今日の夕方、NHKのラジオを聴いていると、
「今、月と金星が近くに見えます。キレイですよ」という。
私は面倒くさいなと思いながら、しばらくしてからカメラを持って外に出た。
なるほど三日月と金星が近くに見えました。
ちょっと感動した。
カメラのシャッターを何度か押したが、私のカメラではよく写らなかった。
明日も見られますから、あなたも見て下さい。
今日、健康診断に行ってきました。
今日のところ、特に異常は見つからないということでした。
耳が高い音が聞こえない。
逆流性食道炎のことはいわれましたが、これは分かっていることです。
ホッとしました。
しかし、胃カメラは辛かった。
出来ることなら、あれはもうしたくない。
3週間ほどして細かい結果が出てくる。
これが少し心配です。
明日、日帰りの人間ドックです。
胃カメラを呑みます。
午後9時までに食事をすませました。
もう食べてはいけません。
お腹が空いてます。
こんな日は寝るしかありません。
この写真は、「ベッカンコおに」のリハーサルのときに撮りました。
竹楽器奏者遠藤健二さんのことを書きます。
彼の詳しいことをよく知りません。
演劇祭の前日に佐久に来てくれました。
夕食のときに私がケーナを吹いているなどと話し、
ケーナをバックから取り出し見せたら楽器のことで盛り上がってしまった。
尺八とケーナは、楽器の構造としては同じなんです。
ただ、尺八にはケーナにない魅力がありますね。
そのとき遠藤さんが、実際に尺八を吹いて説明してくれたのですが、
西洋音楽には、和音でメジャーとマイナーがあるが、
尺八は、一音で明るい音と暗い音が出せる、という。
同じ音の高さなのに違う指使いで押さえると、音色が違うのです。
私はこのことを初めて知りました。
このへんが尺八の幽玄さなんですかね。
尺八を真剣に吹きたいと思いました。
しかし、尺八は価格が高いのです。
ケーナだと1万円前後で買えるのですが、尺八は5万円前後かな?
私が現在吹いている尺八は、プラスティック製です。
「竹のが欲しいけど高い」と遠藤さんにいうと、
「自分で作ればいいじゃないですか」という。
「竹は自分で取ってくればいい。私のところに道具がありますから、ぜひ作って下さい」
とはいっても難しいですよね。
竹は山で取ってきてもすぐには尺八には作れない。
乾燥させないといけない。
山で切ってきて1年寝かせるといい、という。
それじゃ、私は茨城に帰ったときに山で竹を取って干しておこうかなと考えた。
5・6本とって干しておいて、1年ぐらいたったら遠藤さんに連絡しますと話した。
いつになるでしょうか?
でも、いつか絶対、尺八は作りたい。
私はケーナを2・3本作っています。
それなりにいい音がする。
こうなったら私は、死ぬまでに尺八を作るぞ!!
フエフキ峠に、いっぴきのおにがすんでいた。
それがとんでもねえへんな顔で、ゲジゲジまゆ毛が八の字におっぴらいでいでどんぐりまなこ。
そのうえいっつもデローンとべろが垂れ下がっているベッカンコづら。
あつい夏のさかりにおには、里の娘ゆきに出会った。
目のみえねえゆきは、墓場の、死んだおっ母に話しかけていだんだ。
「おっ母がいねえから、おら、村のわらしどもにいじめられてばかりだ。
もうおら、里にもどりたくねえ。おっ母の墓もりして、ここにいてえだよ」
それをきいたおには、「うおーッ!」とさけぶと、ゆきをかかえて走りだした!
山のもんと里のもんはいっしょにすめねえのが、山のならわし…。
好かれようと思えば思うほど嫌われる、悲しいおにの恋心。
おにはきれいな花をもってきた。
おもしろい話もたくさんした。
青く澄んだ秋の大空…、燃えるようなもみじの葉…。
いつかふたりの心はかよいあい、おにとゆきは夫婦になった。
ふたりは幸せだったが、ゆきには一つだけ切なく思うことがあった。
「おめえさまのベッカンコ面をみたことねえのが、さびしくてさびしくて」
おには、どうにかしてゆきの目をあけてやろうと思った。
山の主の山母さまは、谷間にたった一本だけあるリュウガン草の話をした。
その草の根っこの汁を目にぬれば、みえぬ目はなおるんだ。
「だが、その草には、のろいがかかっていて、草をみつけたばかりに、命をなくすやつもいる。それでもよいか?」
「おらかまわね、山母さま!」
そのころ、ゆきのお父うの猟師は、おにをさがして山んなかを何日も、あるきまわっていた。
ゆきがいなくなった墓場のあたりに、おにの足あとが、ドカドカついていたので、
さらったのはおにだとわかったのだ。
「ちきしょう、ゆきのかたきをとってやる!」
猟師は心にちかった。
命をかけて、おには娘の目を開けるために森をさまよった。
そしてやっとリュウガン草を見つけたときにゆきのお父うに見つかる。
漁師が鉄砲を撃つ。
鉄砲に撃たれたおにがなんとか家にもどる。
そしてリュウガン草の根っこの汁をゆきの目にぬった。
するとゆきの目がひらいた。
ゆきの目がこの世で初めて見たのがおにの死に顔だった。
ゆきに子どもが産まれた。
きれいな顔の子どもだったとか…。
11月30日と12月1日にやった演劇祭の中でこれにはまいった。
横っ面をひっぱたかれたようだった。
劇団レクラム舎代表鈴木一功の一人芝居「ベッカンコおに」だ。
さねとうあきらの創作民話の世界を鈴木一功が演じ、語った。
竹楽器奏者の遠藤健二が音楽を担当した。
「絶叫デモ」石破氏批判 市民ら反発、県内外で集会 (信濃毎日新聞)
自民党の石破茂幹事長が自身のブログで「絶叫戦術はテロ行為と変わらない」と書いた。
こんな人には、何をいってもさびしい。
日本を、素晴らしい国にしたい、という気持ちはないんだな。
なんのために政治家をやっているのだ。
自分の欲望だけを優先させたいためにか?
今の日本は戦前のあの厭な時代に戻ってしまうのか!
それが我慢できないからデモをやる人たちがいるのではないか。
その人たちのことを“テロ行為”とあの人はいう。
私だって、行けるならデモに参加したい。
> 「テロと本質的に変わらない」と批判した部分を撤回して謝罪した。
> 一方で大音量デモについて「本来あるべき民主主義の手法とは異なる」と改めて記した。
これは、毎日新聞の記事に書いてあったことです。
「テロと本質的に変わらない」を撤回して謝罪しても、彼の気持ちは何も変わっていない。
不愉快な人間だ。