今夜、パンカーラのマスターからメールが来た。
> ワイワイガヤガヤコンサートは6月9日です。
> よろしくお願いします!!
仕事の出勤表を見た。
う~ん、難しい。
その日私は夜勤になっていた。
これまでもそういうときが多かったがなんとか替わってもらっていた。
しかし、今度はダメです。
替わってもらうにはキビシイ勤務なんです。
あきらめました。
これが最後ではない。
秋に参加しよう。
今夜、パンカーラのマスターからメールが来た。
> ワイワイガヤガヤコンサートは6月9日です。
> よろしくお願いします!!
仕事の出勤表を見た。
う~ん、難しい。
その日私は夜勤になっていた。
これまでもそういうときが多かったがなんとか替わってもらっていた。
しかし、今度はダメです。
替わってもらうにはキビシイ勤務なんです。
あきらめました。
これが最後ではない。
秋に参加しよう。
三波春夫 ~元禄名槍譜 俵星玄蕃~
昨夜九想話を書き終えて、手と足に薬を塗り、布団に入ろうとするときにラジオをかける。
ラジオ深夜便の「にっぽんの歌こころの歌」は三波春夫だった。
嬉しいねぇ、たまんない、三波春夫ですよ。
正直なところ子どもの頃はあまり好きではなかった。
50歳になる頃好きになりましたね。
番組で流れた曲は次の通りです。
チャンチキおけさ
船方さんよ
雪の渡り鳥
旅笠道中
大利根無情
忠太郎月夜
一本刀土俵入り
文佐たから船
富士山
人生おけさ
あの伸びのある節回し、聴いていてすっきりしますね。
♪故郷(くに)を出るとき持ってきた
大きな夢を盃に
そっと浮かべてもらすため息
チャンチキおけさ
おけさ涙で曇る月
<チャンチキおけさ>
こんな詞を聴くと哀しくなりますね。
自分のことのようで…。
三波春夫が晩年の頃、「永六輔の土曜ワイド」によく出ていた。
そのとき、三波春夫の話を聴いて好きになりましたね。
まるで大学の教授のようでした。
そうとうな読書家のようです。
15歳で浪曲師になり、戦争で満州に行き、戦争が終わり4年間シベリアにいた。
大変だったようです。
このへんのところ三波春夫の娘さんがブログに書いている。
ラジオでは流れなかったですが、「俵星玄蕃」を聴いて下さい。
この詞は三波春夫が書いている。
これは傑作です。
今日は休日だった。
午前中はほとんど寝ていた。
なんとしてでも今日は髪を切りたかったから電話すると午後2時から空いているといわれた。
あ…、おれは散髪してもらっているときがサイコーに幸せだ、といつも思う。
床屋が終わってから久しぶりにトンボの湯に行った。
今、家計簿を調べたらこの前行ったのは3月30日だった。
4月から“駒場温泉”に行っているので行ってなかったのだ。
やっぱりトンボの湯はいい。
内風呂も露天風呂もいい。
今日は久しぶりにサウナに入った。
この1年ぐらい入っていない。
露天風呂の浅いところに寝っ転がって空を眺めていた。
桜がキレイなときには来なかった。
露天風呂に桜の木があるのです。
外に終わりかけの桜が咲いていた。
今夜の夕食は焼き肉です。
焼き肉といっても豚肉です。
こまかいことは恥ずかしいので書きません。
刺身も恥ずかしいので…。
右端のは山菜のこごみです。
職場のひとにいただきました。
湯がいてマヨネーズです。
さっぱりして美味かった。
今日の夕食は満足です。
東電、今夏のボーナス見送り 労使が妥結、冬は再検討(朝日新聞) - goo ニュース
そもそも自分たちの見通しの甘さで原発の事故を起こしたといってもおかしくない。
電気料金を値上げするというのは、その原発事故の責任の一部を消費者に負わせるようなものです。
今まで東電社員は恵まれていた。
世の中の零細企業に勤めている人たちはこれまで何年も辛い思いをしてきた。
私は、54歳からボーナスなんて縁がない。
今朝、朝食のとき「あさイチ」(NHK総合)を観ていた。
SHIORIというフードコーディネーターが「解決!ゴハン」というコーナーに出て、鶏そぼろごはんを作った。
> 若い女性を中心に人気急上昇中のSHIORIさん、「解決!ゴハン」初登場!
なんてあさイチのサイトに書いてあった。
彼女の料理本は合計で300万部も売れているとか。
顔も可愛く、出来上がった鶏そぼろごはんも美味しそうだったが、
作っているときの言葉遣いが私の心に刺さる。
フライパンに調味料を入れるとき「みりんが入ります」「お酒が入ります」「砂糖が入ります」という。
「調味料が自分でフライパンに入るんではないだろう!あんたが入れたんだろう」
と私は突っ込みたくなった。
コンビニで若い女の子にレジの対応をされたときに、
「1000円からいただきます」なんていわれたような不愉快さだ。
NHKの番組でこんな言葉遣いをしていると、勘違いする主婦が、
何かを自分で入れたときに、「**入ります」なんていうようなことが広まるのは不愉快だ。
すくなくともNHKは、あんな話し方を許してはいけない。
水曜日は私の勤める施設が休館なので、私はだいたい休日になります。
昨夜、仕事を終えて家に帰ったのが午後11時過ぎ、体調がおかしかった。
まだ風邪が残っている。
簡単な食事をして九想話を書こうとしたが、何も書く気がしない。
書きたいことはいくつかあるが、書く気がしない。
こういうときが一番辛い。
とりあえず布団の中に寝る。
しかし、九想話が気になって寝付けない。
午前2時過ぎ起きる。
パソコンの前に向かう。
書く気がしない。
なんとか昨夜の九想話を書きました。
今朝8時半過ぎ、女房から電話がかかってきた。
この時間は彼女が会社のある有楽町線の江戸川橋駅に降りた頃なんです。
よく会社まで歩くときに電話をかけてくる。
「今日、プール行くんでしょ。行ったあとメールちょうだい」
私はどうしょうもなく眠たかった。
九想話を書いて寝てから3時間ほどしかたってない。
それからうつらうつらしていた。
ラジオは、「武田鉄矢の今朝の三枚おろし」(SBCラジオ)を聴いた。
それから「すっぴん!」(NHKラジオ)へ。
うつらうつらしたり、ラジオを聴いたり、10時半頃から坂田利夫が出た。
パーソナリティーのダイアモンド・ユカイと4月になんば花月で共演したという。
坂田が、アホを演じる辛さや悲しみを語る。
それでもアホを演じなければならない。
11時半に布団から出た。
水中ストレッチに行く時間が迫っている。
頭が痛かった。
休もうかとも考えた。
しかし、2週間前は風邪で休んだ。
先週は、GWでS会が休みだった。
行きたかった。休みたくなかった。
12時50分に車を出した。
S会は午後1時半から始まる。
私がプールに着いたときには、水中ストレッチは始まっていた。
先生が私を気遣ってくれた。
私はなんとかストレッチをやった。
水の中は身体が軽く心地よかった。
休憩に“駒場温泉”に入って温まった。
私と2人だけの男性のNさんと久しぶりにあった。
最初はなんか話が出来なくて、しばらく黙っていた。
他の人の会話に混じって話せるようになった。
Nさんは長野マラソンに出場して完走したそうだ。
素晴らしい。
私は今日、歩いて息継ぎの練習をした。
以前は出来なかった息継ぎが今日は出来た。
先生の指導がいいのだろう。
これが泳いだときに出来るといいのですが…。
まだまだいけません。
会が終わって、“駒場温泉”で先生たちと話す。
これが楽しい。
終わって、私は散髪したいと思っていつもの床屋に電話したら予約で一杯だと断られた。
しかたないので私は、御代田の図書館に行った。
いろいろ悩んで小説を2冊借りた。
「夕子ちゃんの近道」(長嶋有著 新潮社)
「ニシノユキヒコの恋と冒険」(川上弘美著 新潮社)
昔、一緒の句会にいた仲間です。
明日の「すっぴん!」に長嶋有がゲストで出るという。
家に帰って身体が疲れていることに驚く。
久しぶりに水中ストレッチをしたからだろう。
私は、たまった洗濯物の入った洗濯機を回して布団にもぐった。
5月6日(日)ラジオ深夜便の3時台の「にっぽんの歌こころの歌」は、
「青春の歌:思い出のフォーク&ポップス~昭和47年の作品から」で次の曲が流れた。
「旅の宿」 吉田 拓郎
「耳をすましてごらん」 本田 路津子
「だれかが風の中で」 上條 恒彦
「赤色エレジー」 あがた 森魚(もりお)
「サルビアの花」 岩渕 リリ
「少女」 五輪 真弓
「魔法の黄色い靴」 チューリップ
「傘がない」 井上 陽水
「ケンとメリー~愛と風のように~」 バズ
「春夏秋冬」 泉谷 しげる
そのとき、イヤフォンから音が流れてきて目が覚めた。
1人のときはステレオで聴いている。
女房がいるときは、ポケットラジオからイヤフォンで聴いてます。
これだけは、女房が軽井沢にいると不便です。
たしか2時台の井上堯之(元ザ・スパイダースのギタリスト)の
「今、再び童謡・唱歌にときめいて」という話を聴いていて寝てしまった。
「旅の宿」を聴いていて一気に目が覚めた。
昭和47年といったら私が20歳のときです。
龍彦とバカなことをやっていた時代だ。
一曲いっきょくに懐かしい匂いがある。
なんかあの頃の自分を思い出す。
あのときに、私はきちんと生きてなかった。
それが今の自分につながっている。
ではそれを全部否定するか、と問われれば、あの頃の自分を否定はしない。
あのときの自分だったから、現在の自分がいる。
今の女房との暮らしがあり、息子たちの生活がある。
20歳の頃の私を、しっかりみつめて文章にしたいと考えています。
北関東で起きた突風被害を気象庁は7日、
茨城県つくば市と栃木県真岡(もうか)市の突風を竜巻と認定した。
両県の被災建物は7日までに計1500棟を超えたそうです。
私の実家は栃木県の真岡市と益子町の隣の茨城県の桜川市です。
以前は、岩瀬町という名前でした。
岩瀬町と真壁町と大和村が合併して桜川市になりました。
どちらへも車で20分ほどで行けます。
去年の東日本大震災のときには益子町に大きな被害があった。
うちの実家は、屋根瓦が壊れて私が行って兄と雨漏りがしないようにブルーシートを張った。
去年の3月16日の九想話「茨城に行く」「屋根の崩壊」に書きました。
今回も被害はなかったのかなと思い今日の昼休みに兄に電話した。
「それがまったく被害はなかったんだよ」
「停電は?」
「それもねぇ」
「よかった」
私はほっとした。
電話を切ろうとしたら、
「今度きょうだいでヒサシの還暦祝いを日光にでも行ってやろうと思うんだ」
だから6月の休みを教えてくれという。
私は、まったく考えてなかったことをいわれたので驚いた。
電話を切ってから、きょうだいというのはありがたいな、と思った。
そのときは、わが女房も連れてくるようにという。
私たちきょうだい5人は、みんな貧しいが、心優しい兄と姉たちです。
一昨年、きょうだいが軽井沢に来たときには長女は来られなかった。
私より15歳年上の姉で足が悪く歩くのが不自由なのです。
今度は、長女も参加出来るように日光でやりたいという。
きょうだいが全員集まるなんてなかなか出来ない。
楽しみです。