並んでいたイスの一番前の真ん中に坐った。

5時からライブが始まった。
ベーシスト1人の演奏だった。
弾いていたのは、ヤマハのサイレント・ベースだった。
ベース以外の楽器が録音された“カラオケ”で、
ベースを弾いた。

よかった。
私の2メートルほど前で見るベースの演奏、感激でした。
ネックの4本の弦の上を激しく移動する左手の指。
弦をはじく右手の指。
息詰まるものを感じた。

このベーシストは、
子どもの頃クラシックピアノを練習していた。
18歳(?)のとき、
あるバンドに入ったらベースを誰もやらなかった。
それでベースを弾くようになった、という。
それからベースを弾いている。

フォービートのジャズっぽい曲もあり、
エイトビートのクロスオーバー的な曲もあった。
聴いていて、あーおれも人前で演奏したい!!
と思った。  ん…?

あ、こんどの土曜日「ワイワイがやがやコンサート」が
パンカーラであるんだっけ。
でも練習してないしな…。
どうしよう?
明日には、こんど演奏する曲をマスターに連絡しなくては…。

ヤマハ銀座店が新装開店したのはいつなんだろう?
去年、来たときには工事をしていた。
私が、初めてヤマハ銀座店に行ったのは、
高校3年生のときで、先生と
コンクールで演奏する曲の楽譜を買いに行った。
その曲で私たちは、その夏のコンクールで銅賞を取った。
初めて参加したにしてはよかったと思う。

そのときに私は、雑誌売り場にあった「現代ギター」
という雑誌を買った。
立ち読みしたその雑誌の後ろのほうに、
「弟子募集」と書いた中出ギター製作所の広告があった。
それを見て、私は中出ギター製作所に手紙を書いたのです。
「弟子にして下さい」と。

あのとき先生が、
「コンクールにやる曲の楽譜を買いに銀座に行こう」
なんていわなければ、私は、高校出たときに、
あんな挫折を味あわなかったかも知れない。
いや、それはバカないいぐさだ。
私が、あの雑誌の広告を見て、
手紙を書いたのが失敗だったのではないか。

でも、あの広告はそのときの私にとって魅力的でした。
「おれは、世界一のギターを作るんだ」と夢を見させてくれた。
高校では就職担当の先生が、
「おまえはここに行け」とクラスで一番早く、
就職する会社を紹介してくれた。
私は、吹奏楽部の部長をしていて、成績もそこそこでした(?)。
その先生に、手工ギター工房の弟子になるといったら、
「**大丈夫か?」と心配してくれた。
しかし、世間知らずの私は、
「先生、大丈夫です。いいギター職人になります」といった。
その私は、弟子入りして3ヶ月後に挫折して茨城に戻った。
あ…、みっともない。

私の人生は、それから惨めなもんでした
これ以上書くと、今夜は長くなりますのでやめます。

ヤマハ銀座店には想い出があります。
上にあるヤマハホールにも何度もコンサートを聴きに行った。
今日、ヤマハ銀座店に行って思ったこと、
なんか以前のほうがよかったな。
なんか黒で統一してシックな雰囲気にしてあるが、
とても閉鎖的な感じだった。
B1のギター売り場、3Fの管楽器売り場に行ってみた。
狭いという感じがした。
以前の方が開放感があった。
試演奏できる部屋はいいと思った。
今日は、楽譜売り場に行ってない。
こんど行こう。
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