徒然留学日記

30にしてドイツ留学を思い立ち、その後結婚。日々経験したこと、感じたことをつづっています

秋の旅行-ゴスラー・ランメルスベルク鉱山編

2016-10-14 03:01:38 | 旅行



ランメルスベルク鉱山の博物館(Rammelsberger Bergbaumuseum)へ行った。10世紀ごろから銀や銅、鉛などが採掘され、ほぼ資源が枯渇した1988年に閉鎖された。

博物館では鉱山の歴史、技術、鉱物、経済、坑夫たちについて詳しく知ることができ、ソクチくんは結構楽しんでいた。博物館の建物はテーマ別にいくつかに分かれていて、私たちは2つしか見ることができなかった。

坑道はツアーで入ることができ、私たちは200年ほど前の坑道を歩いて回るツアー(所用時間1時間15分程度)に参加した。



集合場所には坑夫たちが使用していた作業着が天井からつるされていた。ワイヤーで作業着を上下させる。当時使われていたコーラやたばこの自動販売機もそのままあった。

私たち見学者も安全のためにヘルメットを着用する。坑道の天井は低いところがあり、私も2,3回ヘルメットをぶつけた。



写真は坑道の入り口。中はもちろん見学用に電気が通っているけれど、それでも暗い。坑夫は鉱山に入り採掘するのにオイルランプを使ったけれど、そのオイル代は給料から引かれたらしい。なので、

5人で1つのランプを使用

してオイル代を節約したらしい。採掘場でガイドさんが電灯を消し、ろうそく1本だけ灯したけれど

はっきり言って真っ暗

だった。この暗さの中、よく作業できたな、と思う。そして、その1つだけ灯しているランプが天井からしずくが落ちたりして消えることもあったという。そんな時は本当に真っ暗なので、再びランプをつけるまでに

30分ほど

かかったという。賃金は出来高制なので、仕事ができない間は当然ゼロ。8時間勤務で、その間にトイレに行ったりするとその間もゼロ。厳しい。トイレと言っても、当然単なる桶だったりする。そして、その桶を

誰かが外に持っていく

必要がある。見学の最後に

とても急な階段(ほぼはしご)

があり、それを登るのも大変だったけれど、当時は本当のはしごだったわけで、片手に桶、片手ではしごをつかんで数十メートル登るのはきついな、と思っていたら、どうやら当時は

若者または悪いことをした人

の仕事だったらしい。

ガイドさんの説明では、坑夫は8時間鉱山で採掘をするけれど、採掘前と採掘後に1時間ずつ礼拝したり、採掘後は

無料でシャワー

を浴びることができた(オイルランプのオイルは有料だったのに)りで、結局トータルで15時間程度拘束されたらしい。

この鉱山には、水車が4つ(水路は1本)あり、水を最大限に利用している。4つの水車の内の2つは鉱石を運び上げ、あとの2つの水車は地下水排水ポンプを作動して地下水を排水していたらしい。



秋の旅行-ゴスラー・旧市街編

2016-10-12 01:43:47 | 旅行


ゴスラーの旧市街とランメルスベルク鉱山はユネスコの世界遺産に登録されている。旧市街の建物の約3分の2は1850年以前のもので、そのうち150以上の建物が1550年以前の物らしく、

どの通りを歩いても素敵

だった。比較的まっすぐで狭い道路が多く、写真ではその素敵さが激減するのが残念。ランメルスベルク鉱山が最盛期を迎えるのが1500年ごろで、そのころから木組みの家が豪華に装飾されたらしい。



皇帝居城は11世紀にハインリヒ3世により建設され、現在の城は19世紀に再建された(写真)。ドイツに現存する宮殿様式の建物の中では最も規模が大きいらしい。

城の2階の帝国の間にはドイツの歴史が描かれた巨大な壁画がある。壁画にはヴィルヘルム1世やフリードリヒ1世(バルバロッサ、Barbarossa)などの皇帝たちに混ざって

眠れる森の美女(Sleeping beauty)

の絵もあった。イマイチ関係が分からなかったのでソクチくんに聞いてみたところ、

『フリードリヒ1世は十字軍の遠征中に亡くなり、家臣たちが戦争が終わったらフリードリヒ1世の遺体を持ち帰ろうと、遺体を茹でて3か所に埋めてさらに遠征に行ったんだけど、戻ってきたらどこに埋めたのか分からなくなり、遺体を持ち帰ることができなかったんだ。人々はフリードリヒ1世の死を信じることができず、『バルバロッサはどこかで生きている、永い眠りから目覚めるときが来る』との伝説が生まれたんだ。眠れる森の美女も100年後に永い眠りから覚めているから、そういう意味じゃないかな』

とのことだった。なるほど。

ゴスラー旧市街は2時間もあれば歩いて回れる小さい街で、私たちは約1日滞在したけれど

全く足りない

と思った。私はゴスラーを気に入りすぎて

ここに住みたい

とまで思った(空港まで遠いので現実的ではないけれど)。ゴスラーはぜひまた訪れたい。


秋の旅行-ヘッセンパーク編

2016-10-11 03:01:10 | 旅行


ヘッセンパーク野外博物館(Freilichtmuseum Hessenpark)は、主にヘッセン州内の古い建物を移築して保存・展示をしている。

面積は広いけれど、入場者は主に入り口周辺のマルクトプラッツに集中し、その他のエリアは閑散としている印象だった。特にマルクトプラッツにあるパン屋さんはいつ見ても行列ができていた。

1日あれば、すべてのエリアを回り、入ることができる建物すべてに入れる感じだった。建物内の展示は、薬局などはいい感じに展示がされていたけれど、例えばカメラやビデオカメラなどが展示されてる場所は

所有するものすべてを展示しました

という感じがして残念だった。もう少し時代ごとに分けてどのようにカメラが発達したのかなどの説明があればいいのに、と思った。

私たちが行った日は天気が良くなく、来場者が少なかったためか、実演が少なかったのも残念。大工さんや鍛冶屋さんの仕事場は閉まっていて見学もできなかった。

その代わり、ちょうど収穫祭の時期だったので、たくさんのスタンドが出ていて楽しかった。ニンニクをたくさん使ったピザを売っているスタンドがあり、時々すれ違う人がニンニク臭かったりした。



見学した実演は、馬が2頭で鋤を引いて畑を耕すのと、蒸気エンジンで脱穀機(写真)を動かして脱穀するものなど。脱穀機はとても大きく、脱穀機の上で女性が2人、脱穀機に小麦を投入していた。


閑散としているエリアには、まだこれから組み立てられるであろう建物がたくさんあった。それらのエリアにも入場者が訪れるような建物、展示、お店などを配置してほしいな、と思う。マルクトプラッツにあるお店では、博物館の外でも購入できるものがたくさん売られていたので、博物館内でのみ買えるものをぜひ売ってほしい。

今回、お店、教会、風車、職人さんの工房などを見たけれど

学校

がなかった気がする。全部回ったつもりだったけれど見逃したのだろうか。


秋の旅行-ローマの遺跡リーメス編

2016-10-10 21:07:50 | 旅行


今年の旅行はホテルを転々とし、忙しい旅行だった。

写真はユネスコの世界遺産に登録されているローマの遺跡リーメス(Roemerkastell Saalburg)の入り口。

リーメス(Limes)とは、1世紀ごろに築かれたローマ帝国時代の防砦システムであり、ローマ領の境界線を示すものでもあったらしい。砦の守備隊は600人の兵士で構成されていたそう。2000人もの人が砦と村に住んでいたと考えられる。

公衆浴場とゲストハウス、貯蔵庫などは正門の外にあった。博物館には工具や武器などの展示がされていた。



当時の裕福な家庭のキッチンが紹介されていたけれど、思っていたよりも豊かで驚いた。靴職人の工房の展示も興味深かった。



保存用壺には顔が書かれているものがあり、「中の食べ物を有害なものから守る」と信じられていたらしい。


中にカフェがあったのでそこでランチをしたけれど、ごく普通のカフェだった。もう少しローマっぽいものを想像していただけに残念だった。私は「スパゲティ ナポリ」を頼んだ。もちろん、日本の「スパゲティナポリタン」とは違うことは知っていたけれど、まさか

具なしトマトソース

だとは想像しなかった…


夏の旅行-ホテル編

2015-09-19 13:27:17 | 旅行


今回、ザルツブルクで泊まったホテルはHotel Garni Lehenerhof。Booking.comのサイトで予約をした。予約時点では、確かに『お車でいらっしゃる方は駐車場を確保するのでご連絡ください』とあったので、駐車場の確保をお願いした。
が、出発直前の確認では、『駐車場は

確約できません

。近くに公共の駐車場があるので、満車の場合はそちらをご利用ください』となっていた…
無料の駐車場の有無もホテル探しの重要なポイントだったのに。

私たちが夕方チェックインした時点では残りの駐車場は2つだった。

ホテルの立地は、ザルツブルクの旧市街まで歩いても行けるし、バス停もすぐ近くにあり、便利だった。

私たちがザルツブルクに滞在した日は、気温40度くらいの暑い日だった。このホテルは

ザルツブルクの交通のかなめ

と思われる道路に面している。
部屋にはエアコンはなく、卓上の扇風機が1台あるのみだった。つまり、

窓を開けるとうるさく、閉めると暑い

という日だった。夜になっても気温は下がらず、交通量も減らず、私たちは睡眠不足になった。
アメニティはなかったけれど、WiFiは無料だし、清潔ないいホテルだったと思う(窓を開ける必要のない時期は)。


キームゼー観光のために、BergenのHotel Mariandl(写真)に泊まった。外観もかわいらしかったけれど、中もドイツの田舎の家、という感じでかわいらしかった。

ここもBooking.comで予約をした。ダブルルームにはスタンダードとコンフォートの2種類があり、私たちはソクチくんのたっての希望でコンフォートに泊まった。

ベッドの幅が181-210cm

だから。しかも、料金の差額が1人1泊1ユーロだったから。
予約をした後、『朝食なし』となっていることに気が付いた。シングルやスタンダードのダブルルームには朝食がついているのに。ホテルのウェブサイトを見ると、どの部屋タイプにも朝食がついているので大丈夫じゃない?と思ったけれど、ソクチくんは

電話

をかけ始めた。そこまでして朝食の確認をするのか、と思ったけれど、Bergenはそこそこの田舎町なので、自分たちで朝食を調達するには前もって準備がいるかもしれないから、ということだった。
朝食はもちろんついていた。パンやチーズは1種類のみだったけれど、おいしかった。

私たちが泊まった部屋にはベランダがついていたけれど、

隣の部屋とつながっていた(仕切り等はなし)

不用心な気もするけれど、ドイツの田舎はこんなもんなのだろうか。

このホテルのバスルームには

シャンプーの小袋が1つ

のみ置かれていた。2人で泊まるのに…
ソクチくんが1泊目に使用したけれど、2泊目は

補充されなかった


サンプル?

アメニティはこんな感じだし、WiFiは有料なので、そのあたりはいまいちだけれど、部屋はかわいいし、スタッフも感じがいいし、私たちはシャンプーもボディソープも持っていくので、総合的にもまずまず、と言ったところ。ただ、車がないと来ないホテルだと思う。




夏の旅行-ミュンヘン編

2015-09-18 10:31:03 | 旅行


ミュンヘンには休憩のために立ち寄っただけなので、観光はせず、ニンフェンブルク城とそのすぐそばの植物園へ行った。植物園には大きな温室があり、中にはサボテンや竹、熱帯植物、蘭、シナモンやトウガラシなどのスパイス類などが生育していた。そういえば、稲も生育していた。植物園で稲を見たのは初めてかも。

写真はスイレンとハスのコーナーで生育していた、人が乗れるんじゃないかと思うくらい大きなハスの葉っぱ。私はなんとなく、ハスやスイレンを見るとテンションが上がる。

外には花各種、高山植物コーナー、森林コーナーがあり、面白かった。森林コーナーには「Abies homolepis Nikko-Tanne Japan」と書かれている木があった。調べてみたら、ウラジロモミで別名がニッコウモミで、日本の特産種らしい。

植物園をてくてく歩いていくと、裏門みたいなところに出て、そこから小道を渡るとニンフェンブルク城に入る。



ニンフェンブルク城はルートヴィヒ2世が生まれたお城でもある。今回は内部の見学はしなかったけれど、中には美人画ギャラリーがあり、たくさんの美人画を見ることができる。

このお城、一般公開されているけれど、

ヴィッテルスバッハ家が所有

しているらしい。ルートヴィヒ2世が残した借金をヴィッテルスバッハ家が返済したと聞いたことがあるけれど、このお城も個人所有なのか…スケールが違う。

3年前ほどに来た時も工事中だったような気がするけれど、今回も工事中だった。
運河ではゴンドラに乗れるようになっていたけれど、運河の途中に橋があり、そこを超えることができないから、

橋と宮殿側の運河の端

を往復するのみだった。橋から道路(公共交通機関)まで結構あるから、中途半端な感じだった。

植物園とニンフェンブルク城の間に「マグダレーナの庵」(瞑想する場所)と呼ばれる建物があった。外観はとても古く見えたけれど、実は18世紀に建てられたもので、

廃墟をイメージ

して作られたらしい。


夏の旅行-フラウエン・インゼル編

2015-09-17 09:33:04 | 旅行


ヘレン・インゼルで観光した後、船でお隣のフラウエン・インゼルへ。この島の見どころは782年に建設されたベネディクト派の女子修道院(写真)。建物には華美な装飾はなく、ずいぶん前に建てられたんだな、と感じられる。入り口の床がかなりすり減っていたので、建設されてから1200年以上の間に多くの人がそこを歩いたのでしょう。修道院内は普通の修道院だったように思う。

併設されているショップは結構大きかった。売られているものも、宗教的なものから宗教的なものには見えないものまでいろいろあって面白かった。3,4台エアコンが設置されていて、東芝など、日本のメーカーだった。

せっかくなので、島をぐるっと回ってみることにした。小さい島なのでそれほど時間はかからない。



船着き場の近くにはカフェやかわいらしい建物があった。
が、そこから少し歩くと

芝生&湖

という感じで、芝生の上に寝転んで本を読んだり、湖で泳いでいる人がたくさんいた。

私たちは

1日に4本しかない

Uebersee/Feldwies行きの船を逃した(最終から2番目に乗りたかった)ので、最終の船で戻ることにした。船の出発は

2時間後

暑かったのでカフェでアイスコーヒーを飲んでみたけれど、2時間カフェで座って過ごすわけにはいかないので、私たちも芝生方面に向かった。

ちょうど空いているベンチを見つけたので、それを木陰に移動させ30分ほどぼーっと景色を眺めながら過ごした。鳥を見たり、湖で遊んでいる子供たちを見たり、修道院を振り返って見たりしていたので、思いのほか時間がたつのが早かった。

船着き場に行ってみると、

大行列

になっていた。『あれ?みんなUebersee/Feldwiesに行くの?船、そんなに大きくないよね。全員乗れるの?』と思ったけれど、大半はPrienへ行く人たちだった。ヘレン・インゼルに行くときに船内で購入したチケットは、船を下りるときも、フラウエン・インゼルに行くときの船でもチェックされることはなかったけれど、ここで船に乗るときに回収された。なるほど、島に行ったら戻らないといけないからね。

フラウエン・インゼルはのんびりとした島なので、1日ゆっくりと過ごすにはもってこいの島だろうな、と思った。


夏の旅行-ヘレン・インゼル編

2015-09-16 12:53:45 | 旅行


お城好きな私はルートヴィヒ2世が建てたヘレンキームゼー城にも行ってみたかったけれど、このお城はキームゼーにあるヘレン・インゼルという島にあるので、なかなか行く機会がなかったけれど、この夏、行ってきた。

島に行くためには船に乗らないといけないけれど、船着き場は6か所。このうち、プリーン(Prien)は電車の駅もあり、船もたくさん発着するメインの船着き場。私たちはキームゼーの南にホテルを取ったので、Uebersee/Feldwiesというところから船に乗った。ここからヘレン・インゼルに行く船は1日に

4本

あるのみ。朝一番が10時だったので、それに乗り遅れないために

9時半

には船着き場に到着した。駐車場はあるけれど、それほど大きくないので、早く来て正解だったと思う。10時が近づくと、50人以上の人が集まった。チケット売り場は船着き場にはなかったので、『乗るときにチケットを買うと時間かかるね』と思ったけれど、船が出発してから船の中でチケットを買うシステムだった。

さて、ヘレン・インゼルに到着し、お城のガイドツアーのチケットを購入した。ソクチくんが購入したらドイツ語のツアーだったので、英語のツアーに変更してもらった。受け取ったチケットを見たら

ヘブライ語

となっていた…
事前に調べた限り、ドイツ語と英語のツアーのみだったけど、ヘブライ語って。

ツアーの時間まであと20分ほどだった。船着き場からお城までは15分くらいとのことだったので、『あまり時間ないね』と言いながら歩き始めた。ソクチくんが『トイレに行きたい』と言い出したので、速足で歩き始めた。

林の中を歩いていくと、突然お庭とお城が現れた。写真を撮ろうとしたらソクチくんが、『僕、トイレに行きたいんだけど。写真は帰るときに撮ればいいよ』と言い出した。私もツアーの前にトイレに行きたいし、と思い、写真は諦めた。

ツアーの入り口はツアーごとにどのゲートに並ぶかが電光掲示板に示されていた。が、

開始まであと数分の時点で変更

になった。
気になったのは、英語のツアーとドイツ語のツアーの間に

11:28 中国語

とあったこと。28分って…

ツアーは英語だったけれど、日本語で説明してある紙をもらうことができる(ツアーの最後で『もしよければ返してくれる?』と言われる)ので、よく理解できた。

お城は、一言でいうと、どこまでも

ルイ14世リスペクト

という感じだった。ルイ14世の絵や騎馬像などが飾られ、ヴェルサイユ宮殿にある鏡の回廊を模したもの(でも

オリジナルよりも長い

)があったりと、あちこちでルイ14世を感じることができる。

食堂には、マイセンのシャンデリアやつぼ、バラが飾られていてそれはもう、素敵すぎてため息が出る。

ツアーが終了したあとも少し見学できるところがあり、出口付近に浴室があった。

6万リットルのお湯

を入れることができる大理石の浴槽があった。浴槽というよりはプールでは…
天井にはピンクと青色のベネチアのムラノガラスでできているとてもかわいらしいシャンデリアがあった。

ツアーが終了し、さて、庭に出ようか、と思ったら、ソクチくんが『

お腹空いた。レストランに行こうよ

』と言い出した。レストランは船着き場の比較的近くにある。
…いつ写真撮るんだよ!と怒ったら、『あ、博物館がある。行ってみようよ』と話をはぐらかされ、ルートヴィヒ2世博物館へ。



内部はミュンヘンのレジデンツやルートヴィヒ2世が建てたもう1つのお城・リンダーホーフ城の部屋を模した展示などがされていて、興味深かった。ルートヴィヒ2世のデスマスクもあった。
写真はリンダーホーフ城の寝室のコピー。

博物館を見学した後、無事に庭で写真撮影をした。



夏の旅行-ザルツブルク編その2

2015-09-15 14:58:46 | 旅行


ザルツブルクでは、街中から少し離れたヘルブルン宮殿にも行った。この宮殿は、17世紀にとある

大司教

が建設させた夏の離宮らしい。この宮殿は仕掛けのある噴水で有名。
ツアーで回るけれど、1人のガイドさんがドイツ語と英語両方を話す。

写真は最初の噴水。ガイドさんが『だれか座りたい人はいますか?』と参加者を募り、子供たちが椅子に座った。ガイドさんが、『それでは、手をテーブルの上においてください。そして、何があっても座ったままでいてください』と言い、スイッチを押すと、

椅子の穴から水が…

そうか、「手をテーブルに」というのは、椅子の穴の上に座らないためね。ゲストの椅子からは水が出るけれど、

ホストの椅子からは水が出ない

ホスト自身は濡れないのか。

そのあとも、洞窟や池などで噴水を見た。どれも意外なところから水が出る出る。私たちは濡れたくなく、前のツアーで地面が濡れているところを避けて立ったけれど、それでも少し濡れた。

当日は暑かったので、ガイドさんもツアー客に盛大に水をかけていた。子供たちはとても喜んでいたけれど、1人、それはもう、大変なことになっている子供がいた。ガイドさんがお母さんに『

着替えはある?

』と聞いていた。お母さんは『あるわけないわよー』と笑いながら返事をしていた。

時々聞こえてくる他のツアーのガイドさんと比べて、私たちのガイドさんはとても上手だったと思う。ガイドさん自身もツアー客を噴水で驚かせるのを楽しんでいるようだった。

私たちは宮殿の中の見学はせず、でも、映画『サウンド・オブ・ミュージック』のパビリオンは庭にあるというので、それだけ見に行った。サインがなければサウンド・オブ・ミュージックのパビリオンとは気づかなかったと思う。



最後の観光はミラベル庭園(写真)。天気はいまいちだったけれど、とてもきれいな庭園で、ホーエンザルツブルク城も見ることができる。ペガサスの噴水は、サウンド・オブ・ミュージックでマリア先生が子供と一緒にドレミの歌を歌った場所らしい。

ローズガーデンもあり、とても美しい庭園だった。ただ、オランジュリーと書かれている建物にはオレンジの樹はなく、オレンジ色の鳥がいた(もちろん、植物はあり)のが謎。

ザルツブルクも韓国人観光客がとても多かった。ミラベル庭園では、

自撮り棒

を使っている韓国人がとても多かった。韓国人よりも日本人が多かったのは『モーツァルトの生家』くらいだった。

ザルツカンマーグート、ザルツブルクでは、観光名所の入り口で写真を撮り、出口付近で絵葉書にしたりして売っていることが多かった。はやっているのでしょうか。




夏の旅行-ザルツブルク編その1

2015-09-14 15:47:04 | 旅行


念願のザルツブルクへ行った。ザルツブルクと言えば、

映画『サウンド・オブ・ミュージック』

私は中学生の頃に1,2回見たくらいで、歌のシーン以外ほとんど覚えていない。
ちなみに、この映画は

ドイツではほとんど知られていない

この映画の制作数年前に、トラップ大佐一家をテーマにした映画がドイツで制作されていて、そちらはかなり有名だけれど、サウンド・オブ・ミュージックはあまり有名ではないらしい。

さて、私たちはザルツブルク観光のため、ザルツブルクカードを買った。公共交通機関が乗り放題、観光名所の入場料が無料や割引になったりと、かなり使えるカード。ネットで見ると「ホテルでも購入可」という感じだけれど、私たちのホテルでは販売していなく、インフォメーションセンターまで購入しに行った。

写真はホーエンザルツブルク城(1077年建設、1500年前後に大規模に拡張された要塞)から見た景色。歩いても行けるけれど、ケーブルカーでも行ける。ザルツブルクカードで乗れるので、私たちはケーブルカーを使用した。お昼を過ぎていたのでケーブルカー乗り場の外にまで列ができていたけれど、

ザルツブルクカード保有者は直接乗り場へ行ける

ため(チケットを購入しなくていい)、すんなりとホーエンザルツブルク城へ行けた。ケーブルカーだとあっという間に山頂に着いた。山頂からの眺めが良かった。

内部は博物館になっていて、キッチンや暖炉、武器、拷問の道具などが展示されていた。天井もきれいに装飾されていた。

次はモーツァルトの生家へ。モーツァルトの子供用バイオリンや書簡などが展示されていた。当時は電気がなかったので、窓の多い部屋を居間、窓の少ない部屋を寝室として使用していたらしい。

744年に建設された大聖堂にはパイプオルガンが少なくとも5台あり、びっくりした。4台は同じパイプオルガンのように見えた。

ホーエンザルツブルク城からメンヒスベルクの丘が見えた。調べてみると、

エレベータで登れる

らしい。しかも、ザルツブルクカードを使用できる。せっかくだから、メンヒスベルクの丘からホーエンザルツブルク城を眺めよう、ということでメンヒスベルクの丘へ。



メンヒスベルクの丘からホーエンザルツブルク城を眺めているうちに、『ここから

歩いてホーエンザルツブルク城へ

行ってみる?』と、とてもドイツ人なソクチくんから聞かれた。『いや、暑いし。ケーブルカーで往復しちゃったからもうケーブルカー乗れないかもしれないし。乗れなかったら歩いて降りるんだよ』と丁寧にお断りした。実際腰痛が出ていたし。腰痛がなければ歩いたかも。

川方向から見るホーエンザルツブルク城もよかったけれど、メンヒスベルクの丘からホーエンザルツブルク城を見るのもよかった。