昨日、浅草に行って昼飯は松屋の牛めしを食べた。
プレミアム牛めし並盛りが380円です。
店内には6人ほど客がいて、40代・50代それ以上の年齢の男ばかりだった。
女性客は女房だけです。
考えれば、あまり女性が牛丼を食べている姿は見ない。
女性客が1人だけなんてことを気にする女房ではない。
2人で「美味しい、おいしい」といって食べていた。
私が最近、丼一杯ご飯を食べたことはない。
毎日昼に、女房が作ってくれる小さなおにぎりを1個食べているだけです。
これは絶対太ったな、と覚悟を決めた。
ところが夕方、風呂に入る前に体重計に乗ると69.1kgだった。
私は嬉しかった。
おそらく沢山歩いたからだろうと考えた。
私のスマホのアプリ「歩数計」を見ると、23日は17,400歩歩いたことになっていた。
今日は、朝いつものようにグラノーラを食べ、昼は女房が作ってくれたパスタを食べた。
休みということもあって今日の昼にはビールも1缶飲んだ。
それで夕方体重を計ると、70.1kgだったのでちょっとガッカリした。
私は、ひょっとすると68kg台に落ちているかも、なんて甘い気持ちでいたのです。
今日は、7,112歩歩いたと「歩数計」には記録されていた。
門松を作ってから午前中に、いつものコースをウォーキングしたんですけどね。
明日から、またがんばって痩せるようにしたいです。
今日は、門松を作ろうと考えていた。
昨日、浅草を歩いていたら、どの店の前にも門松が飾ってあった。
青竹1本と松の一枝だけの簡素な門松でした。
それを見て私は、家の門松を作ろうと考えた。
これまではいつも30日や31日に飾っていた。
物置にしまっておいた竹を見ると色はさめているし、ヒビ割れていた。
しかし、昨年、苦労して採ってきた竹だ。
林で探すのは大変なので女房と話し、今年もこの竹を使うことにした。
松の枝を林に採りに行かなくてはならない。
女房に一緒に行こうと誘うと、「1人で行ってきて」とそっけない。
しかたなく私は1人で行った。
私の住んでいる住宅地は、40年ほど前に山を切り開いて作られたところなので、
住宅地のまわりは林なんです。
なんとか松の枝を採ってきて門松を作りました。
できることなら、新しい竹や松の枝を採ってきて作りたいんですけどね。
昨夜放映されたSONGS「吉田拓郎 ~今だから人生を語ろう~」
(NHK総合午後10時50分~)、録画したのをさきほど観た。
曲のあいだに桑子真帆が拓郎にインタビューしたものがあった。
いくつになっても、私にとって拓郎は拓郎です。
私は途中、涙を流しながら番組を観ていた。
「旅の宿」を拓郎が歌っているのを観ていると、
むかし龍彦がギターを弾いて歌っている姿がテレビの画面に出てきた。
龍彦は「旅の宿」をよく歌っていた。
龍彦と私が20歳のときの歌です。
龍彦が生きていたら、この番組を観てどう語るかな?
ー番組で放送された曲ー(NHKのサイトの曲は少し違っています)
春だったね(1972)
やせっぽちのブルース(1970)
落陽(1973)
風に吹かれて
旅の宿(1972)
アゲイン(2014)
有る雨の日の情景(1971)
全部だきしめて(1997)
朝日がサン(2001)
人生を語らず(1974)
旅の宿 吉田拓郎
今日は、かねてから女房が行きたいといっていた浅草の合羽橋に行ってきました。
家は8時頃に出た。
車を駅の近くの駐車場に停めて行った。
駐車代は1日300円でした。
他は400円だけど最近ここができた。
乗った電車は、中華街元町行きだった。
最近、東武東上線が地下鉄や東急線に乗り入れていて、横浜まで行くのです。
私たちは途中で、「今日は、横浜に行ってみようか」なんてことを話した。
その電車に乗っていれば、11時には中華街に着いてしまうのです。
ちょっと悩んだが、私たちは予定通りに浅草に行くことにした。
池袋で地下鉄有楽町線を降りて、地上に出た。
女房がスマホで調べて浅草行きのバスは、9時22分に出ることを知っていた。
私がトイレに行ったので時間がなくなっていた。
私たちは、地下道を走った。
なんとかバス停に20分に着いた。
バスは遅れて、30 分に出た。
池袋から都バスで1時間で浅草に着いた。
いつものように雷門に行き、境内を歩く。
中国語、韓国語が沢山聞こえた。
白人も東南アジアの人たちも多かった。
浅草もずいぶん以前とは雰囲気が変わった。
まるで外国の街を歩いているようだった。
浅草寺をお参りしてから、合羽橋に行った。
女房は、食品サンプルが大好きなんです。
その店に行った。
女房がネットで調べていた店は4つあった。
そのうち1つは今日は営業していなかった。
女房は食品サンプルの小さいのを見て声を上げて喜んでいた。
「これ美味しそう」「これ可愛い」
しかし、スマホにつけるようなモノが2・3000円して、ちょっと買えない。
あの人は、宝くじに当たったら、10万円ぐらい買いたいという。
私たちは、食器や台所用具の店も見て回った。
2時頃あたりが暗くなって雨が降ってきた。
私たちは、松屋デパートに入った。
私は、27歳のときに、このデパートの地下で鮭を売っていたことがあった。
「さあさあ、安いよ。紅鮭3切れ500円ダ~」
なんていって私は働いていた。
思い出すと涙が出てきそうになります。
帰りもバスで池袋まで行った。
私も女房もバスの中では寝てしまいました。
BS朝日「ザ・ドキュメンタリー」は、「いのちの不思議を見つめた絵師 若冲は生きている」だった。
若冲のいろいろなことを教えてくれた。
私は、5月に「生誕300年記念若冲展」を見た。
大変な一日でした。
そのときの美術展の中に書いてあった掲示物で、
若冲のおおよそのことは知ったつもりでいたが、まだまだいろいろありました。
若冲は3年間、絵を描かないときがあった。
その理由は・・・、京都の錦市場がつぶれそうになったときにそれを救った。
若冲は、40歳まで青物市場を経営していた。
それを弟に譲り、自分は絵を描き始めた。
絵を描く人生を選んだ男が、錦市場が駄目になりかけたときに、絵を描かずにそれを救った。
若冲は、単なる絵師ではないんですね。
若冲は歳をとってから象の絵を描いた。
若いときに、象が長崎から京都に行ったことがあり、そのときに見ているはずだ、という。
若冲という男、私は人間としても大好きです。
これからも注目していきます。
今日は冬至です。
夕方、女房の帰る時間 にバス停まで迎えに行った。
スーパーで98円(税別)のゆずを買った。
これをネットに入れて、湯船に浮かべる。
実を半分に切っているので、ゆずのよい匂いが風呂場に漂う。
幸せだな、と思う。
やはり、軽井沢の暮らしをやめてよかった。
自分の家のゆず湯にゆっくり入れることがうれしい。
ゆずが沢山入ったトンボの湯のゆず湯に毎年入っていたが、たった1個でもわが家のゆず湯がいい。
ただ一つ浮かべてつかるゆず湯かな
一つだけかすかに匂うゆず湯かな
一人の湯一つ浮かべて冬至かな
九想庵への旅人が「186,000」人になったということだけです。
現在、九想話に来てくれる人が何人九想庵のトップページから来てくれるのか・・・、
おそらくほとんどの人が直接、九想話に来ると思う。
私としては、なんとか九想庵を復活させたいと考えています。
九想話だけではなく、むかしあった「小説」「俳句」のページを復活させたい。
私が演奏する「ケーナの響き」なんていうページも作りたい。
その前に、ブログになる前の九想話をホームページに載せたいです。
しかし、今は職業訓練で大変なんです。
これが終わる4月ぐらいから復活させたいと考えています。
『ユニクロ帝国の光と影』ジャーナリスト横田増生の渾身ルポ
私は、週刊文春のこの記事を3週続けて読んでいる。
横田増生というジャーナリストはすごい人だ。
> ユニクロは私の著書を名誉毀損として二億二千万円の損害賠償を求める裁判を起こした。
> 私は勝訴したが、柳井社長はその後インタビューで
> 「悪口を言っているのは僕と会ったことがない人がほとんど。
> うちの会社で働いてもらって、どういう企業なのかをぜひ体験してもらいたい」と語った。
> ならば実際に働きながら取材しよう。
というわけで彼は、ユニクロにバイトとして勤めて内部を取材した。
以後八百時間を超える労働から浮かび上がったのは、サービス残業と人手不足の実態だ。
ユニクロという会社は大変な組織ですね。
利益を出すためだったら、社員に対してそうとうひどいことをしているようだ。
ユニクロの製品を私はけっこう買ってきた。
でも最近は少なくなってきた。
私が歳をとってしまいましたからね。
昨日の朝8時5分からの「音楽の泉」は、モーツアルトのピアノ協奏曲第26番 ニ長調 KV 537だった。
「戴冠式」という愛称で呼ばれている曲です。
(ピアノ、指揮)ダニエル・バレンボイム、(管弦楽)イギリス室内管弦楽団だった。
私は、久しぶりに音量を大きくして聴いた。
クラシックの曲をこうして聴くことをずいぶんしてこなかった。
こんどから、たまにクラシックも聴いてみようかな、と思った。
AM放送で、ステレオも10年以上前の安いものだ。
音質がいいわけない。
それでも、感動しました。
番組進行の皆川達夫の話では、初演のときモーツアルトが自分で演奏したらしい。
ピアノ譜があまり書いてなく、モーツアルトはアドリブで演奏していたという。
面白い話だなと思った。
先週の日曜日、私は午後1時半ぐらいに家を出てウォーキングをした。
夕方、暗くならないうちにと思ったからです。
15分も歩くと図書館に着く。
図書館に入って新聞を読んでいたら、
「2時から**図書館の2階で映画会をやります。
監督: 黒木和雄 出演: 宮沢りえ, 原田芳雄, 浅野忠信の『父と暮せば』という映画です。
観たい方は2階の視聴覚室にどうぞ」
というアナウンスがあった。
私は迷った。
この映画は、1度テレビで観ている。
この芝居は、演劇集団水無月でもう7・8回は観ている。
観なくてもいいかな、と思った。
でも2時になる頃に、私は視聴覚室にいた。
映画を観てまた、私は泣いてしまいました。
宮沢りえがよかった。
原田芳雄の演技に私は満足した。
いい役者だな~と思った。
その余韻が心の中にあるときに、「この世界の片隅に」を読んだ。
主人公すずの暮らす軍港呉は、かなりの空襲の被害にあった。
その呉から見た広島に落ちた原爆。
すずの右の手。
私は、声もなくページをくっていく。
このマンガを描いたこうの史代というひとを私はすばらしいと思う。